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ぼくのなかの日本(第26回、新しい世界)

新しい世界

1996年4月、母に伴われ、ぼくは「新入生歓迎!」と書いてある看板の横で写真を撮り、中学校の構内に入った。校門から校舎まで20数メートル、回りは黒い詰め襟と紺色のセーラー服の群れ、保護者たちも一様に落ち着いた色の正装。とても晴れやかな日に似合うとは思えない暗色の群れの上で、取ってつけたような桜が花吹雪を撒き散らす。日本のどこにでもある、中学校の初日だ。

大挙押し寄せてくる200人の新入生を迎える校舎は、左右対称の建物の真ん中の上の方に大時計を掲げ、漫画の出てきそうなくらい標準的だ。校舎を右側から回り込むように進めば、体育館と小学校とは比べものにならないくらい広い校庭が目に入る。暗色の大群のうち、保護者がまず体育館に吸い込まれ、整然と並べられたパイプ椅子の後列に座らされた。少年少女たちは校舎に入り、事前に配布された資料に載ってあった教室の前に到着すると、教室前の廊下で出席番号順に並ばせられ、整列して体育館に向かうことになった。「え?教室に入らないの?」「キャー、xxちゃん同じクラス?よかったー!」とお祭り騒ぎ、そこに「静かにしろ!」と腹の出た男性教師の怒声が響く。数秒間水を打ったように静まりかえり、今度はひそひそ声で「やだ、あれ担任?」「怖いね」とざわめき始める。新鮮感と緊張感で、誰とでもいいから何か喋っていないと落ち着かない、そんな新一年生たちだった。

しかし、まだまだ子供とはいえ、雰囲気に敏感で飲まれやすい日本人の集まりである。体育館の前に着き、なかから偉そうな老人の声が聞こえてくる頃には、みんな静かになった。保護者たちに写真を撮るチャンスを与えるためか、ぼくたちは体育館の後方から、パイプ椅子方陣の間を通り、前列に向かった。そのときの様子を母が写真に収めてくれており、制服がまだ少しだぶだぶするぼくは、母に気づかず前方を見据えて進んでいた。横に立つのは同じ小学校出身の谷さん、1時間後の教室で「よかった、最初に隣席になった人が知っている人で」とぼくに言った彼女は、成長の早い女子らしく、ぼくよりも少し背が高く見えた。

校長先生の言葉が記憶に残ることはあり得ないので、ぼくにとっての入学式は母の写真に記録された瞬間が全てだ。教室に戻ってみると、幸い怒声太っ腹中年の姿はなく、代わりにアントニオ猪木との血縁関係が疑われる顎の長い妙齢の女性がいた。「このクラスの担任の柳沢です。担当は理科、1年間よろしくお願いいたします。」そうか、理科か、体育じゃなくてよかったと安堵するぼく、そしてやっと各教科に専任の先生が付くことを実感した。

隣の谷さんもそれを実感していた。先生とクラス全員の自己紹介が終わると、しばらくの間親睦を深めるため前後左右の人との雑談タイムに入ったが、谷さんは安心したことを述べた後、「理科の先生なんだね。じゃ、社会の先生とか、国語の先生とかもいるよね?」と当たり前のことを聞いた。

「そりゃいるよね。」ぼくは頭をポリポリかきながら言った。
「ちょっとめんどくさいよね。」
「え?なんで?」
「だって、すべての授業で自己紹介するんでしょ?めんどくさいよ。」

なるほど、そういう考え方もあるのか。たしかに面倒かもーーと一瞬思ったが、ぼくにはむしろ懐かしさのほう強かった。中国では公立でも、小1から、国語、数学、体育、図工、音楽など、各教科専任の先生がいるからだ。そんな中国人の目からすれば、ほぼ全教科を担当する日本の小学校の担任はみんなスーパーマンに見える。ぼくだけではなく、数年後に中国で通う中学校の教師でさえも、「日本の小学校の先生はみんな博士号を取得しているんだって?」と確かめてきたほどだ。中国式と日本式、どちらがいいとは一概に言えないが、教科によって先生が異なり、したがって語り口や授業の組み立て方も一変する環境に慣れ親しんだぼくは、やはりすべての知識が同じフィルター経由となる日本式は合わないと感じた。だから、中学校の授業が始まることに、ぼくは期待せずにはいられず、その先にある新しい世界を今か今かと待ち構えていた。

「あとね、あたし数学苦手だから、わからないところがあったら教えてね。」自分の世界に入ってしまったぼくを、谷さんは強引に引っ張り出した。「ああ、いいよ」とぼくは答えたが、口に出した瞬間後悔した。しまった、つい素直に答えてしまった。「教えるだなんて、一緒に頑張ろう!」ともう少し謙遜すべきだった。おそらく谷さんはあとで友だちにこう言うだろう、「なにが『いいよ』だ、ちょっとくらい成績がいいからっていい気になって!」気をつけていたのに、初日からミスるなんてーー

こう考えたのには理由がある。中学校に入る前の春休み、ぼくは毎日のように出かけ、団地の周辺から名古屋市の反対側までいろいろ見て回っていて、その道中で知り合いに会うことがよくあった。ある日、団地から歩いて30分ほどのデパートの売り場でプラモを見ていると、聞き慣れた女子の声が耳に入ってきた。振り返ると、谷さん、青山さん、そして不明1名だ。3人は学校で見るのと全く違う装いをし、学校で使うのと全く違う言葉で話していた。

「青山さんってさ、中学校違うよね。不安じゃない?」
「ちょっと不安だけど、でも楽しみだよ。それにさ、うちのクラスの男子ってみんなダサいじゃん、ほかのところなら意外といいかもよ」
「キャハハ、いえてるー!」

自分も含めて「ダサい」と言われたことよりも、青山さんが「ダサい」という言葉を使ったこと自体が、ぼくにはショックだった。ぼくのイメージでは、あれはギャルの言葉だ、しかし青山さんはクラスでダントツの容姿を誇り、ぼくの母をして「この子綺麗だね!」と感嘆したほどだ。彼女に憧れた男子もいたことだろう、そんな女子が、ギャルになってしまったのだ。

あまりにもいろいろ勘違いしすぎているため、たとえ自分があの頃に戻れたとしても、当時の自分になんといえばわかってもらえるのかわからない。とにかく結論として言えるのは、立ち聞きしたあの会話によって、当時のぼくは「女子は裏で男子の品定めをする」「青山さん以下3人はギャルである」ということを認識したのである。だからぼくは、次に谷さんに会ったら気をつけなきゃと肝に銘じた。それなのに、初日からミスるとは、先が思いやられる。

そんな思い詰めた少年の気持ちを全く知らずに、谷さんは「ありがとう!」といい、ほかの人と話し始めた。ぼくは彼女の紺色の制服の背中越しに、窓の外に広がる校庭の眺め、知らない声のほうが多い教室の喧騒を聞くともなく聞き、こう思った。

「なんか、知らない世界に来たみたいだ。広い世界だな。」

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