「気」って何だろう?
我々は、科学的に解明できていないことは、現在わかっている知識を手掛かりに推測していくしかありません。
例えば量子力学の思考実験もその一例でしょう。
そのような試みは古代から行われてきたと思われます。
それは東洋医学の体系にも見られます。
当時は臓器とその機能について、観察から類推するしか方法がありませんでした。
そして、気、血(けつ)、水(すい)という概念を打ち立て、論理を組み立てたのです。
その中で、血と水はそれぞれ血液と組織液(リンパ液も含む)の事だと理解できます(ただし、その機能は現代のものと完全には一致しませんが)。
しかし、「気」については何だか得体が知れません。
それは、いったい何なのか?
私は、当時の人々には目に見ることは出来ないが、身の回りに確実に存在していた“気体”、つまり空気だったのではないかと考えています。
呼吸が出来なければ、確実に死に至ります。
ということは、この気体の中に、生命を維持するためのエネルギーのようなものが宿っているのだと、古代の人が考えても無理はありません。
食べ物を摂取しなければ生きて行けません。
これにも、何らかのエネルギーの存在を見出したことでしょう。
そのエネルギーのことを“気”と結論付けたのではないでしょうか?
現在は、科学によってそれが、約21%の酸素と78%の窒素と1%のその他の成分で構成される大気であることがわかっています。
その結果、気という概念だけが独り歩きしてしまったのだと思われます。
現代の物理学では、もっと小さな世界に目を向けています。
それは、冒頭でも触れた量子や、さらに小さな紐(弦)で出来た世界です。
今の科学では、それを直に確かめるすべはなく、古代の人々が行ったように思考実験でしか探ることが出来ません。
私たち人類がこの世に存在する間に、そこに到達できるのでしょうか。
そこはまさしく“悟り”の世界なのかもしれません。