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〈アマチュア・ピアニスト〉という蛮族がいる

偉大なピアニストで指導者だった故 中村紘子さんの名著『ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋)。

「はじめに」の中に、次のような一節がある。

 クラシック音楽という小さな宇宙の中に、ピアノという楽器を弾くピアニストという一種族が生きている。(中略)古代の蛮族の営みでも見るみたいな不思議な感慨、を、或る感動と哄笑と共に催すことがある。
   (中略)
 そしてここでも類は友を呼び、蛮族の周りには蛮族が集まる・・・

中村紘子さんの言う〈ピアニスト〉は、職業としてのピアニスト、しかも一流の、である。世界の檜舞台で活躍され、絶大な評価を確立された中村紘子さんであるからこそ、眺めることができた一流のピアニスト達。

ふと、私は思った。

〈ピアニスト〉という単語を〈アマチュア・ピアニスト〉に置き換えたら?

私たちの蛮族度 ーーー 全然、負けてなくない(笑)?


◆ 〈ピアニスト〉とは全く別モノの 〈アマチュア・ピアニスト〉


「趣味」として、ここ十年余り毎日小一時間ほど、ピアノを触っている。そもそも、子どもの頃のお稽古以来、実に四半世紀ぶりにピアノを再開したきっかけは、下の子のピアノ教室への付き添いだった。二人目の子育てにやっと少し精神的に余裕が生まれてきたのか、自分も・・・そのモノクロの鍵盤に、無性にまた触れてみたいという衝動に襲われた。そして・・・子どもと同じ先生にレッスンをお願いし、教室の年に一度の春の発表会にも出させていただくようになった。

そんな風に、私は〈アマチュア・ピアニスト〉 族の仲間入りをした。

そして・・・いつの間にか、自分と似たような人達が、周りにいっぱい居るのに気付いた。どうも、この”同類”の人口は、うなぎ登りで増えているらしい。

私のような「再開族」、それに、「大人の初心者」

実際、私も職場で意外な方から、ピアノを弾くのが子供の頃からの夢だけど、どうやって始めたら良いのかと相談された。知り合いの先生をご紹介したところ、今は熱心にお稽古に通われている。こんな風に、大人が、全く初めてピアノを始めるケースは、もう珍しくない。

最近は、巷のピアノの発表会で、必ずと言っていいほど、子ども達に混じって、そんな大人達が参加している。

これらの ”同類” たちは皆、稼業ではないピアニスト、即ち〈アマチュア・ピアニスト〉であることに、なぜか不思議なくらい誇りを持っている。

互いに切磋琢磨し、たたえ合い、労り合い、弛まず精進を続けている。

いつかプロのステージ・ピアニストにと、考えている訳でもなければ、コンクールで賞金が出る訳でもないのに・・・。彼らをこれほど熱く突き動かしているものは、一体何なのか。

不思議きわまりない〈アマチュア・ピアニスト〉の生態・・・その生命力の秘密は何なのか。

その答えが、そう簡単には見つからなくても・・・まずは世間にその存在を知ってほしい。そんな蛮族が社会の一角に、地味に、しかし必死に、超真面目に、そして、生き生きと・・・生息していることを。

◆ 今年もまたピティ・コンの熱い夏が始まった !!

我々は、毎年4月になると、授業登録を迫られる大学生達のように・・・ソワソワし始める。“コンペ” の地区予選の申込みがスタートするのだ。

その“コンペ”とは・・・ピアノを習っている生徒・学生の中で共通する、目下一番メジャーな年中行事、すなわち PTNA(通称 ピティナ、全日本ピアノ指導者協会)によるコンクール"ピティナ・ピアノコンペティション" だ。

様々な年齢やレベルに対応する各部門・級が設けられていて、初夏の頃から日本各地で予選が開催され、選抜されて地区本選、そしてお盆明けの全国大会を目指す。そこそこ熱心なピアノの先生の教室に通っている生徒にとっては、まさに”夏”といえばコレ、という程の、風物詩。

