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009_王者の威風
雲間から、穏やかな朝日が注いでいる。静けさの中、梢を揺らす風は、落ち着かない様子で窓を叩く。
サミュエルは、エドワードと共に、執務机にもたれかかっているウォルターの言葉を待っていた。
「バーニー君は、お手柄だったよ。おかげで、革新派の裏にいるのが何者か、確証が取れたからね。」
連日の地道な調査の甲斐あって、バーニーが、商会の代表者を騙るジャック・ステイシーの居所を掴んだという。
ウォルターの口ぶりから察するに、バーニーの活躍で、決定的な証拠を見つけた、ということなのだろう。
ウォルターは、無言で、引き出しから白い仮面を取り出した。
机の上に乗せられたそれは、サミュエルも、一度は目にしたことのある代物である。
「白面騎士団……。モントール公が絡んでいると?」
サミュエルは、ぽつりと呟くと、眉宇を曇らせた。
ミーティアにある騎士団は、なにも王立騎士団だけではない。この国の中でも、有力貴族は、お抱えの騎士団を置いていることがある。
モントール公カーティス麾下の白面騎士団は、その中でも、名の知れた騎士団だ。
その名の由来は、騎士団創設時の団長が、公爵より栄誉の証として白面を賜った故事に由来するという。
揃いの白面をつけた騎士の居並ぶさまは、さながら仮面舞踏会のような異質さがある。
「非常に厄介なことに、ね。」
ウォルターは、細葉巻に火を点けると、煙と共に言葉を吐き出した。
苦々しい思いが、煙越しに伝わってくる。
「陛下の叔父君が、なんで……。」
エドワードは、悲しげに、眉根を寄せて肩を落とした。
肉親の策謀を、ルシアが知ったなら、さぞ嘆くであろう。
想像するだけで、サミュエルも、自然と心が重くなる。
「目的は、目下調査中だよ。だが、ジャック・ステイシーの正体は、分かった。」
ウォルターは、数枚の写真を取り出すと、机の上に並べていった。
サミュエルは、じっくりと写真を眺めた。
騎士団の制服に身を包み、仮面を手にした年若い青年である。金糸の髪は、柔らかな弧を描き、抜けるような白肌を引き立てていた。前もって知っていなければ、女性かと見紛うほどの美貌である。
「白面騎士団員、コリン・フォレット。年齢は二十二歳。孤児院育ちで、団長のアンブローズ・ヒースコートに拾われて入隊したようだ。」
ウォルターは、指で写真をとんとんと弾きながら、端的に情報を開示した。
コリンについては、サミュエルも、噂すら聞いたことがない。
一方の騎士団長アンブローズは、面識こそないが、社交界では有名である。
遊び好きの享楽主義者である一方、仕事には、一切の私情を挟まない。
白面騎士団の団長は、伝統的に、貴族の子弟が就任していた。ヒースコート家は、オルブライト家と同じく、代々騎士の家系である。本来なら、副団長がせいぜいだろう。
しかしモントール公は、アンブローズの冷徹な仕事ぶりに信を寄せ、彼の兄に爵位を与えてまで、団長の席に着かせたという。
「今頃、アンブローズの許に逃げ帰っているでしょうね。」
「おそらくね。報告を受けてすぐ現場へ向かったが、既にもぬけの殻だったよ。この仮面と、ステイシー名義の封筒が残っていなければ、暗礁に乗り上げてしまっていただろうがね。」
ウォルターは、天井を仰ぐと、気怠げに煙を吐き出した。
白面騎士団も問題だが、彼らの残した革新派の火種が、消えたわけではない。
きっと、ここからが正念場だ。ひとつひとつ、慎重に、問題を取り払わねばならないだろう。
吐き出された紫煙は、渦を巻いて、虚空を上っていく。
サミュエルは、それを眺めながら、思考の海に沈んでいった。
爽やかな緑風に、紅茶のベルガモットが優しく薫る。
麗らかな午後のティータイムは、いつも通り、つつがなく過ぎていく。
サミュエルは、ルシアとエドワードの何気ない会話に耳を傾けながら、ウォルターの話を思い返していた。
白面騎士団は、相当に骨の折れる相手だろう。革新派の動静が不安定な状態で、彼らと対峙するのは避けたいところだ。せめて、革新派に対しては、先に一手打っておきたい。
いろいろな考えが、頭を過ぎっては、消えていった。
「二人とも、この間は大活躍だったそうじゃない。」
不意に、拗ねたようなルシアの声が、サミュエルを現実に引き戻した。
