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異国から異国へ(成績がすべて(1))

成績がすべて(1)

これまでの人生の中で、一回だけ、本気で自殺を考えたことがある。中国に帰国した年の、夏休みだった。

鄭州市に住んでいたぼくは、夏休みに父のふるさとである洛陽市に里帰りし、父の古い友人数人と、近くの湖に遊びに出かけていた。大人は大人で、子供は子供で遊んでいるなか、ぼくだけは、水泳ゾーンで楽しく遊ぶ友人家族の子供からできるだけ離れ、一人で動かずに座っていた。

「なんで一緒に遊ばないの?」怪訝そうに聞いてくる母。ぼくはなにも答えず、ただ首を振るだけ。何度聞いてもうんともすんとも言わないぼくに、母もしびれを切らし、「なんでこんなに強情なの!」と言って去ってしまった。

それでも、ぼくは動こうとしなかった。むしろ、去っていく母を見て、「これなら、一人で湖の飛び込んでも、誰にも見られなくて済む」と、決心さえ固めていた。そして、遠くではしゃぎまわる同世代の人たちを見て、「あの人たちに入っていっても、どうせぼくは邪魔」と、頭から離れることのない学校での出来事を思い出しながら、そう決めつけていた。

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「さっき出した問題、クラス中を見て回ったけど、解けなかったのは、張くん一人だけでした。」

水辺で死ぬかどうかを考えていた日の約一ヶ月前、ぼくは学校の教室で、上の言葉を聞いていた。言葉の主はこのクラスの担任で数学を教えるおばさん先生で、「一人だけ」と言ったときは、歯ぎしりしているようにさえ聞こえた。もちろん、先生の言葉とともに、クラス中の目線は一気にぼくに集まる。日本のときの倍以上の60人を持つクラス、視線の痛みも、それだけ増していた。あれは、中国の学校に転入した初日だった。

ぼくが転入したのは、鄭州外国語中学校というところだ。父が赴任した大学の近くにあり、レベルは鄭州市で2番目に高いと評され、なにより、日本語クラスがあったのが決め手となった。今でこそ増えてきたが、ぼくが帰国した1998年の時点で、英語以外の外国語コースを開設する中学校は全国的にも稀な存在である。ここに入れば、日本語の授業はサボっても問題ない、その分の時間を他の教科に回し、特に日本での4年間で遅れた国語と中国史などの勉強に集中させる算段だ。さらに父は、念には念を入れてとばかりに、日本ですでに中3の1ヶ月目を終えたぼくを、中1の最後の月に編入させた。

これなら、なんとかなるかもしれない、その楽観的な気分を一変させたのが「解けなかったのは、張くん一人だけ」事件であり、ぼくは不安のなかで、中1の期末テストに臨んだ。点数や順位が本人にしか知らされない日本と違って、全員の順位が読み上げられるのが中国の学校。上位陣が呼ばれた際の「おお」「すげー!」が、下位になるに連れ静かになり、上位に食い込めなかった悔しさがこんなに成績が悪いのかという恐怖感に変わった頃、ぼくの名前が呼ばれた。

「58位、張」

60人いるクラスで、1人が急病でテストを休んでしまったため、実際は59人でのランキングとなった。つまり、ぼくは下から2番目である。そんなにいい成績にはならないだろうと思っていたが、さすがにこの史上最低の順位にはショックだった。そして、なにより恐ろしかったのは、中国の学校では成績がすべてであり、成績が悪いとバカにされることを、子供の頃の経験で知っていたからである。

もちろん、同級生のなかで、バカにしていることをわざわざ口に出して言う人はいない。そこにあるのは、成績上位に話しかけても無視され、中位には「よし、バカが来た」と軽蔑の目線を投げかけられ、下位からは「仲間が増えた!」と無神経に喜ばれる生活だ。それでも60人もいるから、どのグループでもそれなりに寂しがらずにやっていけるはずだが、忘れてはいけないのが、大人の存在である。スクールカーストはその基準問わず残酷なものだが、自然にできあがった階層であるが故に、わざわざ境界線に触れる愚を犯さない限り無傷でいられる。しかし、大人は違う。境界を超越した存在として君臨する担任は、転入前の挨拶のときから、「この子ついてこれるのか?」と疑問の視線をぼくに向けてきたが、テストによってぼくに不出来の烙印が押されると、一気に潰しにかかってきたのである。

