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『世界標準の経営理論』で出版界を考える

従業員も、経営者目線を持ってほしい。
最近そんな言葉をよく耳にする。

私は法学部出身なので、ほとんど経済学とか、経営学というものに触れたことがなかった。

世の中の大半の人が経営のことについて、きちんと理論立てて学んだことはないのではないだろうか。

サラリーマンとしての心意気を解説するビジネス本は山ほどあるし、読んだこともあったけど、良い機会なので評判になっていた『世界標準の経営理論』を手にとってみることにした。

価格もさることながら、800ページという重みに、最後まで読みきれるだろうかという不安がちらつく。

いざ読みはじめてみると、それは杞憂だったとすぐに確信した。
1章あたり20ページくらいで読みやすく、体系的に、主要な理論だけを教えてくれるので、エッセンスが凝縮されているのだ。

これだけ濃厚な密度なのに、800ページを読み終えた頃にはいったいどれほど賢くなってしまっているんだろう……

そんなワクワクを裏切らない、素晴らしい本だった。
せっかくなので私が勤めている出版業界にあてはめてみながら、備忘録としてまとめてみようと思う。

第一章 業界分析 出版社は儲かるのか?

本書では手始めに、その業界が儲かるのかどうか、を図表で示してくれる。
会社個々の努力ではなく、そもそも儲かりやすいかどうかの指標である。

図を出せないのが恐縮だが、2000年前後の米国主要業界のROE(株主資本利益率)で、出版・印刷業界は14.3%という数字が出ている。

前後には建設業・石油業がおり、全体としては中の上といったところだ。

まあ出版と印刷はまったく構造が違う別物なので参考程度にし、大事なのは儲かりやすい業界と儲かりにくい業界があるという事実だろう。

さて、その儲かりやすさを分析するひとつの指標が、完全競争からいかに離れているか、である。

完全競争とは、おおまかに以下の条件を満たす市場だとされている。

完全競争の条件

1.市場に無数の小さな企業がいて、どの企業も市場価格に影響を与えられない
2.その市場に他企業が新しく参入する際の障壁(コスト)がない。その市場から撤退する障壁もない。
3.企業の提供する製品・サービスが、同業他社と同質である。すなわち、差別化がされていない。
4.製品・サービスを作るための経営資源(技術・人材など)が他企業にコストなく移動できる。
5.ある企業の製品・サービスの完全な情報を、顧客・同業他社が持っている。

これに当てはまる条件が多いほど競争が激しく、儲かりづらい。
逆に完全競争から離れているほど寡占状態であり、安定して高利益を生みだせる。

出版社はどうだろうか。当てはめて考えてみよう。

出版業界は完全競争か

1.大小様々な出版社が存在する。どの企業も市場価格を左右するほどの影響力はもっていない。
2.個人でも参戦できる時代。参入障壁はとても低い。
3.内容の差別化はされているものの、マンガや小説といったジャンルの中での戦いであり、差別化しづらい商品といえる。
4.作家や編集者は他社に移籍してそのまま仕事ができる。経営資源の移動はしやすい。
5.商品の内容はすべて公開されてしまっている。情報は限りなくオープン。

考えれば考えるほど、儲からないとされる「完全競争」に近いのではないだろうか。

まあ正直、出版業界でも儲かっているのは一部の会社だけで、中小出版社はかなり厳しい経営を強いられているところも多いのではないかと思う。

ただ、この指標はあくまでひとつの参考値であって、企業個々の努力や経営方針が大きな影響力を持っていることは間違いない。

つまり出版業界は儲かりづらいが、儲かっている会社にはなにか秘密がある、と考えるのが良さそうだ。

第二章 取次は必要か? 取引費用理論

先日、ちょっと大きなニュースが流れた。
小学館、集英社、講談社が、丸紅と協力して、新会社を設立するというのだ。

実は、出版流通は出版社→書店の直取引ではなく、取次(販売会社)という仲卸業者を介しての商売となっている。

街中に書店はたくさん見かけるだろうが、取次はほぼ寡占状態で、日販とトーハンがシェアの70%を占める。
その他には、中央社、楽天ブックスネットワーク(旧大阪屋)などが主な出版取次の会社だ。

出版社は、数多くある書店といちいちやり取りするのが大変なので、一括で取次会社に商品を渡し、運送などをしてもらっているのである。

さて、企業はさまざまな企業と取引をすることになる。
その際の費用対効果を考えるのが、取引費用理論である。

本書では、特殊な車体を作れる製造会社が、車会社の受注を独占し、髙い価格をつけて足元を見たという事例が紹介されていた。

出版業界にも同様の問題が起きつつあった。
出版社は現状、取次に頼まないと配送ができないのだが、昨今の流通費の高騰によって、運賃をプラスして支払うように求められていたのである。

