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西伊豆の旅 ようこそ深〜い「戸田」へ(2日目)

高校の時、いつもクラスを笑かしてくれていた同級生N君は、戸田村の出身でした。まかない付きの下宿生活。今思い返すと、本人も家族も大変だっただろうなぁと、N君のことを思い出しながら、戸田の旅を画策したのでした。ようやく二日目。

泳がずにはいられない海水浴場

静かな明け方の戸田港。伊豆の海とは思えない湖のようです。耳をすませば、鳥のさえずりと外海の潮騒が聞こえます。

不発となる朝の釣りも終えて、朝食後、御浜海水浴場に行くことに…。前日に、あの浜を見たら、泳がずにはいられないということで、準備。

朝食は不動の「アジの開き」 塩辛に練り物
旅館から浜までは、徒歩5分 富士見通りから頭少しだけ夏の富士
朝8時半でも泳ぐ人は泳いでます
水着を着て海に入るのは、これまた数年ぶり 湾の奥の水光に目を奪われる 
思ったより水が冷たい! 足元には30cm越える魚も泳いでます
チェックアウトぎりぎりまで泳ぎ、最後にもうひと風呂、絶景を眺めながら

旅館「みはま」、ロケーション、食事も最高でした、女将さん曰く「いつまで続けられるか分かりません…」とのことで、今は3名で回しているそうです。戸田出身で、東京の大学出てから、戻って来て、この場所が良いなぁと年を重ねるごとに感じると。その通りです!

戸田温泉「壱の湯」

宿を後にして、戸田の温泉施設に向かいます。元々はボーリングしたところにあった温泉施設でしたが、最近道の駅「くるら戸田」というのが出来て、そちらに移設しています。

戸田、おススメの旅館「みはま」
まだできたばかりの道の駅
道の駅の館内にある「壱の湯」
広々とした浴場 海水浴の後に寄っても良し (くるら戸田HPより)

泉質はNa・Ca-硫酸塩・塩化物泉ですが、無色、無臭、Ph9.6で柔らかい感じの温泉です。露天風呂もあり、温度もそこまで高くないので長湯できます。

温泉入って、再び海岸まで、歩きます。灼熱の日差しですが、海岸まで15分程度。温泉やぐらがありますが、これはモニュメント。この近くに源泉の場所があり、今は温泉スタンド。

温泉やぐらのモニュメント

広いグランドが見えてきましたが、戸田では令和3年に小中一貫校を開校。それでも、生徒が9学年で60名。まだ、工事中の部分もあります。

グランドの脇には二宮金次郎翁が
移動中!! 背負子よりご本人が重そう~笑
私設でしょう「いいらガーデン」 静岡の方言で「ら」「だら」をつけるんです

お昼は地魚料理で!

少し早い昼食は海岸沿いの食堂で頂きます。どこも地魚やタカアシガニが看板料理です。

個人的には左でしたが、1:2で「ゆうなぎ」へ
戸田で食べられる深海ギョ
ここで見れました ノソノソ動く「タカアシガニ」 水槽に入りきらない(^^;
こちらはユメカサゴの煮つけ 刺身はブリ

ユメカサゴとは初めて聞きましたが、下記のような魚。

比較的沖合いの深場にいる赤い小型のカサゴである。古くは長崎県など西日本が産地だったが日本海、東北などでもまとまってとれ始めている。カサゴ類はすべて高級であるが、本種の釣りもの、関東では近場の相模湾産などは非常に高価だ。味は抜群によく、鍋ものや焼きものなど本種を使うことで高級感が出る。
珍魚度 :珍魚ではなく比較的一般的な食用魚。日本海西部や九州でまとまって揚がり、消費地にも流通している。少し探せば手に入る。
市場での評価: 大きくなっても全長30cmほどの中形のカサゴで、生で流通するためにやや高値。
漁法 :底曳き網、釣り
産地 :兵庫県、長崎県、福岡県、福島県、静岡県

