005_追跡
深い夜の帳は、石造りの街を覆いつくしている。
雲間から覗く月の光が、影をいっそう濃くしていた。
古びた石畳に、乾いた靴の音が、固く谺する。残響が耳に残るほどの静謐が、二人の傍に重たく横たわっていた。
先を歩く兄の背を追って、エドワードは、用心深く路地へ足を踏み入れた。
王都の外縁部にあたるこの一帯は、古くからの町並みと、新しい建物が混在している。網の目のように複雑な裏路地は、地図に載ってすらいない隘路も多い。
ウォルターの調査によれば、この辺りに、革新派の裏倉庫が隠されているという。
騎士団の士官服を脱ぎ、よくいる中産階級の主従に扮しているのは、出来る限り相手に悟られぬよう近付くためだ。
「この辺りだったかと思うが……。」
サミュエルは、帽子を脱ぐと、右手に伸びる細い道に目を凝らした。
「……ここで合ってる。」
エドワードは、正面の道に視線を向けたまま、兄にそっと耳打ちした。ステッキを持つ右手に、ぐっと力を込める。
エドワードの言葉と共に、わだかまる暗闇の奥から、複数の乱雑な足音が近付いてきた。
ざっと見積もって、十人ほどだろうか。
路地の奥から姿を現した男達は、あっという間に、二人の進路を塞いでしまった。
「旦那方、迷子か? 悪いことは言わねえ。今すぐ帰りな。」
二人の正面にいる男は、値踏みするようにこちらを眺めやると、ひらひらと掌を翻した。
身なりからして、大方、革新派に雇われたゴロツキというところだろう。男達は、有無を言わさず、二人を路地から追いやろうとにじり寄ってくる。
「いや、遠慮しておくよ。この先に、用があるのでね。」
サミュエルは、きっぱりと言い放つと、手にしていたシルクハットを放り投げた。
それを合図に、エドワードは、ぐんと地面を蹴った。
一気に間合いを詰め、男の喉を、強かにステッキで突く。
サミュエルに気取られていた男は、悲鳴を上げる間もなく、勢いよく後ろに吹き飛んだ。数人が巻き添えを食らい、九柱戯のピンのように転がっていく。
「てめえら、一体何者だ!」
一歩下がって体勢を立て直した男たちは、恫喝するように歯を剥き出した。
「何、名乗るほどの者でもないさ。」
言うが早いか、サミュエルは懐から二丁の回転式拳銃を取り出すと、男達の足下に向けて銃口を開いた。
暗闇を、乾いた銃声が、切り拓く。
男達は飛び退って避けると、一目散に路地の闇へと消えていった。
「行こう、エディ。」
「はい、兄様。」
エドワードが頷くと、サミュエルは一足飛びに路地の奥へと駆けていく。
兄の後を追って、エドワードも暗がりへ飛び込んだ。
狭く、入り組んだ路地が、エドワードとサミュエルの前に、黒々と立ち塞がっている。
儚い月の光さえ届かないこの場所は、彼らの縄張りだ。
エドワードは、慎重に、速度を緩めず男達を追っていく。
統率の取れていない乱れた足音を頼りに、何度も、何度も路地を曲がった。
やがて、男達の背中が、暗がりからぼんやりと浮かび上がってくる。
先程と違うのは、彼らが、めいめい銃を手にしていることだろう。見慣れない荒削りな作りをしているから、間違いなく正規品ではない。
やはり、ウォルターの見立ては、正しかったのだ。
「畜生、足の速い奴らだ!」
男達の一人が悪態をつくと、振り向きざまにこちらへ銃口を向けた。
焦りのあまりに狙いの甘い銃弾は、二人をかすりもせずに、闇へと呑まれていく。
「くそっ! てめえら、そいつらを止めておけ!」
男は銃を下ろすと、半数を引き連れて脱兎のごとく隘路の奥へと走り去っていった。
残された男達は、懐からナイフを取り出すと、手前にいたサミュエルに斬りかかった。
「――させない。」
エドワードは、ぐんと姿勢を低くして兄の前へ進み出ると、ステッキでナイフの一撃をはね除けた。
男達の視線が、一斉にエドワードに集まる。
彼らは標的をエドワードに切り替えると、ばらばらにナイフを振りかざした。
一合、二合、三合――。
エドワードは、息を乱すことなく、男達の凶刃を受け流し続ける。
そろそろこちらから仕掛けて終わりにしたいところだが、人数が人数だけに、彼らには、中々隙が生まれない。
エドワードは、斬撃をいなしながら、ちらとサミュエルに視線を送る。
サミュエルは、くるりと手首を返すと、撃鉄を上げた。
返事の代わりに、鋭い銃声が轟く。
わざと狙いを外した弾丸は、寸分違わず男達の頬を掠めていった。
彼らがたじろいた一瞬を、エドワードは見逃さない。
エドワードは、右足に全体重を乗せると、先頭にいた男の鳩尾をステッキで突き上げた。
膂力の限りに繰り出された刺突に、男達がドミノのように倒れていく。
そのまま気を失った男達を乗り越えて、二人は何も言わず、更に狭くなっていく路地の奥へと駆け出した。
先へ進めば、きっとこの程度の戦闘では済まないだろう。
エドワードは、眉間にぐっと力を込めた。
ここまで辿り着いたなら、前を向いて突き抜けるだけだ。ただ、それだけでいい。
深々と静まりかえった夜に、二人の足音が、確乎と響き渡った。
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