そもそも、日本の出版業界は、大量販売・大量消費という雑誌流通をもとに形成されてきた。
何百万部と雑誌が売れていた時代は良かったのだが、部数が下がり、売上率が低くなってくると、返品率の高さが問題になった。

いわば、現在の出版流通には、ただ運んでは返すというムダが多すぎるのである。

それはもちろん取次だけの責任ではないし、消費者のスタイルチェンジについていけない出版業界全体の責任だと思う。

そんな前置きがあった上で、日販・トーハンをはじめとする取次会社は自社の利益を確保するため、値上げを要求していた。

だが、経営学的には、どこかの時点で取次に頼むほうがコスパが悪いな、となるのである。
その際に企業が取れる方法は、他社に頼む、買収する、自社でまかなう、のどれかになる。

大手出版社が出資している楽天ブックスネットワークは買収に近く、今回の新会社の設立は、自社でまかなう方針の表れだろう。

取次会社としては、寡占状態でのんびりと利益を出すことができなくなり、競争が激化するので、より良いサービスの開発が求められる。

出版流通の改善は、ひいては書店の利益にもなるので、これからの出版界の発展のきっかけの一助となることが期待できるだろう。

第三章 初版は少ないほうがいい? リアル・オプション理論

ある本の製造部数をどれくらいにすればいいのか。
それは出版社につとめる人間にとって永遠の問題だ。

最初の部数を初版という。
初版の想定よりも売れてくれれば重版がかかるし、売れなければ在庫が余ってしまう。

適正な部数を作り続けるのが利益向上のキモだ。

出版社の人間は、書店からの注文だったり、著者の過去作の実績だったり、似ている本の実績だったりを総合的に考慮して、初版部数を決めている。

だけど、難しいもので大ヒット作の次の連載が全然売れなかったりするし、ぜんぜん売れてなかった作品がSNSで紹介されて大ヒットなんてこともある。

正直、出してみないとわからないというのが私の実感だ。

つまり、出版という行為は不確実性が高いのである。
そんなときに活用できそうなのが、リアル・オプション理論だ。

事業計画が不確実なとき、とりあえず初期費用をおさえてはじめてみる、というのが理論の骨子である。

イニシャルコストを抑えることでリスクを下げながら、売上の確度を上げて、徐々に実態に沿った投資をしていくという戦略だ。

この戦略は、事業の不確実性が高く、投資にお金がかかるほど有効となる。
本の製造費はそれほど高くないので、戦略はそこそこ有力という評価になるだろうか。

ただ、初版部数をいたずらに下げてしまうと、製造原価が高くなったり、売り逃しになってしまったり、店頭で十分にスペースが取れず目立たないまま終わってしまうなどのリスクもある。

マンガなどで雑誌連載→単行本化という流れは、いちど読者のアンケートで人気がわかるので、オプション理論を活用したものだといえるかもしれない。

第四章 出版社のこれからを考える 知の探索・深化

最後に、出版社が進むべき方向性について考えてみる。

本書は、企業にとって大事な方針が2つあると説明している。

知の探索はこれから来るかもしれない「新しい知の追求」である。
知の深化は「すでに知っていることの活用」である。

知の探索は、これまである知識と知識を組み合わせることで生み出される。
なので他業界や、ぜんぜん自分の関わりがなかったジャンルから着想を得ることがある。

ただ、知の探索はうまくいくとは限らない。
失敗のリスクもコストも高いので、企業にとってはチャレンジとなる。

一方で知の深化は、いまある知識を深堀りしていくので、企業にとってリスクは低い。
ただし大きなイノベーションは生まれづらい。

企業は常に新しい知識を求め、着想を得たら深堀りしていくことで、経済活動を堅固なものにしていく。

出版社としては、様々な本を出し続けること自体が「知の深化」だといえるだろう。
一方で「知の探索」にはまだまだ及び腰なところも多いと思う。

たとえば自社の強みを「コンテンツを生み出す力」だと考えているなら、原作供給の会社として作家集団を抱えてみてもいいだろうし、「作家育成の力」だと思っているなら、スクール経営などに手を出してみるのも面白い。

いかんせん新しい業態のチャレンジがしにくい業界ではあると思うが、世界中のエンターテイメント企業と競合していかなければならない今だからこそ、積極的に新たしいジャンルとのコラボをしていく必要があるだろう。


とまあ、紹介されているいくつかの経営理論を、自分なりに解釈してまとめてみた。かいつまんで読んで見るだけでも面白いので、書店で見かけたらぜひ冒頭だけでも立ち読みしてみてほしい。

久々に自分が賢くなったな―と感じられた本だった。
勉強は何歳になっても充実感を与えてくれる。実生活に役立つかどうかは、これからの自分が証明してくれるだろう。

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