ぼうずコンニャクの市場魚介類図鑑より
妻と娘は深海魚丼 料理前の深海魚を見せてもらいましたが、撮り忘れ… トロボッチもいます

ゆうなぎのご主人から、今は深海魚の採れるシーズンではないそうで、今は冷凍保存からの深海魚丼。饒舌な主人でいろいろ地元の話聞かせて頂きました。

お面はタカアシガニの甲羅細工

レンタサイクルで歴史探訪

さて、帰りのバスまで2時間ほど時間があり、妻と娘は冷たいもの食べ、ゆっくりモード、自分のみ、先に店を出て、レンタサイクルで戸田村を巡回することに。最近はどこに行っても、レンタサイクルがあり、便利です。

こちらの案内所でちょうど1台のみ確保 ネットで予約

様式帆船建造地

調べ不十分状態ですが、まずは近代造船発祥の場所へ。市街地と御浜岬の中間地点にあります。ここで様式造船に携わった船大工が、全国に散じて、日本の近代造船に貢献したのですから、もう戸田村のアイデンティティであり、誇りですね。

様式帆船建造地(静岡県指定史跡)この碑は大正12年に建てられる
案内板はロシア語併記 場所はココ↑
ちょうど遠くには、記念運行の大型遊覧船ちどりが汽笛と共に出帆

続けて、古い港町の路地を電動自転車で爆走。

海を治める神社
かつての船宿・民宿跡も多い
一段高い家が多い 高潮・津波対策でしょうか

プチャーチン提督宿泊所

宝泉寺 こちらがプチャーチンが泊まったお寺

当時はもっとみすぼらしかったことでしょうけど、提督以下、大変ありがたかったようです。
山側には、墓地とは別に「露国水兵の墓」がひっそりとありました。

ロシアに帰るまでの滞在の間、2名のロシア水兵が戸田で亡くなる

ところで、短期間でかつ日本人船大工で西洋帆船が出来たところは疑問でしたが、手元の書物に少し記載がありました。沈没したディアナ号にロシア海軍の機関誌があり、そこにスクーナー船の設計図があったそうです。これを参考にしたのでした。
さらに、全国にこの造船のことが噂になった部分の記載もありました。

江川代官の手代たちの世話により、造船用資材として沼津の千本松原の松を切って狩野川河口へ運び、そこから船で戸田村へ運んだ。船大工たちは設計図から見よう見真似で造っていったが、これにはロシア兵も感心し、全国の藩からも見学者が来た。
当時の戸田村の人口は三千人ほどで、五百名のロシア兵や各地の船大工や役人がこの小さな漁村に集まったわけであるから、国際社会が突如としてできたことになろう。

伊豆と世界史 桜井祥行 批評社

大行寺(日露交渉跡の地)

ここが村の南側ですが、ここから村の北側まで、走ります。これは自転車じゃないとキツイ。

続いては、日露交渉の地となった大行寺へ
こんな立派な石垣 防潮堤の役目
大川を渡れば、目的地まですぐ
大行寺 上田寅吉とは造船に関わった造船の世話掛
 ここに江戸から勘定奉行を呼び、日露和親条約の改訂を行う

こちらも、またこんな辺鄙な?ところで、国運に関わる条約の交渉を行ったのですから、驚きです。伊豆自体、昔から地続きでありながら、島流しの地として歴史に綴られておりますが、時代を動かす揺籃の地とも言えます。

樹齢不明のソテツ このサイズは間違いなく当時から生存 どんな交渉だったのか聞いてみたい

さて、ここからさらに海岸の方に進み、堤防を下っていきます。
この戸田の北側に、「松城家住宅」という重要文化財があるのでした。

戸田の北側の集落 やや古めの街並み

松城家と伊豆の長八ちょうはち

こちら、何やら和洋折衷の大きなお屋敷なのですが、こちらが「松城家住宅」。江戸時代からの廻船かいせん業で財を成した地元の豪族?名士?の館。完成したのは明治の初期。
受付を済ませると、館内の方が丁寧に概要を案内してくれました。

松城家住宅 なぜこんなところに和洋折衷の屋敷?!
門のところまで押し戻って、これ「伊豆石」の門柱

こちらは凝灰岩からなる立派な伊豆石で、この大きさは見られないとのこと(高さ9尺<約2.7メートル>)。主屋を中心に、四方に蔵がいくつかありますが、格子状の部分は「なまこ壁」伊豆でよく見られる作りです。

