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006_夜半

 暗く湿った路地裏を、脇目も振らずに駆け抜ける。石畳に、固い足音が、確乎かっこと響き渡った。

 もうどれくらい走っただろうか。闇に慣れた目は、朽ちかけた外壁のひび割れさえ、はっきりと捉えている。

 サミュエルとエドワードは、決然と前を向いていた。

 男達は、迷いなく、狭い道を抜けていく。ここで彼らの背を見失えば、革新派の虚を突く好機は、二度と訪れないだろう。

 幾度か角を曲がった後、不意に、男達の姿が、光に飲まれて消えていった。隘路あいろに差した淡い光は、不穏な影を、石畳に刻んでいる。

 サミュエルは、眩しさに目を細めると、躊躇うことなく光の中へ踏み込んだ。

「ここは……。」

 笠雲を被った月明かりが、灰色の夜を浮かび上がらせる。

 古びた集合住宅の、中庭のようなところだろうか。手入れのされていない植え込みや、崩れかけた煉瓦の山が、ここに、普段は人気がないことを如実に物語っている。

 急に開けた視界に、サミュエルは、思わず目を瞬かせた。

 様式のまとまらない建物がひしめき合う中、ここだけ、ぽっかりと穴が開いたかのようである。先程まで追っていた男達も、どうやらどこかへ逃げ込んだらしい。

「兄様、あれ。」

 エドワードの視線の先に、一軒だけ、ぽつりと明かりの灯った建物が見える。鉄製の外階段の付いた、ありふれたアパートメントだ。

「なるほど。これでは、案内なしには辿り着けないね。」

 ここに至るまで、いったい何度、右へ左へと曲がっただろうか。彼らは慎重に、この場所に根を下ろしたに違いない。

 荒れた建物の修復や、隙間に開いた土地の開墾など、ここなら、資材がいくら出入りしようと、何ら不自然ではない。

 その上、地図にも載っていない、複雑な迷宮の奥にあるのだ。ウォルターの間諜が、正確な場所まで探り出せなかったのも納得である。

「突入する?」

「いや、もう少し待て。すぐに、あちらから顔を出すさ。」

 金色の瞳に剣呑な光を宿すエドワードを、サミュエルは、静かに制止した。

「しつこい野郎どもだ! だが、残念だったなあ!」

 案の定、苛立ちを隠さない怒号と共に、アパートメントのドアが、けたたましく開かれる。

 きっと、倉庫の警備に当たっていた連中を、かき集めてきたのだろう。見覚えのない顔が、両手で数え切れないほどに増えていた。

彼らは、めいめい荒削りな銃を手に、雁首揃えてこちらを見据えている。

「……残念、か。残念なのは、そちらの方だよ。」

 濁った目をぎらつかせる男達を睥睨すると、サミュエルは、素早く二丁の銃の撃鉄を上げた。

 エドワードも、無言でステッキを構える。

 サミュエルの銃声を合図に、戦端が開かれた。闇夜に、銃火が閃く。

 火花の向こう側で、足を抉られた男達が、短い悲鳴を上げて次々に崩れ落ちていった。

「エディ!」

 エドワードの帽子に、弾が掠める。貫かれた帽子は、細い煙を上げながら、勢いよく跳ね飛んでいく。

 刹那、エドワードの姿はかき消えていた。

 エドワードは、風を切って男の懐に潜り込むや、滑らかに右手を返してステッキで鳩尾を突き上げる。

 エドワードの膂力りょりょくと体重の乗った一撃に、男は声を上げる間もなく壁に叩き付けられた。

 これが剣であったなら、即死は免れなかっただろう。

 派手に吹き飛ばされた仲間を前に、男達は、慌ててエドワードに殺到した。

 サミュエルは、わざと当てぬように撃ちながら、彼らの注意を引きつける。

 近接戦闘であれば、エドワードが負けることはない。騎士団の中でも、対等に渡り合えるのはウォルターくらいのものだ。

 彼らの動きを見る限り、真っ当な戦闘訓練を積んではいないだろう。半分も引きつけておけば、数の上での不利を覆すには十分だ。

「……君たちの相手は、私だ。」

 サミュエルは、振り向いた男の銃を正確に撃ち抜くと、口元に挑発的な笑みを浮かべた。

「優男が粋がってるんじゃねえ!」

 ひとつの銃声が、呼び声のようにこだまする。

 重なるように、弾の雨が降った。

 サミュエルは、くるりと身を翻した。鼻先を、弾丸が掠めていく。

 まずは、頭数を減らした方が良いだろう。さすがに、全ての弾をかわしきれると思うほどに、自惚れてはいない。

 サミュエルは、茂みや瓦礫の陰に身を潜めながら、狙いを澄ませた。

 両手に握った回転式拳銃のシリンダーが回るたび、ひとり、またひとりと、遠くで悲鳴を上げていく。