テストの次の週、掃除当番で普通に床を掃いていると、担任がいきなり目の前に現れた。

「両手でやる!片手でちんたらやるんじゃない!」

周りを見ると、みんなびっくりして手を止めている。しかし先生が睨んでいるのは間違いなくぼくだ。慌てて両手で持ち替えると、「持ち方が違う!日本ではそんなことも教えてくれないの?」と、再び大声で怒鳴ってきて、ぼくが下を向いて黙々と掃除を始めると、「フン!」と鼻を鳴らして去っていった。

ぼくのやり方がいけなかったのだろうか。しかし、みんな同じような感覚で掃除していたはずだ、なぜぼくだけが叱られる。考えられるのは、テストの成績が悪いからだが、掃除と成績に何の関係がある、そもそも怒ったくらいで成績がよくなるわけがない。なぜ担任がこんなことするのか、理解できずに呆然と佇んでいると、ファンくんが近づいてきた。

「大丈夫か?あまり気にするなよ。気にしたら向こうの思うつぼだ。」

中国の某男性アイドルを崇拝し、髪型から服装まで模倣しているファンくんは、クラスで明らかに浮いており、成績もぼくよりさらに悪い最下位だった。しかし、彼は赤点自慢をするほどそれを全く気にする様子がなく、ある種の達観した雰囲気さえまとっていた。彼の言葉に、ぼくは「思うつぼ?どういうこと?」と訊ねた。ファンくんは、しばらくの間「うーん」と悩んでから、決心したように言った。

「確信があるわけじゃないけど、今学期の初めにもこんな感じで何をやっても叱られたヤツがいたんだよ。そいつは、2ヶ月前に転校しちまった。担任はそれを狙ってると思う。だから気にしたら向こうの思うつぼだ。」
「転校したら先生にとってなにかいいことでもあるのか?」
「おまえ知らないの?先生の評価はクラスの平均点で決まるんだよ。だから成績の悪いやつが減れば自分の業績が上がるってこと。つまり、オレとおまえのようなヤツは邪魔なんだよ」

ファンくんは平然と言ったが、帰国早々「邪魔」と断言されたぼくはたまったものではなかった。また、日本での最初の1年のような日々になるのだろうか。いや、日本で最初にいじめられていた時期でさえ、「邪魔」とは誰も言わなかった。それを中国では、生徒自身が自分のことを指して堂々と言うのである。ということは、あの1年以上に最悪な時期がやってくるのだろうか。そのことを何としても否定したかったぼくは、何度か口を開きかけたが、しかし、彼に反論する材料を何ら持ち合わせていないことに気がついただけだった。

結局ぼくは、「邪魔」という言葉とともに、大量の自分には解けない夏休みの宿題を抱え、日々苦悶のなかで過ごすしかなかった。

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思い出しているうちに、いつの間にか大人たちも遊び終わり、ぼくを呼ぶ声が聞こえた。「やっぱり死ぬにはまだ早いかな」と、その夏休みで数度目となる正気を取り戻し、両親と一緒に帰宅した。そして、夏休みの宿題として書いていた日記に、日本語で次のように書いたのである。

「なんでこんなひどいこと言われるんだろう。しかも先生から。なんで誰も助けてくれないんだろう、それも先生がそういったからだろうか。非行に走るやつの気持ちも、今ならわかる。自分の存在を否定してくる世界なんて、こっちから捨てるか壊すかしかない。」

ぼくは、なぜ日本語で書いたのだろうか。中国語で書いたら、先生に提出して怒られるのを怖がったのだろうか。いや、おそらくそれ以上に、ぼくは自分の周りで唯一日本語のわかる大人である両親に、気づいてもらいたかったのだろう。親に心配をかけまいと、面と向かっては決して学校でのことを言わなかったぼくは、しかし、自分の意志に反して、助けを求めずにはいられなかったのである。

幸い、両親は気づいてくれた。だから、ぼくはまだ生きている。

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