今、飛ぶ鳥を落とす勢いで、各地のコンサートやYouTubeで世界的に活躍中のピアニスト”かてぃん” こと角野隼人(すみのはやと)クンも、このコンペの最上級”特級”で、音大ならぬ東京大学大学院在籍中に(!)グランプリを獲って、華々しくデビューした。

彼のみならず、この”ピティナ・ピアノコンペティション特級”へのチャレンジを踏み台に、かの有名なショパン国際ピアノコンクールなど世界の檜舞台進出を遂げた若手ピアニストは少なくない。

この “コンペ” は、日本国内の有能な才能をいち早く見出し、世界的なピアニストに育つよう支援する為の貴重な場になっている。

そんな神聖な輝かしい ”ピティ・コン” の中に、なんと、我々〈アマチュア・ピアニスト〉の生息場所、 ”グランミューズ”部門があるのだ!!

PTNAのコンペ案内冊子(表紙)

”グランミューズ”・・・なんて魅惑的なネーミング!!

ただし、”グランミューズ”部門は、幾つかのカテゴリーに分かれている。

PTNAホームページ:ピティナ・ピアノコンペティション開催概要(2023)より
(一部部門省略)

私たちにとって重要なのは、「学歴・職業による制限」欄である。B1・B2カテゴリーの当欄は「(制限)あり※」となっていて、その内容は以下の通り。

  • 音楽大学・専門学校等のピアノ専攻で学習していないこと

  • ピアノを職業としていないこと(指導・演奏により報酬を得ていないこと)

私たちは、「音楽大学・専門学校等のピアノ専攻で学習」した人たち、いわゆるプロや「ピアノの先生」と、ここで明確に区別して頂いている。「プロとは全く別モノである」という自覚と「ある種の誇りみたいなもの」の原点である。我々はまさか、専門家ないしプロと同じ土俵に上がれるとは夢にも思いもしないし、それを目指すような不遜さは無い。

自ら言うのも可笑しいけれど・・・我々は、とっても「謙虚」な種族である。

ピアノとは関係のない生業(なぜか・・超多忙な職種がそろう)を持つ我々にとって、

  1. (何ヶ月も前から)曲選びをする

  2.  譜読みをする

  3.  日々練習をする

  4.  レッスンを受けて、修正する

  5.  暗譜する

  6.  コンペの開催日程を調べ、スケジュール調整をし、定員〆切となる前に申し込みをする

  7. (自宅から近いとは限らない)予選会場に出向く

  8.  審査員の先生方の目前で、本番の演奏をする

上のどれ一つを取っても、大仕事である。

が、我々の大半は、毎年このイベント”コンペ” に出場することを目標に、健気に練習に励んでいる。

◆ 各々が歩んで来た道から、ここに集う

私たちが子どもの頃、ピアノを習わせてもらっている子どもは今よりも多かった気がする。団塊世代の親たちにとって、特に女の子にピアノを習わせることは一つのトレンドだったようだ。

しかし、中学校、高校とへと上がるにつれ、ピアノを続ける子は減る。塾や部活との時間的な制約・淘汰もあるが・・・世間の常識として、「ピアノで進学するのでなければ、辞めなさい」というのが色濃かった時代だった。

その暗黙のプレッシャーを無視して何とか止めるのを先延ばしにしていた私だったが、自分の気持ちにケジメを付けるため、先生の勧めてくれた某コンクール(当時の唯一の学生のコンクール)に高二で挑戦し、敢えなく予選落ちして、きっぱりとピアノに終止符を打った。

