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008_白面

 夕日が、地平線へと沈んでいく。日の終わりの眩さは、ほんの一瞬だった。

 暮れたばかりの濃紺の空には、宵の明星が輝いている。

 ウォルターは、ランプの明かりに照らされた執務室で、調書とにらくらをしていた。

 サミュエルとエドワードが革新派の裏拠点で拘束した連中は、革新派の一味ではなく、デイジー&ステイシー商会に雇われた用心棒だった。当然、末端の用心棒が知りうる情報など、たかが知れている。

 一方で、大きな収穫もあった。裏倉庫から、ウォルターの読み通り、密造銃がたくさん見つかったのだ。

 革新派は、それらを使って一体何をするつもりだったのか。

 用心棒たちは、当然、知るよしもない。

 知っているとしたら、唯一現場から逃げ出した男だけだろう。用心棒たちは、彼のことを、商会の代表者、ジャック・ステイシーだと話していた。

 ただし、サミュエルの銃撃を躱し、速やかに撤退を選べる人間が、一般市民であるとは考えにくい。

「はてさて、相手はどう出るか……。」

 ウォルターは、細葉巻をふかしながら、天井を仰いだ。

 万一に備えて、サミュエルとエドワードは、今回の調査任務から外している。

 そもそも彼らは、ルシアが、まだ王女だった頃から、彼女専属の近衛騎士だ。当然の差配ではあるのだが、あの二人であれば、何があっても女王を守り切るだろう。

 問題は、鍵を握るジャック・ステイシーの行方だ。

 残念なことに、ここ数日の調査では、はかばかしい成果は上がっていない。

「だ、団長!」

 ウォルターが思索に耽っていると、廊下から響く、地鳴りのような足音が、ウォルターの意識を現実に揺り戻す。

 開け放たれた扉から慌ただしく転がり込んできたのは、息を切らしたバーニーだった。

「バーニー君、まずは落ち着きたまえよ。」

 ウォルターは、細葉巻を念入りに消すと、革張りの椅子から立ち上がった。

 バーニーは、床にうずくまったまま、肩で息をしながら苦しそうにむせ込んでいる。

 きっと、長い間大急ぎで走り続けてきたのだろう。

「す……すみません。ありがとう、ございます。団長。」

 ウォルターは、バーニーの背をさすると、彼の手を引いて立ち上がらせた。

「うん。それで、そんなに慌てて、どうしたのかね。」

「み、見つけました! 右手に怪我をした男!」

 バーニーは、切れ切れの呼吸を整えると、すがるようにウォルターの腕を掴んだ。

「ほう! ついに当たりを引いたな、バーニー君!」

 ウォルターは、快哉を叫ぶと、両の手を打った。

 バーニーは、仕事ぶりは丁寧だが、大きな成果を上げることもない。穏やかな性格も相まって、普段は、目立たない青年だ。

 だからこそ、彼は近衛部隊で輝く人材だと、密かに期待していたのである。

 ウォルターは、ねぎらいの言葉の代わりに、バーニーの赤い癖っ毛を、くしゃくしゃと撫で回した。

「それで、場所は?」

「十三番街の路地裏にある、古いアパートメントの二階です。一番奥の古い建物でした!」

 乱れた髪を直しながら、バーニーは、背筋を伸ばして元気よく答えた。

「人相は、もちろん覚えているだろう?」

「ばっちりですとも! 二十代前半くらいの、若い男でした。肩くらいの金髪で、ウェーブ髪の、びっくりするくらい綺麗な顔の青年です。」

 バーニーは、親指をぐっと上げると、自信たっぷりに答えた。

「よろしい。ならば、向かうとしよう。」

 彼が人相を覚えているならば、問題はないだろう。

 ウォルターは、バーニーの肩を軽く叩くと、颯爽と部屋を後にした。

 

 

 

