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『自転車屋さんの高橋くん』:山本さんという人


※2021年3月11日、3巻読了後に執筆したまま下書きだった記事の公開なので、山本さんという人物に対しての印象は現在では少し異なっていますが、公開したかったので公開。

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以下、本文です。

突拍子もないことをいうと『自転車屋さんの高橋くん』に登場する山本さん、少女漫画のヒーローみたいよなと思ったのがnoteを書くきっかけ。

実際、ともちゃんと深く関わる人物ではないのだけれど。

ああ、この発言って捉え方を変えればヒーローっぽいな?と。

ネタバレ含むため、未見の方はご注意を。

かつての「少女漫画のヒーロー」のような人

作者である松虫あられさんも明言しているように、『自転車屋さんの高橋くん』は少女漫画ではない。

けれど、これがもし定型的(2000年代頃?)な少女漫画であったなら、山本さんは「ヒーロー」であったのかもしれないな、とふと考えたのです。

というのも、山本さんとともちゃんとの会話、おもに山本さんが投げかける言葉に既視感を覚えたから。

・心配って「だれ」の?

山本さん「飯野さん あの金パツの人とは まだ友達?」
ともちゃん「えと…まあ」
山本さん「そーなんだ よかった 心配してたんだよね〜」
(2巻 第9話より)

これ、遼平くんとともちゃんの間にある空気を外から観測している読者だからこそ言えることっていうのは百も承知なんだけれど。

そのよかったって発言、どうなん?と思ったのです。
だって心配って、そもそも心配される間柄でもないでしょ?と。

けれど、ともちゃんが山本さんに気がある人だったら、
「私のこと心配してくれたんだ…」ってときめく流れでもあるなと。

その後に続くセリフも一見問題ないように思える。
人によってはともちゃんを心配して出た言葉だと思うんじゃないかな。

「飯野さんいい人だからさー ああいう人に利用されてるんじゃないかと思って」
「もう流石に俺達30歳だし 世間的に輩が恋人ってキツくない?」
(2巻 第9話より)

少なからず恋愛をテーマに取り入れている物語の中には、一見「思慮」に溢れた言葉がたくさん落ちている。

ここを無意識に感じ取ったり、自身に興味が向いているのだと思うと、多少の違和感を飲み込んでじゃあ感謝しないとな、という感情が芽生える。

ただ、それらの言葉は相手の気を自分に向かせるためのいわば道具であり、「私の気持ち」を伝えることが最優先事項で、そこには相手がどう取るかの配慮が欠けている。

恋愛を取り入れた物語であれば、相手の言動に苛立ちや違和感を覚えても相手を知る中でそれが解消されていき、好意を抱く流れは定石。

けれど、それは結果論で。
傷つけた人物と傷つけられた人物が(最初は意図せざるものだったとしても)関わり合い「誤解が解けた」という形で消化されただけで、はじまり部分はそうした「違和感」をぶつけられる側が飲み込むから関係が成り立つ。

・「好意」由来の行動に傷ついたとき

だからこそ、ともちゃんの違和感を怒りとして伝える行動が際立った。
どんな好意であれそれを盾に傷つけられた時、震えながらもちゃんと傷ついた、怒ったと伝えること。
伝えたからこそ山本さんとともちゃんは「はじまらなかった」のだけれど、そもそも違和感を飲み込んではじめる必要はまったくない。

山本さん、自分とでなく周りと合わせて生きすぎて、世間が正解とするものが自分にとっての正解になっている。

もちろん、これを書いている私にもそうした側面がある。
私が山本さんからそうした学びを得られたように、山本さんもともちゃんの言葉から何か感じるものがあればいいなと思う。

ともちゃんに向かない視線

行動は積極的なのに、山本さんの視線はともちゃんに向いていない。
世間や親、周囲の視線を気にして生きている。

ともちゃんが気になったきっかけは打算ではないのだろうけど、数々の言動によってそれすらともちゃんが「山本さんにとってちょうどよかっただけではないか」と考えさせられてしまう。

山本さんは人の悪意に鈍感ではない。
課長からのセクハラも「俺なら気にしなくていいとかそーゆーこと言っちゃってる…」(3巻18話)というあたり、ともちゃんが嫌がっているの、ちゃんとわかってる。

ともちゃんが机ドンした後も心配そうな表情を浮かべていたし、その後資料をまとめるのもフォローしにきたつもりなんだろう(結果的に失敗したけれど)。

ただ、ともちゃんがどんな人かを知ろうとしての行動が少ないし、ともちゃんが退職を決めるまで自己開示もしなかった。
それも周囲と合わせたいが動機ゆえの行動だから。

視線はともちゃんに向いていないし、ましてや山本さん自身にも向いていないのではないかと考えさせられました。
ただひたすらに周囲の視線を感じ取って、行動している。

普通にある「日常」

私はこういう人ですよ、と開示する。
あなたはどんな人?と知りたく思う。

誰かと時間を共有したり、手を取り歩いていくのであれば必要なプロセス。

誰かがいい、と言ったことをなぞるだけでは、関係を築くことは少し難しい。

まあでも誰かと関係を深くするきっかけって、最低でも片方が興味を向けられるかがとても重要な問題で。

ともちゃんも山本さんも、互いに関心を向けられなかったからはじまらなかっただけのこと。

漫画として見るからより顕著なのだけど、普通に生きていてあることなんよな。日常。

こぼれ落ちる日常の大切さに気づかせてくれる点で『自転車屋さんの高橋くん』、私にとってとても大切な作品。

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