 過たず足を穿たれた男達は、既に半分ほどが、地面に伏している。

「ちょこまかと逃げ回りやがって……!」

 遠距離では不利とみたか、男達は、気勢を上げながら、サミュエルに迫ってきた。

 この人数なら、上手くやれば一度に倒せるかもしれない。

 サミュエルは、頭を巡らせると、アパートメントの外階段を駆け上がった。古びた鉄が、ぎしりと不穏な声を上げる。

 サミュエルは、足を止めることなく、手早く弾を込め直した。打ち捨てられた薬莢が、甲高い音を響かせながら、階段を転げ落ちていく。

 その間にも、サミュエルと男達の距離は縮まっていた。

「ははっ! その先は行き止まりだぜ。」

 嘲る声に応えるように、サミュエルは、撃鉄を上げた。

 放たれた四発の弾丸は、男達をすり抜けて、狂いなく側面の排水パイプを貫く。

「うおっ!」

 鋭い金属音に男達が怯んだ一瞬の隙を、サミュエルは見逃さない。

 サミュエルは力強く跳躍すると、壁面のパイプをむしり取った。寸分違わず上下に撃ち抜かれたパイプは、容易くサミュエルの手に収まる。

 すこし軽すぎるが、逆に、これくらいで丁度良いだろう。

 サミュエルは、パイプをくるりと掌で反すと、槍のように階段にひしめく男達を横一線に薙ぎ払った。

 踏ん張りのきかなかった男達は、もつれ合いながら、階段を樽のように転げ落ちていく。

「終わった、かな?」

 石畳に口づけた男達は、身じろぎひとつしない。

 服の埃を払うと、サミュエルは、静かに階段を降りた。

 サミュエルは、重なり合ったまま意識を手放した男達から銃を回収すると、彼らのベルトを引き抜いて、手早く縛り上げた。

 この場は、これで問題ないだろう。武器を取り上げられ、拘束された男達は、目を覚ます気配もない。

 サミュエルは、さっときびすを返すと、エドワードの元へ駆けていった。

 

 

 

 エドワードの足下には、気を失った男達が、力なく倒れ伏している。

 どうやら、銃を構えた三人組で、最後のようだ。

「よ、寄るんじゃねえ!」

 男達は、怯えながら、銃を乱れ撃った。銃火が、闇夜に迸る。

「そんな弾、当たらない。」

 エドワードは、天性の勘で銃弾の雨を掻い潜ると、躊躇いもなく、正面の男の鳩尾を突き上げた。

 流れるように、右手の男を膂力りょりょくの限りに打ち据える。

 二人の男が、為す術なく石畳に崩れ落ちた。

「ちくしょおおおおお!」

 最後の一人となった男は、銃身を振り上げると、エドワードに肉迫する。

 エドワードは、左に踏み込んでそれを躱すと、男の首筋めがけて、冷徹にステッキを振り下ろした。

 男は、短い悲鳴を上げると、どうと地にくずおれた。

「お疲れ、エディ。怪我は……」

 サミュエルは、ねぎらいの言葉を、途中で呑み込んだ。

 立っている男達は、もう誰もいない。

 それでも、エドワードが、構えを解かずに一点をじっと見つめていたからだ。

「あれは……!」

 エドワードの視線の先を追うと、アパートメントの一階に、ちらりと人影が蠢いていた。

 サミュエルは、反射的に、アパートメントの窓ガラスに銃弾を叩き込んだ。しかし、その人影は、的確に弾を避けながら、建物から這い出してくる。

 先程までの男達とは、明らかに動きが違う。銃火の飛び交う戦場に、慣れている者のそれだ。そこらで伸びている彼らとは違い、確実に場数を踏んでいる。

 サミュエルは、追い打ちを掛けるようにトリガーを引いた。

 辛うじて一発の弾丸が右手を掠めたものの、人影は、怯みもせずに、夜陰に紛れて姿をくらませた。

「兄様、追う? あいつ、多分中心人物だ。」

「……いや、やめておこう。尻尾が見えただけでも十分さ。」

 エドワードの問いに、サミュエルは首を横に振った。

 何が出てくるか分からない以上、二人きりで深追いをするのは、賢明ではない。

 水を打ったように静まりかえった広場には、二十人近くの男達が倒れ伏している。まずは彼らを連行し、ウォルターに報告を入れるのが先決だ。

 戦いに慣れているのに、何故、ひとりだけ出てこなかったのか。どうして、ひとりだけ、訓練を受けた者が混ざっていたのだろうか。

 サミュエルは、嘆息を零すと、人影が消えた暗がりをじっと睨み据えた。

 拭い去れない違和感が、胸の奥で、澱のようにわだかまっている。

Knight Brothers 006_夜半

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