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ぼくのなかの日本(第41回、先輩)

先輩

ここ数日、ずっと自分の中学校時代の話を書いてきた。そうなると、学校は今どうなっているのかが知りたくなるものである。あれこれ検索してみたが、阿部寛のホームページ並みの軽さを持つ学校の公式サイトには有用な情報がなにもないので、仕方なく保護者が書き込んでいると思われる口コミサイトを眺めてみることにした。そのなかの一つに、「普通の公立中学校です。ただ、校則がやや厳しく、時代遅れなところがあると感じるときがあります」と書いてあるのを見て、ぼくは思わずため息をつき、こうつぶやいた。

「やはり、あなたがいないとダメのようですね。武宮先輩。」

武宮先輩の名前は早くから知っていた。親友の前ちゃんが生徒会役員に当選した選挙で、生徒会長に当選したのが武宮先輩だ。会長としてあいさつしたとき、あの角張った顔と太い眉が、自然と威厳に満ち溢れるようになったのを、今でもよく覚えている。そして、この人の下で働く前ちゃんが、厳しい指導を受けそうだなと憐れんだ。ところが、その印象は秋の文化祭で一変する。すでに2年の後半戦に入ったぼくたち、武宮先輩は受験に備える3年だ。にもかかわらず、先輩は文化祭のためにわざわざ劇を自作した。『血塗られたナイフ』という思いっきり中二病のその劇で、先輩は呪われたナイフで気がふれた友人に惨殺される被害者役を熱演し、拍手喝采を浴びたあと、いきなり血糊付きの死体姿で立ち上がり、ゾンビのような声で会場にあいさつしたのである。大胆な演出に盛り上がる会場、そこに音楽が流れ始め、先輩はマイクが血糊で汚れるのを全く気にせず、これまた自作の主題歌を熱唱した。

文化祭後もしばらくの間、後輩たちの話題に上り続けた先輩の活躍は、それだけでレジェンド級だが、すでに文化祭の当日、前ちゃんから「武宮先輩はもっと大きなことを考えているよ。そのために今人を集めてるんだ、おまえも来てくれよ」と声をかけられていた。あの頃、選挙管理委員と図書委員を兼任していたぼくは、さらに忙しくなるのを嫌がったが、前ちゃんが再三頼み、挙句の果てに「頼む、頭のいいヤツを連れてきてくれって頼まれたんだ」と乗せられてしまったら、もう断りようがなく、文化祭から1週間後の土曜日に、先輩の言いつけ通り、前ちゃんと一緒に学校に行った。

すでに生徒会室で待っていた先輩は、ぼくたちが入ってきたのを見て、「ヘイ、アミーゴ!」と何の脈絡もなくボケてきた。初対面でどう返したらいいのかわからないでいると、前ちゃんは「いつもあんな調子だから、気にせんといて」と言い、「それでなにをするつもりなんですか」と、ボケを完全無視して本題に切り込んだ。

先輩は一瞬で笑いを取ろうとした馬鹿顔を収め、ぼくが知っている威厳のある顔で言った。

「校則を変えたいと思っている。そのために『校則改正委員会』を立ち上げる。初期メンバーは君たちを含めて5人だ。全員揃ったら改めて説明するよ。」

全くぼくの発想にないことを言われ、思わず「おまえ、聞いてたか?」と前ちゃんに確認した。前ちゃんは「校則に不満を持ってたのは知ってたけど、まさか3年の2学期で動き出すとは…」と、感心しているのか呆れているのかわからないようす。そこに他の2人も合流し、5人全員男子のむさ苦しいなか、武宮先輩は用意しておいたプリントを全員に配り、立ち上がって自分の考えを説明した。

「せっかくの土曜、時間を取らせて申し訳ない。プリントに書いてあるとおり、今日はこのメンバーで『校則改正委員会』を立ち上げたいと考えた。実は、私はこの半年間、同級生から下級生まで、個人的なルートを使って校則に関する不満をアンケートで聞いてみた。それをまとめたのがこの表だ。見ての通り、制服に関する不満が一番多く、次に髪型、化粧だ。どれも外見に関することだが、ほかのものも一部ある。みんなに聞きたいのは、まず、この委員会に参加してくれるのかということ、もし参加してくれるのなら、ここに書いてあること以外に、変えてほしい校則はあるのかということだ。」