「この間、とは?」
いったい、なんのことだろうか。思考が、追いついていかない。
「まあ、サミュエルったら。とぼけないで頂戴。革新派の裏倉庫、二人で制圧してきたと聞きましたわよ。」
小首を傾げたサミュエルに、ルシアは、ぷくりと頬を膨らませた。
「ルシア様、それは、その……。」
エドワードが、釈明しようと必死に声を上げる。しかし、焦るあまり、言葉が出なくなってしまったらしい。
エドワードは、困惑したように眉を下げると、救いを求めるように、サミュエルに視線を寄越した。
ルシアも、じっとりと、サミュエルを睨み据えている。
「隠し立てて申し訳ございません、ルシア様。確証のない段階で、あなた様の気を、煩わせたくなかったのです。」
サミュエルは、素直に頭を下げた。
理由があったとはいえ、弁明の余地はない。
「あなた達は、とても優しいわ。ですが、この国のことで、わたくしが心を砕かなくていい問題などありません。」
ルシアは、ちいさく笑うと、真っ直ぐな目で、サミュエルとエドワードを見返した。
亜麻色の双眸には、王としての強い覚悟が滲んでいる。
こんな目をされては、女王の騎士である以上、敵うはずもない。
「……革新派は、歴史を辿れば、階級社会や王政に異を唱えるクラブでした。それは、ご存じのことかと思います。」
サミュエルは、腹を括ると、重い口を開いた。
「ええ。今では慈善活動をしている、穏健な団体になっていますけれど。」
サミュエルの言葉に、ルシアは、こくりと頷いた。
「最近になって、革新派は、不穏な動きを見せておりました。それで、内密に探っていたのです。」
「そうでしたのね。なにか分かったことはありまして?」
ルシアは、得心のいったように頷くと、紅茶を一口啜った。
「はい。……どうやら、白面騎士団が絡んでいるようです。」
これを、彼女に伝えるのは、苦渋の決断だった。それでも、王として問われれば、騎士として、答えない訳にはいかない。
「そう、叔父様が……。わかりましたわ。」
ルシアは、嘆くように眉宇を曇らせた。
しかし、それも、ほんの一瞬のことだった。
「ルシア様?」
矢庭に立ち上がったルシアを、サミュエルは呆然と見上げた。
「革新派のクラブハウスに行きます。二人とも、支度なさいな。」
ルシアは、さも当然のように、淀みなく言い切った。
「な、何を仰って……! ルシア様が出向くべきではありません。まだ銃を隠している可能性もあるのですよ!」
サミュエルは、我を忘れて声を荒らげた。
女王自ら敵の本拠に乗り込む意味を、彼女は理解しているのだろうか。
「わかっています。だから、あなた達と一緒に行くのです。王たる者、危ない橋も、民草のためには渡る必要がありますもの。」
痛切な騎士の制止にも、彼女の意志は、揺るがない。
「ですが……。」
「兄様、俺は、良いと思う。いつも通り、ルシア様をお守りすればいいだけのこと。それに、女王陛下直々に話をすれば、分かってくれるかもしれない。」
なおも翻意を促そうとしたサミュエルの声を、エドワードの固い声が遮った。
「エディまで……。」
たしかに、エドワードの意見にも一理ある。
どんなに頑なになっていても、彼らは、ミーティアの未来を想って動いているのだ。
同じく、ミーティアを想い、動く女王の言葉であれば、届くかもしれない。おそらく、他の誰の声よりも、胸に響くことだろう。
しかし、これが危険すぎる賭けであることに、変わりはない。
「……分かりました。ルシア様、目立たぬようお召し替えを。それから、我々からは絶対に離れないこと。……よろしいですか?」
サミュエルは、深い溜息をつくと、渋々頷いた。
一度こうと決めたルシアは、梃子でも動かない。彼女が幼い頃から、サミュエルは、よく知っていた。
「ええ。勿論ですわ。」
ルシアは、はっきりと頷くと、颯爽と歩き始めた。
最悪の事態が、脳裏を過ぎる。
そんなことは、起こりえない。起こさないために、自分はここにいるのだ。
サミュエルは、裾を払うと、覚悟を胸に、女王の背に従った。
薄曇りの空は、ほのかに群青の肌を覗かせる。
王都の中でも一際華やかな四番街に佇む革新派のクラブハウスは、珍しい客人を前に、にわかにざわめいていた。
会議室には、クラブハウスに居合わせた革新派のメンバーが、かき集められている。
「王立騎士団の諸兄が、どういった御用向きで?」
