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漁業の「戦時統制」

2021-09-22

であう・きく・つなぐ ~あいかわの聞き書き探訪記~

こんにちは、長老大学オンライン支店スタッフのあいかわです!

今回は、Mさんの聞き書きをさせていただきました。

 Mさんとは初めての聞き書きでしたが、頭を丁寧に下げられ、にこにこと挨拶をしてくださり、わたしも緊張がすっとほぐれました。

 Mさんには、主にご家族の話を伺いました。

Mさんは高知県の沿岸部の町のご出身です。Mさんのお父様は、町のなかでも大きな網元をやっていたとのことでした。

 子どものころ、お父様と一緒に船に乗られたこともあったのだろうかと思いお聞きすると、「いや、大敷という、ああいうのをおれはやりよったけね」とのこと。

 大敷というのは、大敷網のことだそうです。定置網漁のなかでも、大型の網を使うものを指すとのこと。

 定置網漁というのは、沿岸漁業の一種で、「沿岸を回遊する魚をさえぎる「垣網」と、それに沿って誘導された魚が入る「身網(袋網)」を設置して魚を獲る。大型の漁船で魚を追って大量に獲るのとは対照的に、魚の動きそのものを読む漁法のため「待ちの漁」とも言われてきた」)といいます。

 Mさんは、画面いっぱい、身振り手振りでその大きさを教えてくださりました。

「こちらからずっと道が見えて、魚が(?)、東からのほうからきたやつがいって、沖のほうへ網をやっといて。んで、西からもきたやつも、そこに当たって、ここをずっと、また網へ入る、そういうもんです」

 ご自身は漁師にはならず、別の職業につかれたというMさんですが、漁に関して、子どものころでいちばん記憶に残っているのだろう話を、ご自身から教えてくださいました。

「カツオなんかなんぼでも、いっぱい獲れよったけね。けんど、戦争のときやったけね、昔は。魚がいっぱい獲れてもね、田んぼへ、ずうっと大きな穴を掘って、田んぼへ魚を放り込んでね」

 戦争だったから、田んぼへ魚を放り込む。Mさんのそのエピソードをお聞きしたとき、そのふたつにどういった関連性があるのか、恥ずかしながらわたしには想像がつきませんでした。「イケスのようにして、いったん田んぼのなかに放流しておくのだろうか?」と思いMさんにお伺いすると、その想像はまったくちがっていて、当時の時世がゆえだったということがわかりました。

「戦争で、配給じゃけ、売ったりできんけね、昔はね。ほいで、売りに行くわけにはいかんろ。田んぼへずうっと、放り込んだりしてね」

 つまり、せっかく獲れたカツオを、そのまま廃棄するためということでした。戦争のため、漁業にも統制、規制があり、たくさん獲れても廃棄するしかなかった魚。いま考えれば、とてももったいないと思うことであっても、国の決めたことにはかならず従わなければならなかった時代。

 いまの時代にたまたま生まれ、戦争を直接経験せずに生きることができているわたしにとっても、決して無関係なことだとは思えませんでした。戦争というものがもたらす影響を、改めて考えなければならないと思いました。

 調べたところ、長崎県のことではありますが、こちらに当時の情勢を記されたサイトがありましたので、参考にリンクを貼らせていただきます。

 昭和15年8月16日、「生鮮食料品の配給統制及び価格抑制に関する件」が発表されました。これがいわゆる卸売沿い炉市場から消費者までの流通過程を統制する「8.16要綱」といわれるもので、市場制度を全面的に変貌させるものでした。同年8月30日には、素干・煮干・塩蔵品など150余品目、11月8日には冷凍魚の公定価格の指定を行ない、生鮮魚介類の価格統制が具体的に姿を現すこととなりました。しかし、これらの統制は市場の経済活動を沈滞させただけでなく、かえって生鮮食料品の品不足と価格の高騰を促し、市場外のヤミ値・ヤミ取引を増長させる皮肉な結果をもたらしました。(※長崎魚市株式会社「戦前戦後における魚市場と漁業界」)

 聞き書きをしていると、毎回自分の知らない世界にふれるきっかけを戴けるので、本当に知見が広がり、勉強になります。

 最後に、実は骨付きの魚が苦手で、カツオもお刺身でしか食べられないと教えてくださったMさんのはにかんだような笑顔はとても素敵で、わたしも思わず笑顔になりました。そして、大敷という漁法を、高知県を訪れていつかこの目で見てみたいなと思います!

Mさん、貴重なお話を聴かせていただき、本当にありがとうございました!

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