一気に説明した武宮先輩だが、いつどこでどうやってアンケートをとったのか、全く説明がなかった。そもそもぼくは校則に何の不満もなく、制服、指定のカバンや靴などは、うちのような貧乏な家庭にはむしろ好都合だ。なぜそれを変えるのかよくわからず、参加すべきかどうか迷っていると、武宮先輩を除くほかの3人とも、参加すると即決した。「よし!」と武宮先輩、そして期待の目線を前ちゃんとともにぼくに向けてきた。まだまだ気が弱く、頼み事を断れない性格のぼくも、仕方なく「参加します」と言った。

「よし、それじゃ早速、ここに書いた以外で校則に不満があれば言ってくれ。」そんなこと言われても、不満がないのだからなにを言えばよいのかわからない。自分の番になっても何の考えも浮かばず、「いや、特にないです」と素直に言ったら、武宮先輩は首を振り、諭すように言った。

「そうか、きみ個人は不満はないんだね。ただ、周りの人は不満を持っていないか、想像してみてほしいんだ。たとえば、私がとったアンケートの回答に、『修学旅行のときくらいは私服で行きたい、できればキャミソールを許可してほしい』というのがあった。キャミソールは私も見たいが、おそらく無理だろう。しかし修学旅行に私服で行きたいというのはごもっともな意見だ。そうした周りの不満、どんなことでもいいから、教えてほしい。」

考えるべき方向はわかったが、やはりすぐには思いつかない。「今すぐはちょっと思いつかないです。ただキャミソールはぼくも見たいです」と、またもや素直に答えると、先輩は「パンッ!」と手をたたき、「それなら、いっそのこと、キャミソールで攻めてみるか!」と言い出した。すかさず「真面目にやってください!」とツッコむ前ちゃん、注意されてうなだれる先輩。その漫才コンビのような掛け合いにぼくは笑い出し、先輩はぼくの表情が柔らかくなったのを見逃さずに、真顔で言った。

「今は思いつかなくてもしょうがない。なにしろいきなりだったからな。来週もこの時間に会議を開くつもりだから、きみはそれまでに自分の考えをまとめてきてくれないか。原稿用紙1枚くらいでいいから。」

なぜ生徒会のメンバーでもない自分が、いきなりこんな面倒なことをやらされなければいけないのか、不満はたっぷりあったが、真顔の先輩の言葉は、後輩の反論を封じ込めるのに十分な威力を持った。先輩に心酔する前ちゃんも助けてくれそうにない、仕方ない、書くか。

次の週、ぼくは約束通り原稿用紙1枚のものを書き、全員の前でそれを読み上げた。聞きながらウンウンとうなずく先輩、読み終わると前ちゃんに、「この人は前ちゃんが呼んできたんだね、さすがだね、頭いいよ」と2人を同時に褒めた。謙遜する間もなく、先輩は自分のかばんから原稿用紙の束をを取り出し、「これは私が書いたものだ。みんなでまわして読んで、意見を出し合ってくれ」と言った。原稿用紙10枚くらいあるそれらは、消しゴムで修正した痕跡が無数に残っており、書いた人が苦心したのがひと目でわかった。内容はまず前文から始まり、校則改正の理由を述べた後、現在の校則のどこを変えればよいのか、どこは完全に削除すべきなのか、箇条書きで数十項目を列挙していた。こんなものがあるのならぼくたちの意見は不要なんじゃないかと聞くと、先輩はまたもや首を振った。

「違うんだ。あれはあくまでたたき台。直すべきところはいくらでもある。でも一人じゃ限界がある。だからみんなの意見を聞きたいんだ。」

先輩の本気度がわかったぼくたちのなかに、いやだ、面倒だなどと言う人はもはやいなかった。あれからも毎週のように会議を重ね、改正すべき項目一つ一つの言葉遣いまで細かく議論し合った。よく覚えているのは、「染髪を認める」と改正したときの話し合いだ。誰かが「さすがに一気に緑とか黄色までも認めるようだったら、先生も納得しないんじゃない?」と言うと、色をめぐる論争が始まった。

「それなら茶髪と黒髪を認めるとするのは?」
「それだとダークレッドとかは対象外になる。色は多すぎる、許可する色を全部列挙するのは無理だ。」
「そうか、なら『けばけばしくない色』というのは?」
「『けばけばしくない』の基準は人それぞれだしな、それに校則に『けばけばしくない』って表現はどうかと」
「別に規定しなくても常識的な色をみんなしてくるでしょ?イレギュラーがあればそのとき特例で対処すればいいし」
「いや、それはそうだけど、条文の時点で先生に指摘されそうな表現を残しちゃだめなんだよ」
……