この時は、もう、将来ピアノを弾くなんて事は想像すらしなかった。以後、勉強に専念して一般の大学に進学すると、慎ましい下宿生活の中に、ピアノの余地は無かった。

もしかすると、必死で探せば、何か続ける手立ては有ったかもしれない。しかし、そもそも・・・ピアノを習っていた頃も、そんなにピアノを弾くことを心から楽しんだ事は無かった。だから、自分がそれほどピアノ愛が強いという自覚も無かった。子どもの頃は、ただ途中で「やめる」のが何だか悔しくて、続けていたのだ。

そうして、「ピアノを弾く人」ではない月日が巡り巡って・・・25年が経っていた。それが再び「ピアノを弾く人」に変わったのは、先述の通り、突然、身に降りてきた「ピアノを弾きたい」という衝動を自身の中に認め、実行に移したからだ。


色んな憧れや夢を見ても、実行に移すのはなかなか勇気がいる。今の自分を取り巻く環境、その均衡を取り直すのはなかなか面倒なことだから・・・。

親に生活を依存している子どもの頃とは違い、我々社会人は自らの責任で日々、生活しているからこそ、その折角成り立っている均衡に手を加えることはリスクも伴う。

自宅にしろ貸しスタジオにしろ、ピアノを弾ける空間の確保や、レッスン代等のそれなりの費用と、そして確実に練習時間を割かなければいけないピアノ生活は、仕事や家庭生活にも影響する。

経済的事情については、各自差があるが、練習時間の制約・空間確保については大体皆、同じようだ。本業の仕事を終えてからの練習だから、せいぜい長くて毎日1時間。週末しか弾けないという人もいる。時間帯は夕飯後の8時、9時頃までというのが大勢。音が響いてご近所に迷惑をかけないよう配慮は欠かせない。

そうした日々を重ねての、年に一度のメジャーな力試しの機会、それがピティ・コンである。逆に、それが有るからこそ、日々の練習すなわち時間と空間のやり繰りをサボらずにしなきゃ、と思えるのだ。

◆運命の本番に臨む

さて、予選。各地、猛暑の頃である。電車に乗って、駅からも離れていたりすると、お年頃にとっては本番前にひと汗もふた汗もかいて疲労してしまう。

ピティナはピアノの指導者の協会組織なので、地域の支部が予選を運営している。受付をしている支部の先生が、互いに再会の挨拶を交わす私たちを見て、「同窓会みたいね」と笑われるくらい、参加者の何割かは毎年の常連だ。お互い元気に今年もやって来たね、と、無事を確認し、喜び合う。

そうは言っても、コンペである。何度経験しても、その緊張感は半端ない。どうしてまたコンペなんぞに申し込んでしまったのかと、毎年、来る度に後悔し、自分をなじる。「絶対、身体に悪いよね?」と、心で呟く。私の場合は、必ずお腹の調子がおかしくなる。

本番に足が攣って、ペダルが踏めなくなるのが一番怖い、という人。仕事柄、日頃から腰痛の心配を抱えている仲間。最も肝心の手指の不調は、深刻だーーージストニア、ばね指、腱鞘炎 etc.。若い人が思いもよらないようなリスクが、私たちには身近に迫る。だから、「五体満足」で当日参加できるのは、本当にそれだけで「有難い」ことなのだ。


自分の演奏順が来るまでの間、次々と色んなことが頭をよぎる。大抵は、家族のことや、先生のこと、また友達のこと。自分のピアノ生活を支えて応援してくれている人たちだ。

そして、今日この時間、この場に来れたことは奇跡だという感動に至る。

想像してみてください。毎日、同じ曲ばかり、しかも明らかにプロの演奏とは違う拙いデコボコした癖のある演奏が、否応なく耳に入ってくるのを容認してくれる奇特な家族やご近所の方々。もうお世辞にも可愛いとは言えない、将来のピアニストへと成長することを期待もできない”いい年した”生徒を、優しく丁寧に導いてくださる師匠。発表会など人前で弾ける機会があれば、聴きたいと言ってくれる友人達。