 日の暮れた路地裏には、ぽつりぽつりと明かりが灯っていた。

 薄暗がりの中、ウォルターは、バーニーとベンを引き連れて、込み入った迷路を駆け抜ける。

 十三番街の裏通りの奥に鎮座する建物は、たしかに、人が住んでいるのか疑いたくなるほどに朽ち果てていた。

 三人は、物音を立てないよう慎重に、二階へ繋がる内階段を上っていく。

「この部屋で、間違いないかね? バーニー君。」

「はい!」

 ウォルターは、バーニーに確認するや、そっとドアノブに手を掛けた。

 どうやら、鍵は掛かっていないらしい。

 注意深く様子を伺いながら、三人は、一気に部屋に突入した。

「……いませんね。」

 バーニーは、構えを解くと、口惜しそうに眉根を寄せた。

 がらんどうの部屋には、静寂だけが、もの悲しく横たわっている。

 家具と呼べるのは、簡素なベッドと、サイドテーブルくらいのものだ。壁際に設えられたちいさな暖炉は、ほのかに煤の匂いを放っている。

「ベン君、頼めるかね?」

「お任せを、団長。」

 ウォルターの指示に従い、ベンは、部屋の検分を始めた。

 細かい証拠を探させれば、近衛の中でも、ベン・ファーカーの右に出る者はいない。

「すみません、団長。オレがもっと早く報告出来ていれば、逃げられずに済んだのに……。」

 男をみすみす取り逃がしてしまったことに、責任を感じているのだろう。

 バーニーは、短躯をいつも以上に縮こまらせて、悄然しょうぜんと俯いていた。

「いや。戦闘に慣れている相手だ。その分、見切りも早い。既に逃げているのは、予想通りさ。君の責任ではないよ、バーニー君。」

 ウォルターは、宥めるように、バーニーの頭を軽く撫でた。

 仮に報告が早かったとしても、とっくに逃げていただろう。

 サイドテーブルには、飲みかけの紅茶がそのまま放置されているし、ベッドの上の布団は、乱れたままだ。

 部屋の主が、慌てて出ていったことは、明白である。

「……おや?」

 ウォルターが部屋を見回していると、暖炉の中に、燃え残った紙片が顔を覗かせていた。

 逃亡前に、暖炉に放り込んだのだろうか。既に火は消えているが、わずかに熱が残っている。

 ウォルターは、暖炉から、そっと燃えさしの紙片を拾い上げた。

 どうやら、書き損じの封筒であったらしい。

 送り先までは、燃えてしまっていて分からないが、差出人は、ジャック・ステイシーとある。勿論偽名なのだろうが、ここにいた人物が、商会の代表を騙り、革新派を煽っていた男と見て、間違いない。

「団長。奥に何かあります。」

 そのとき、ベッドの周囲を調べていたベンが、静かに声を上げた。

 ウォルターは、大股で彼に近寄ると、ベッドと壁の隙間を覗き込んだ。

 ベンの言うとおり、奥の方にちらりと、硬質なものが見える。

 ベッドを動かして取り出してみれば、それは、見覚えのある、白い仮面だった。

「なるほど、ね。……これで分かったよ。」

 ウォルターは、細葉巻に火をつけると、煙と共に溜息を零した。

 脳裏に、鷲のように鋭い目を、にたりと歪める男の顔が過ぎる。

 革新派の後ろ盾は、思ったよりも大物だ。事が大きくなる前に、処理させてくれるなんてことは、あの男が絡んでいる時点でないだろう。

 これは、かなり厄介なことになりそうだ――。

 螺旋を描いて昇っていく紫煙は、いつも以上に重々しく、空気に溶けていった。

 

 

 

 金糸の髪を弾ませながら、コリン・フォレットは、飾り立てられた廊下を駆けていく。

 焦りだけが、彼の足を辛うじて動かしていた。

 廊下の角にある一際豪奢な扉を開くと、更なる別世界が広がっている。

 煌びやかな晩餐会の席は、歓談に耽る客たちで、ごった返していた。

 宴席を彩る女性の姿は、どこにも見当たらない。あの方にとっては、それさえ、余興の一つなのだ。

 客たちは、めいめい飾り立てた仮面で、顔を隠している。

 きっと彼らは、相手も分からないまま、これから爛れた夜を過ごすのだろう。

 コリンは、脇目も振らずに、一直線に人混みを抜けていく。

 彼らの視線が、自分に集まっていることなど、今はどうだっていい。

 コリンは、晩餐の席の中央で、優雅にブランデーを呷る男の許へと駆け寄った。

 色の薄い銀髪の下、晩餐会用に拵えた紅の仮面から覗く琥珀色の瞳は、楽しげに、客たちの痴態を伺っている。

「アンブローズ様!」

 コリンの悲鳴にも似た声に、アンブローズは、くるりとこちらに顔を向けた。

「……仮面はどうした・・・・・・・、コリン。」

 アンブローズは、歓楽のひとときを邪魔されて、あからさまに不機嫌な声を上げる。

 鷲を思い出させる鋭い眼光を前に、コリンはようやく、己の失態に気がついた。

 大慌てて逃げてきたせいで、白面騎士団員の証である仮面を、置き忘れてきてしまっている。もしかしたら今頃、王立騎士団の連中に、見つかっているかもしれない。

 コリンは、居竦められたように、ごくりと唾を呑んだ。

 賑やかなはずの晩餐会の喧噪は遠く、コリンの耳には、なにも聞こえない。

 宵の空に浮かぶ月だけが、冷たく、二人を照らしていた。

Knight Brothers 008_白面

前話:007_奔れ
次話:009_王者の威風


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