007_奔れ
入り組んだ町並みに、夕日が沈んでいく。黄昏時の茜色には、宵闇の深い青が滲んでいる。
近衛騎士団員バーニー・ロウトンは、今日も地道に、捜索に打ち込んでいた。
足はとうに棒になっているが、今日は、まだ終わってはいない。回りたい場所は、幾らでもあるのだ。
個人的に、こういう地味な仕事は、嫌いではない。サミュエルとエドワードのような大立ち回りは出来なくても、こつこつと調べて回るのは、得意な方だ。
彼らが、革新派の拠点を制圧してから、既に何日も経っている。
近衛部隊全員で捜索に当たっているにも関わらず、右手に怪我をした男の行方は、杳として知れないままだ。
彼の傷が癒える前に見つけなければ、二人の苦労は、水の泡となってしまう。
バーニーは、己の足を叩いて気合いを入れ直すと、路地裏の暗がりを迷いなく進んでいった。
今日も、収穫はないかも知れない。それでも、立ち止まる訳にはいかないのだ。
「ここが最後かな?」
隘路を抜けると、バーニーの前に、路地裏のどん詰まりにある古いアパートメントが姿を現した。木造二階建ての建物は、人が住んでいることが疑わしいほどに朽ち果てている。
――借り手のつかないように見える建物ほど、潜むにはうってつけなのだ。
ウォルターの言葉を思い出し、バーニーは、ごくりと唾を飲んだ。
薄暗いアパートメントは、不気味なほどに、静まりかえっている。
やることは、ひとつ。防犯用のビラを配る。ただ、それだけだ。
バーニーは、一階から順繰りに、一室ずつ訪ねて回った。
ドアが開かれるごとに、背筋にぴりりと緊張が走る。
厚化粧をした娼婦から、生気のない老人まで、住人の顔ぶれは様々だった。
変装していることを考慮して、慎重に観察したが、一階に、それらしい人物は見当たらない。
鼻先で閉まった立て付けの悪いドアの前で、バーニーは、ちいさな溜息を零した。
頼りないランプの光に照らされた内階段には、うずたかく塵が積もっている。
上階には、誰もいないのだろうか。
バーニーの脳裏に、一瞬、帰投の文字が過ぎる。
それでも、バーニーは、息を殺して階段に足を掛けた。
踏み板の隅の方に、わずかに埃の薄い部分がある。誰かしらが、通った跡だろう。
それならば、二階を確認しない訳にはいかない。
ぎしぎしと軋む木製の階段は、バーニーの体重で、今にも抜け落ちてしまいそうだ。
「すみません、王立騎士団の者です。いらっしゃいますか?」
バーニーは、なんとか階段を上りきると、息を整えて最初のドアをノックした。
「……なに? 寝てたんだけど。」
誰何の声に応えて、ドアが、わずかに開かれる。部屋の主は、不機嫌そうな、若い男だった。
「おやすみのところすみません。最近、この辺りで色々事件が続いているので、注意喚起に回っておりまして……。」
バーニーは、ぺこりと頭を下げると、にこやかに答えた。
男は、二十代前半くらいだろうか。自分よりは、すこし背が高い。柔らかなウェーブを描く金糸の髪は、肩の辺りまで伸び、人形のように整った顔立ちを引き立てている。
「そ。ご苦労様。」
青年は、ぶっきらぼうにそれだけ言うと、さっさとドアを閉じようとした。
まだ、彼の右手を確認していない。
バーニーは、咄嗟にドアに足を挟むと、寸でのところで扉を押しとどめた。
強かに打ち付けた足が、ずきずきと疼く。
「な、なに?」
青年は、衝撃音に青い目を瞬かせると、ドアノブに掛けていた手を引っ込めた。
「ああ、すみません、驚かせてしまって! これをお渡ししようと……。もし、なにかありましたら、騎士団までご連絡頂けると助かります。」
バーニーが腰を低くしてビラを差し出すと、青年は、しぶしぶ右手を伸ばした。
彼の右手には、真新しい包帯が巻かれている。手の甲の方には、わずかに血が滲んでいた。最近、怪我を負ったばかりなのだろう。
バーニーは、早鐘を打ち始めた心臓を無視して、しっかりと青年の手にビラを握らせた。動揺を悟られぬよう、にっこりと笑顔を作る。
青年は、ビラを受け取るや、無言でドアを閉めた。
くすんだ木製の扉の前で、バーニーは、気を静めようと深く息を吸い込んだ。
間違いない。彼が、あの夜、逃げていった男だ。
バーニーは、足音を潜ませて、早足で通りに転がり出る。
早く、このことを団長に知らせなければ――。
バーニーは、痛む足を引きずりながら、懸命に、宵闇の迫る街を駆け抜けた。
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