そういう身の周りの人々に恵まれているからこそ、ここに自分が来れていると思う。その恩恵に報いたい、応援してくれている皆んなに良い報告をし喜ばせたい、という気持ちが沸き上がる。不甲斐ない結果に終わるのは、申し訳なさすぎると、思う。

しかし、そんな熱い思いが、本番に良い演奏に繋がるか、あるいは空回りに終わってしまうのか、は、毎回、いつも紙一重だ。色々と精神的に落ち着けるようイメージトレーニングも重ねるが、会場で初めてのピアノに触り、鍵盤からいつもと違う反応や音が返ってくると、動揺する。一つのミスがミスを呼び、暗譜が飛んでしまったりする。何とか続けられればまだしも、音楽が止まってしまうのは最悪である。

とはいえ、予選の演奏時間は、大抵、物の5、6分程度なのだ。私たちにとっては、されど「運命の5、6分」なのである。

◆ アマチュアが、ピアノを弾く意味

子どもの頃、例えば発表会の曲を与えられても、メジャーな曲でなければ、参考にできるプロのレコードは手に入るとは限らなかった。ピアノの先生が、レコード名鑑で調べて街で一番大きいレコード店に発注しておいてくれたのを何日も待ち、ドキドキしながら受け取ったのを思い出す。

それが今や、星の数ほどの音源に簡単に手が届く。自宅にいながらネットで検索・購入し、数秒後にはダウンロードして聴けるのだ。そんな世の中だから、プロの演奏も巷に溢れていると言ってもいい。そして切磋琢磨の結果、また、音響技術の向上で、それら音源のレベルは、どんどん高くなっている。ほぼ聴きたいものをいつでも聴ける環境になったのだ。

それならば、いったいどうして、私たちが、下手なピアノを弾くんだろう? 若い素晴らしい才能が次々と出現してくる今の世で、老いてくる身体に鞭打ち、時間を工面し、周囲の人たちに迷惑もかけながら・・・。そして、何ヶ月か練習してやっと一曲、辛うじて、何とか一通り弾けるようになるかどうか、なのだ。


そんな迷いと周囲への申し訳無さを抱えて、私たちは「慎ましく」ピアノを弾いている。「それでも、ピアノを弾いている」という自負を持っている。もしかしたら、それは一種の開き直りなのかもしれない、とも、思う。

ある本番の後、自分の演奏がどうだったのかわからないまま脱力してロビーに出た私に、若い学生らしき女の子が駆け寄って来た。「ショパンのノクターン、素晴らしくて、涙が出ました。」実は、闘病中の友人を想い、祈る気持ちで弾いたのだった。自分の弾くピアノで、人に何かを届けることができるんだ・・・そう思えた。

恐らくそれは、プロのピアニストの演奏とは異なるモノなんだろうと思う。

一度に何曲も取り組むことができないアマチュアが、専念する大切な一曲を、膨大な数のピアノ曲の中から選び、愛しんで、仕上げる。今までの人生での様々な経験の記憶や感情をその曲に込め、真摯に表現しようとする。人に「何か」を伝えたいと、願う。

技術的に拙くマイナスからのスタートであるのは、百も承知だ。そして、何かを伝えるためには、拙さを少しでも克服していかなければならないと知っている。

・・・たった一曲を弾くのに、例えばラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」では・・・二万八千七百三十六個のオタマジャクシを、頭と体で覚えて弾くのである。それもその一音一音に心さえ必死に籠めて・・・。すべてが大袈裟で、極端で、間が抜けていて、どこかおかしくて、しかもやたらと真面目なのは、当たり前のことではないだろうか。

中村紘子(文藝春秋)『ピアニストという蛮族がいる』はじめに より

オタマジャクシの数は、比べ物にはならない。だけど、やっぱり・・・私たち〈アマチュア・ピアニスト〉も、大袈裟で、極端で、間が抜けていて、どこかおかしくて、しかもやたらと真面目な蛮族、なのだ。

   

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