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最初の国産自動車の第一歩:勝利58

勝利58は北朝鮮で最初に生産が開始された自動車である。1950年創立の勝利自動車工場(正式には勝利自動車連合企業所)は、1958年に第一次五カ年計画に基づき、自力で僅か40日で勝利58を製作したというのが北朝鮮の主張だ。

勝利58は外観から分かるように、ソ連が戦後すぐの1946年から1975年にかけて生産した2トン貨物トラック、GAZ-51のコピーである。元々はフォード製トラックをライセンス生産したGAZ-AAの後継として計画され、1939年にGAZ-11-51として最初の試作車が完成。翌年にテストを行い、1941年には生産される予定だったが、同年の独ソ戦勃発によりリソースが他車に割かれてしまい後回しとなった。

1945年、レンドリースによりソ連でも使用されていたアメリカのスチュードベーカーUS6が高い信頼性で評価されていたため、同様の高い水準のトラックを計画したGAZはスチュードベーカーと協定を結び、US6の工具をソ連へ送ってもらう予定だったが既に連合軍優勢に傾いていた情勢もあり、結局実現しなかった。しかし、翌年にようやく生産が開始されたGAZ-51のスタイルはUS6によく似ていた。US6と比較して車内の頭上空間確保のためやや高くなり、フェンダーは丸みを帯びたデザインに変更された。エンジンは3.5L直列6気筒ガソリンエンジンを搭載。これに4速マニュアルトランスミッションが組み合わされた。

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朝鮮戦争でも使用されたGAZ-51(KCTV)

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鹵獲したGAZ-51を鉄道軌道車に改造した米軍の写真(topwar.ru)

GAZ-51はソ連で恐らく最初にきっかりとしたユニット、組立部品を用いたトラックであり、高い品質と信頼性を実現化したことで非常に高く評価された。1951年にはポーランドでLubrin-51の名でノックダウン生産が始まり、勝利58と同じ1958年には中国でも南京汽車がNJ130としてソ連技術者の協力を得て生産。GAZ-51も好調で海外輸出が行われたものの、何度改良を加えても基本設計の古さ故に西側の新型モデルには太刀打ち出来ず、1975年に生産が終了した。

勝利58の話に戻すと、これはGAZ-51を分解、徹底的に分析してコピーしたものである。当時朝鮮戦争後で、そもそも自動車を国内で賄う工場や技術やノウハウすら満足になかった北朝鮮だったが、戦時中既に原型のGAZ-51を使用していた北朝鮮にとっては真っ先に手本にしやすい車だったのかもしれない。勝利58は外観こそほぼGAZ-51だが、エンジンフード左右に「승리(勝利)-58)と刻印が入っているのが特徴。加えてフロントグリル中央に太めの仕切りが入る点でGAZ-51と見分けがつく。1958年9月に勝利自動車工場の労働者たちに初の貨物自動車の開発という使命が与えられ、10月に最初の車両が完成、晴れて正式に生産が開始された。翌年6月には機械産業大躍進の切手の一枚にイラストが描かれた。

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勝利58生産を祝う労働者たち(わが民族同士)

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1958年12月18日、勝利58を視察する金日成(ournation-school.com)

勝利58はその後1979年まで生産が続行されたという。総生産数は不明だが非常に多く生産されたと見られ、様々な映像媒体や写真、切手絵に登場する。現在は流石に老朽化の激しさもあり見かける機会は減っているようで、一部は燃料不足のため木炭車に改造されている。なお、ディーゼルエンジン仕様とする文献が見られるが、原型のGAZ-51はガソリンエンジンのみである。また、サスペンションのスプリングが貧弱で粗悪なキャブレターのため燃費が悪く、軍での使用が制限されているとも言われているがどこまで事実かは不明。実際の人民軍ではより新しい外国製トラックが多用されている状況を考えると、旧式化が目立つ勝利58はお役御免になっている可能性はあるだろう。

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木炭車に改造された勝利58(namu.wiki)

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1973年に撮影された労農赤衛隊(現・労農赤衛軍)の勝利58。榴弾砲を牽引している(KCTV)

1979年からはマイナーチェンジ版というべき勝利58KAが登場した。KAとは「カ(가)」を意味し、朝鮮語のイロハであるカ・ナ・タ(가나다)に由来する。フロントマスクを全体的に角張ったデザインに変更したものだが、エンジンやシャシー等基本部分はそのまま踏襲している。マイナーチェンジモデル、または二代目とも言えるKAは1990年代に生産終了とされている一方で2008年、2009年にフロントデザインを改良した勝利58KAが登場しておりまだ生産が継続している可能性がある。勝利58には派生型が複数存在し、ヘッドライトを埋め込み式にした少数生産型と見られるもの、消防車型やタンクローリー型、バスタイプの平壌70が確認できる。

後述のKAと同様に海外輸出がされたと見られ、英語の広告が存在する他何らかのルートでアルバニアに輸出されたことが確認されている。

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勝利58KA(Eckart Dege)

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タンクローリー型(KCTV)

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消防車型(KCTV)

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ヘッドライトを埋め込み式とした勝利58。GAZ-51の参考となったスチュードベーカーUS6にやや近い(KCTV)

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平壌70。フロントの車名の刻印がそのまま。GAZ-51ベースのバス、GZA-651に酷似しているが車体が短い(Nick Bonner)

興味深いことに、勝利58KAはジンバブエ、ナミビアへの輸出実績がある。数少ない証拠として1990年の映画「ホワイトハンター ブラックハート」と1993年の映画「A Far Off Place」の二本に登場しているシーンがあるが、これには北朝鮮とジンバブエが交わした取引に由来するようだ。

1980年10月に訪朝したジンバブエのムガベ大統領は、金日成と双方の兵士を交換するという内容の合意書に署名した。それは、106名の軍人がジンバブエに渡り、ジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)の3500名の訓練を担当するという内容であった。更に北朝鮮は、後に虐殺により知られることとなる悪名高き第5旅団の訓練も担当し、この時の取引の一環として勝利58KAを受領したという。アフリカに渡った勝利58KAは現地の過酷な環境に耐えきれず処分または北朝鮮に返還されたとも言われているが、その約10年後の映画に登場していることから、少なくともこの時点では現存していたと思われる。「A Far Off Place」はナミビアとジンバブエ、「ホワイトハンター ブラックハート」もジンバブエで撮影したため勝利58KAの海外での貴重なカットが判明したと言える。

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「ホワイトハンター ブラックハート」(上)と「A Far Off Place」(下)の勝利58KA(IMCDb)

勝利58の四駆版として1961年から生産されたのが勝利61である。オリジナルはGAZ-51を四駆化したGAZ-63。こちらも改良型として勝利61NAが1979年に登場し、何と現在も生産が続行していると言われる。外観は非常に似ており区別が困難たが、グリルのデザインが若干異なる。また四駆化に伴い若干車高が高くなっている。四角ヘッドライト及び4×4駆動から4×2駆動としたモデルも存在する。また、荷台に多連装ロケット砲を搭載し軍事転用したものも存在し、軍事パレードや演習の映像で見られる。

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勝利61(chinesecars)

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勝利61NA(Heikki Majara)

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2012年の金日成生誕100周年慶祝閲兵式で、107mm多連装ロケット砲と恐らく対空火力誇示のために携行式防空システム(MANPADS)を搭載して登場した勝利61NA(KCTV)

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2011年9月の陸海空大規模演習で目標の島へ砲撃する勝利61NAのロケット砲(KCTV)

参考文献

朝鮮人民軍兵器識別マニュアル(すてんがん工房)

切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国-内藤陽介著(竹内書店新社)




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