今でも対話を鮮明に覚えているほど、あの真剣な議論は実に楽しかった。そして、2ヶ月以上の苦労のかいあって、ぼくたちは改正草案をまとめ上げ、先輩が先生に提出することになった。どんな手を使ったのか知らないが、この時までに、先輩はすでに先生から「改正案さえ出してくれれば、学校の方でコピーを作って全校に配布し、みんなに意見を聞く」との言質を得ていたのである。その案は約束通り全クラスに一部ずつ配布され、学級委員が一週間かけて意見を集め、それを確認したぼくたちの校則改正委員会が、次の週の全校集会で報告することになった。

最初の校則改正委員会の会議からすでに2ヶ月以上が経ち、3年の受験が目前に迫った。受験勉強、校則改正委員会、そして生徒会の仕事もある武宮先輩は、さすがに疲れの色が見え、威厳たっぷりよりも、淡々とぼくたちが意見をもとに再検討した改正の方向性を報告していた。文書を読み上げるだけのその報告は面白みにかけ、会場からは雑談の声が聞こえ始め、遂には先輩の声をかき消すほどになってしまった。

仕方ないよな。報告もそうだけど、みんなこんなので本当に校則が変わるって信じてないもんなーーそう相手の心情を思いやるぼく。しかし、先輩は違った。「この2ヶ月、横にいる数人とともに、がんばってきました。」と、結びのあいさつに入るかと思わせ、いきなり歌舞伎の睨みのように目を見開き、腹の底から声を出して言った。

「しかし!我々の頑張りは、決して今の皆さんのようなざわめきを誘うためではない!」

「ない」のところで声が割れるほど、先輩は激高した。いきなり怒鳴られ、文字通りシーンとする会場。先輩は視線を左から右へと一周させ、続けた。

「みなさん、私は、本気で校則を変えたいんです!私たちは、しがらみに溢れた世の中で生きているんです!そのなかで私たちに一番関わってくるのが、この校則なんです!私は日々、違和感を持っています。なぜこうしなくちゃいけないのか、なぜあれをしちゃいけないのか、なぜ私たちの暮らしはこうなのか、誰が決めたのか、変えちゃダメなのか。だけど一人で考えてもわからない。だから仲間を集めてみんなで考えて、ようやく成果といえるものを出した。いやならいい、変えなくていいならそれでいい、でも、みなさん、どうか、どうか真剣に考えてください!今違和感を感じているのは私たち5人だけかもしれませんが、いずれ、みなさんも違和感を感じる日が必ず来ます。しかし、そのときに動き出そうとしても、もう手遅れになっているかも知れないんです!」

今も心に残るこの名演説に、会場からの反応はやはり薄かった。ざわめきはなくなったが、壇上のあまりの熱量に、むしろ聴衆は冷めていく一方のように見えた。仕方ないさ、先輩、もともと2ヶ月で成果を出せるようなものではない。ぼくたちはーーいや、あなたは、十分がんばった。その思いは、ぼくたちが受け継ぎますよ。

あるいはそう声をかければよかったかもしれないが、前ちゃんによると、先輩はあの日以降、勉強のみに集中するようになり、生徒会の活動にさえ顔を出さなくなったという。声をかけたくても上級生の階に行く勇気のないぼくは、偶然会えるのを待ち続けていたが、とうとう卒業前日まで、一度も会うことはなかった。

それでも卒業当日なら必ず会える、ぼくは前ちゃんを呼び、卒業式が終わったあとに正門近くで先輩が出てくるのを待った。3年生がほぼ全員笑いと涙で帰っていったが、先輩は遅々として姿を表さない。もしかして見落としたのかと心配になっていると、ようやく遠くから見慣れた角張った顔が現れた。ボタンを袖ボタンまですべて取られてしまい、ただのボロい羽織になってしまった学ランを着ていた先輩を見たぼくは、驚きでなにも言えなかった。

先輩は、車椅子を1台押していた。その横にもう1台車椅子があり、2台の車椅子に座っているのは、先輩の両親のように見えた。

「お、君たち、ここで待ってくれたか。すまん、ボタンはもうない。」
「いや、男にボタンやってどうすんですか。」相変わらずツッコミが鋭い前ちゃん。二人はしばらく談笑し、車椅子の大人がそれをほほえみながら見つめていた。ぼくはといえば、先輩の言う「違和感」の出どころがわかったような気がして、自分が軽はずみに「思いを受け継ぐ」などと言ってはいけない気になっていた。そうして黙っていると、先輩のほうから声を掛けてきた。

「きみも元気でやれよ!期待してるぞ!」
「はい!先輩、卒業、おめでとうございます。」

ぼくは、深々と頭を下げた。

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