伊豆で有名な「なまこ壁」

さらにこの建築様式は、「擬洋風建築」(「擬」は「擬態」のギ)ということで、まだ西洋の建築法が伝わっていないときに、これまた見よう見真似で、洋風に仕立て上げた建築様式。2階のテラスもテラス風になっているだけ、下の三つある窓も手前の一つは開くのですが、残り二つは、見せかけのモニュメント。

一階は和風、二階が洋風 二階は手前の窓だけ本物 手前の障子の部分にはお風呂とトイレ
土間につながる玄関も鶴と亀の彫り物

玄関入ったところで、上をご覧ください、と言われ、何やら模様が…。
「ランプ掛けの飾りなのですが、『伊豆の長八』って、ご存じですか?」と。彼の作品です、とのこと。

玄関の天上のランプ掛けには牡丹の絵柄 漆喰で造られている

なんと、こんなところで伊豆の長八(本名:入江長八)の作品があるではありませんか!
かく言う自分も、以前に、つげさん(つげ義春)の漫画で知ったのでした。戸田よりさらに南にある松崎町が長八の故郷であり、ここの宿を舞台にした「長八の宿」という有名な作品にそのエピソードが出てきます。長八は左官屋さんですが、鏝絵こてえを芸術の域まで高めた、なんとも「伊豆」らしい人物なのです。

本当の宿の名は山光荘
つげさんもこの宿で長八の作品に出会うのでした

なぜここに、長八の作品があるかというと松城家の船を使って江戸と行き来したことが度々あったのだろうと、そのよしみで、このお屋敷造りの時に、一肌脱いだんじゃないかと。
「ご覧の通り、玄関の脇の鉄製の大きな瓶にも江戸の名残がありまして」と。もう10代の時から江戸に行って、絵の修行をしていたのです。

弘化三年?(1846年) 鋳物師 江戸深川 釜屋七右衛門
このお方が晩年の入江長八 館内DVDにて
明治・大正まで、館の前まで船が入れていたようです
釜屋 新しいですが、この住宅自体、
6年の修繕期間を経て、去年11月から一般公開
上段の間 一段高い、時代劇に出てくるような上座 プチャーチン提督の娘さんもここに宿泊
1階マエナンド
こちらのランプ掛けは「秋の実り」 柿、里芋、梨、あけび、ぶどう…、鮮やか!

二階は、畳や襖はありますが、天井やバルコニー、廊下の仕切りは洋風。

ガラス戸は大正ガラスで外がゆがんで見えます

正面右に、長八の明治6年の作品「雨中の虎」。漆喰しっくいで造られたこのような作品はお目にかかるのは初めて。構図も掛け軸のようで、凹凸もかなり繊細で、写真で伝わらないのが惜しいです。

「雨中の虎」目はガラス玉 口元に少し彩色あり
小さな引き戸にも、山水の絵
しぼり壁 漆喰を生かし布で造り上げる独特の壁
光の具合で壁面の肌合いが変化するそう
漆喰の壁で覆われた 二階 龍の間
渦巻く水面みなも 天界の龍! 

ということで、とどめの龍は小さいながら迫力満点。鏝絵に魅せられ、しばし見上げたまま。他にも何点かあり、一つの家屋にここまで多く長八の作品があるのは実は、この松城家じゃないかと。

松城家外観 素晴らしかった!!

職員の方曰く「松城家、教科書にも載らないような話なんで、知られてないんですよ」と話してましたが、いやいや、そんなことはないですよ、貴重な文化財で、戸田の財産ですよ、図録とか資料集は是非作ってください、とかなんとか話して、松城家を後にしました。
長八ファンでなくても、戸田村に来たら、立ち寄って欲しい場所です。

名残惜しい戸田

ということで一日に数本しかないバスに乗り込み、戸田村をいつまでも眺めるのでした。なんだか、故郷でもないのに、別れが惜しい戸田村。さようなら、私の戸田村、また来るら! 完

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