見出し画像

「私、中学の時ほぼ保健室登校だったんだよね」

「私、中学の時ほぼ保健室登校だったんだよね」

題にもなっているこのセリフは、なかなかのパワーワードらしく、これを聞いた友人は大体目を見開いて「えー!?」と言う。

無論事実である。全貌を話せば「そんな大したことないじゃん」という感想を抱かれるような体験ではあるが、8月31日の夜が不安で憂鬱になっていたことは事実なので、記そうと思う。


7年前、当時中学1年生だった私は、周囲の友人と同じように学校に通うことが出来なくなった。きっかけは「塾に行きたくなくなった」からだった。中学入学と同時に入塾した塾で行われていた小テストの点数が思ったように伸びず、そのことを塾教師に厳しく𠮟られた。

小学生の時は成績も良く、学校の先生から叱られることがなかった私にとって、友人の前で何度も叱られるのはとても屈辱的なことで、徐々に塾に行くのが嫌になった。けれど、塾だけ休むことはできなかった。仲の良い友人に誘われて入塾したからこそ、「なんで来ないの?」と言われるのが怖かったのである。

必然的に、塾を休むために学校を休みたいと思うようになった。塾で小テストのある木曜日は、毎週「休みたい、休めない」の葛藤。意地でも行かなければと遅刻して登校、1限の数学は大体休み。2限の担任が担当を務める体育の授業から出席。

グラウンドに整列すると、友人が「大丈夫?」と声をかけてくれ、担任からも「大丈夫か?」という視線を得る。毎週繰り返されるその優しさを嬉しく感じつつも後ろめたさで苦笑いしかできなかった。


自分のプライドを守るために遅刻の方法にもこだわりがあった。なんとか目立たず登校したい。1限終わりの時間ぴったりに教室に到着するように計算し、授業を終えた先生が教室を出た瞬間、その場で出席した旨を出席簿に記入してもらう。2限の先生に「来たのね」と確認される必要もなく、クラスは休み時間中でにぎやかなため余り遅刻が目立たない、という寸法である。

いくら目立たないように遅刻しているとはいえ、回数を重ねることで徐々にクラスで「ずる休みだ」と陰口を叩かれていると感じるようになった。実際にはそんなことは全くなかった。皆心配して「体調悪いの?体弱かったんだね、無理しないでね」と声をかけてくれるだけなのに。その言葉全てに勝手に悪意を感じていた。

悪循環に次ぐ悪循環。友人の目が怖くなり、朝、起きようとすると心臓がベッドに縫い付けられているような感覚になって、起き上がることが出来なかった。遅れていく勉強、授業に出て指名されても問題の意味も分からない。

教室にいると、心臓が痛くなるような感覚がして、時には痣が出来るほど強く胸を叩くようになった。ほぼ毎日遅刻して登校、学校では保健室にいる時間の方が長くなるまで、そう時間はかからなかった。

自室にいたり、保健室にいたり、1人で考える時間が長くなると、漠然と将来に対する不安が広がって、徐々に、「死にたい」と思うようにもなった。実際、飛び降りようとしてベランダから身を乗り出してみても恐怖心が勝って飛ぶことなんてできないのに、不思議なもので、1日中そんなことを考えていると本当に視界に靄がかかっているかのように錯覚する。比喩ではなく、本当にどん底にいるように感じていたのである。


…と、私の中学生活は無駄にプライドの高い自分自身と戦った2年間だった。辛くて、苦しくて、死にたくて、そんな負の感情しかないからか、正直、中学生時代の記憶は全くない。恐らく脳が故意に記憶を抹殺している。

この状態から立ち直ったのは、1人の担任(遅刻していった2限体育の授業で「大丈夫か」と視線を送ってきた人)と、高校受験を機に思い出した小学生の頃からの夢、そしてとあるアーティストとの出会いのお陰なのだが、これはまた別のnoteで記載したいと思う。


この記事では、ただ1つだけ伝えたい。

「今どれだけ辛くても、何年後かに必ずそのことを笑って話せる日がきっとくる」

8月31日の夜は、当時の私にとっても不安がいっぱいで憂鬱な時間だった。でも、今は当時のことを笑って話すことができる。そんな人がいるんだな、ということだけでも、知っておいてほしい。

どんな環境にも意地が悪い人は必ず居る。自分のストレスを人に当り散らす人や手柄を横取りしようとする人、問題が起きた時に急に「我関せず」という顔をする人は特に多い。

理不尽なことも沢山ある。人の能力を好き嫌いで評価する人ならまだマシで、性別などの変えようが無い部分で評価される場所も未だにある。

そんな人がいる環境で、多くの理不尽に向き合って、辛い、苦しい、そんな負の感情になるのは当たり前のことで、別に恥じることじゃない。

逃げる選択も否定しない。逃げることは悪いことじゃないし、逃げて立ち止まっても、また歩き出すことは誰にだって出来る。

何が言いたいか、「全てを諦めないで欲しい」ということ。ただそれだけだ。どれだけしんどい夜でも勝手に日は昇るし、どれだけしんどい昼でも勝手に夜になる。

だからわかっていて欲しい、今どれだけ辛くても、何年後かに必ずそのことを笑って話せる日がきっとくるということを。

そして、当時の私と同じように「将来、笑って話せる日が来るかも」という言葉が9月1日の朝、暗闇の中の小さな光に、辛い思いをしている貴方にとっての小さな希望になっていたとしたら、これほど嬉しいことはない。

#8月31日の夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?