サミュエルの前に進み出たのは、革新派の代表を務める壮年の紳士だった。
彼は、素知らぬ顔で、さも不思議そうに、問いを発する。
「今日は、すこしお話がありましてね。」
サミュエルは、彼の警戒心を解くように、鷹揚な笑みを浮かべた。
二人の後ろから、ルシアが、一歩前に出る。
騎士団の装束に身を包んだルシアは、長い銀髪を高いところで束ね、威儀を正して微笑んでいた。
ルシアが濃紺の長外套の裾を翻して壇上に上がると、二人は、両翼から革新派の動静をつぶさに監視する。一分の隙も見せぬよう、集まった人々に、じっと目を凝らした。
「ごきげんよう、皆様。突然の来訪にも関わらず、迎え入れて下さったこと、感謝致します。」
ルシアは、壇上から、にこやかに挨拶をした。
突然の女王の登場で、会議室に、ひりつくような緊張感が走る。
彼らが騒然とするのも、無理からぬ事だ。
ここまでの道中で目立たないよう、騎士団の制服を纏っているとはいえ、この国の臣民で、若き女王の顔を知らない人などいない。
「あなた方が、後ろ盾を得て武器を取ろうとしていたこと、わたくしは、胸の潰れるほどに悲しかった。あなた方にそのような道を選ばせてしまったのは、王たるわたくしの、力不足だったのでしょう。」
ルシアは、悲しげに目を伏せた。
きっと、これは彼女の本心からの言葉なのだろう。
ルシアは、再び顔を上げると、静まりかえった群衆に向けて、滔々と言葉を重ねていく。
「ですが、これだけは、お伝えしたいの。彼らは、自らの野心のために、あなた方を利用しただけです。身分制度を廃し、平等な世を作りたいなんて、彼ら、きっと言っていなかったでしょう?」
群衆は、ルシアの問いかけに、と胸を突かれたように顔を見合わせた。
サミュエルとエドワードは、そんな彼らの声に、じっと耳を澄ませる。
群衆は、口々に、そういえば、と小声で語り合っていた。
「二千年続いた社会制度を変えるのは、難しいことです。わたくしは、王統を継いだもの。あなた方とは、相容れぬ存在に見えるでしょう。ですが、貧しき人も、あなた方も、等しく我がミーティアの民です。民の苦しみは、わたくしの苦しみ。どうして放っておくことが出来るでしょうか。」
「陛下……。」
議場の真ん中で、代表者の男が、わなわなと震えていた。零れんばかりに見開かれた両の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「あなた方の罪は、贖って頂かなければなりません。ですが、違えた道を、戻ることは出来ます。どうか、わたくしと共に、民の苦しみを救ってはくださらないかしら。」
ルシアが、壇上から彼らに手を差し伸べると、誰からとなく、ぽつり、ぽつりと拍手が巻き起こる。それは、やがて喝采となり、議場を呑み込む熱狂へと変わった。
ルシアの演説が終わるや、エドワードが、すかさず彼女の脇を固める。
サミュエルは、感激覚めやらぬ様子の代表者の肩を、優しく叩いた。
「ご同行、願えますか?」
「……はい。」
代表者は、心ここにあらずという顔で、静かに頷いた。
これで、革新派については、心配しなくても済むだろう。ひやひやはしたが、ルシアの筋書きのない真摯な言葉は、しっかりと彼らの胸に響いたに違いない。
「すみません、陛下、騎士様方。」
去り際に、ふと、背後から、遠慮がちな声が掛かる。
三人と同行者は、ぴたりと足を止めた。
「なんでしょうか?」
サミュエルは、くるりと振り返ると、穏やかに微笑んでみせた。
色の薄い銀糸の髪をきちんと整えた、物腰の低い紳士が、居心地悪そうに佇んでいる。
「私は、シャウラ男爵、ブライアン・ヒースコートと申します。私の知っていることを、全てお話致します。どうか、私も連れて行って下さいませんか?」
シャウラ男爵は、アンブローズを騎士団長にするために、彼の兄に与えられた爵位だったはずだ。
苦しげな顔でこちらを伺う深い琥珀色の瞳に、嘘はなさそうに見受けられる。
「分かりました。閣下も、どうかご同行を。」
サミュエルは、会釈をすると、彼を招き入れた。
自ら話したいこととは、いったいなんだろうか。
サミュエルの疑念は、雲の晴れた群青の空に、淡く滲んでいった。
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