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「なぜ私はピアノを弾くのか」考えていたアマチュア・ピアニストは、思わず涙した。

心が求めていたら、出会える奇跡。

辛いことが、有った。

そして・・・無意識に助けを求めていたのだろう、noteを彷徨っていると、坂爪圭吾サンの言葉にめぐり会えた。

真夏のここ数日、早い目覚めと共に、少しずつ彼の記事を読んでは、心の沐浴をしている。 

彼の自己紹介の記事に行きついたら、まさかの言葉「ピアノを弾くこと」が出てきた。


生きることの厳しさではなく、生きることの素晴らしさを語りたい。生きるためには嫌なことも我慢しなくちゃいけないとか、そんなもの、全部嘘だ。だから、負けるな。諦めるな。騙されるな。自分のやりたいことで生きていこうと思えば、生きていけないことはない。大事なのは、金じゃない。心だ。心があれば、案外、人生はどうにかなる。人生をピアノにたとえるなら、楽譜を読むだけが、音楽理論を勉強することだけが、人生ではないはずだ。人生とは「ピアノを弾くこと」であり、どれだけ楽譜を読んでも、どれだけ音楽理論を勉強しても、ピアノを弾けるようにはならない。美しい旋律を奏でたいのなら、ピアノの前に立つべきだ。そして、実際に弾くべきだ。何度も、何度も、練習を重ねることだ。そうすることで、いつの間にか「指が勝手に動く」ように「息をする」ように、あなたは美しい旋律を奏でる。大事なことを忘れてはいけない。ピアノは、弾かなくちゃいけないものではない。違う。ピアノは、弾けたらたまらなく嬉しいものなのだ。あの美しい旋律を、ショパンのノクターンを自分の指で奏でられることの感動は、理屈を超える。生きることは素晴らしいことだ。美しさに、手を伸ばすことだ。

私のために書いてくれていた文章のように思われて・・・なんて「単細胞」(笑)・・・気付けば、私は一人きりのリビングで、声をあげて泣いていた。

「単細胞」で良かった、と思った。自分を哀しく、愛おしく感じた。

これからの残りの人生はどうなるかわからないけれど、自分のピアノを失っても、街角のピアノでも、おもちゃのようなピアノでも・・どんなピアノでも・・・命続く限りは、弾いていよう。

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