見出し画像

011_蜜月

 夜陰に紛れて、雨粒が窓を叩く。降り続く雨の音は、静かな夜想曲のようだ。

 アンブローズは、モントール公カーティスに招かれて、彼の屋敷を訪れていた。

 いくつもの絵画が飾られた書斎は、豪奢ながらも、決して派手すぎない。洗練された調度品の数々が、部屋の主の力を物語っているかのようだ。

 先王の実弟であり、女王の叔父である公爵は、薄くなり始めた頭髪を、きちっとなでつけて、テーブル越しに微笑んでいる。

 呼ばれてから今まで、公爵の意向で、久方ぶりにポーカーに興じていた。今しがた勝ったので、戦績は、十戦して四勝六敗である。雇い主への接待としては、ふさわしいゲームだろう。

「フォレットは、あれで良かったのかね?」

「良かった、とは?」

 ポーカーに厭いてきた公爵の問いに、アンブローズは、わざと空とぼけてみせた。

「君にしては、ずいぶんと入れあげていただろう? わざわざ騎士団に入れて、四年も手元で可愛がっていたんだ。」

 カーティスは、探るように、わざとらしく眉を跳ね上げた。

 たしかに、気ままな自分にしては珍しく、コリンとは長く続いていた。公的にも、私的にも、繋がりは深い。

 暇さえあれば、コリンの墓参りをする自分がいる。身寄りのない彼のために、あえてヒースコート家歴代の祖先が眠る教会に、墓を建てたのも、アンブローズ自身だ。

 コリンを愛していたのも、あながち嘘ではなかったのだろう。

 だが、言ってしまえば、ただそれだけだ。

「私は、最善の手を打ったまでですよ。本音を言えば、惜しくはありましたがね。」

 アンブローズは、ウイスキーを呷ると、ちいさな溜息を零した。

 胸が痛もうが、惜しかろうが、仕事は仕事だ。私情を挟む余地はない。あの状況で、正体の露見したコリンを、生かしておく訳にはいかなかった。

「君のそういうところが、実に好ましいよ。」

 カーティスは、口の端を上げると、芝居がかった調子で手を叩いた。

「勿体なきお言葉です。」

 アンブローズは、胸に手を当て、深々と頭を垂れた。

 これも、利害の一致した雇い主への、返答に過ぎない。

 公爵への忠誠心があるといえば、嘘になるだろう。そんなことは、彼も先刻承知の上だ。

「君の冷徹な判断のお陰で、今回の策謀は、フォレットの単独犯ということで片が付いたからな。まあ、感づかれてはいるだろうが、些末さまつな事よ。」

 公爵は、品の良い口元を、意地悪く歪めた。

 絶対的な自信に裏付けされた笑みは、企みに失敗した者というよりは、獲物を狙う執拗しつような蛇のそれに近い。

「ええ。ウォルター・ボールドウィンなら、とうに気付いているでしょう。ですが、明確な証拠がなければ、いかに王立騎士団といえども、手の出しようがない。」

 今頃、ウォルターは、ほぞを噛んで悔しがっているだろう。それをこの目で見られないのは、すこし残念だ。

 だが、楽しみが残っていると思えば、そう悪くもない。

「アンブローズ、随分とご執心だねえ。メルキュリー伯の弟御に。」

 カーティスは、からかうように目を細めると、くつくつと喉を鳴らした。

「剣の腕も優れていますし、頭も切れる。彼との勝負は、なかなか楽しいものになりそうですからね。」

 ウォルターの長躯から繰り出される一閃は、重く、それでいてしなやかだ。いつぞやの剣術大会で目にして以来、彼と命がけで剣を交えてみたいと、ずっと思っていた。

 その上、少ない手がかりから、あっという間に答えに辿り着くだけの知謀もある。

 遊び好きで、勝負に目がない彼には、わずかに自分と似たものを感じていた。それでも、決定的に、何かがずれている。そのせいか、余計に興をそそられるのだ。

「いくら君でも、カードゲームでは、勝てなさそうだがね。」

 カーティスは、テーブルに並べられたアンブローズの手札を眺めやりながら、からかうように相好を崩した。

 かの騎士団長の豪運を、社交界で知らぬ者はいない。

「ええ。だからこそ、楽しいのですよ。」

 アンブローズも、それに応えるように、にこりと笑んでみせた。

 彼の幸運は、どの領域まで及ぶのだろうか。矛を交えるついでに、確かめてみたい。

「次の一手も、存分に楽しんでくれたまえよ。」

 カーティスは、グラスを掲げると、すっと目を細めた。

「勿論です。」

 アンブローズは、遠慮がちにグラスを合わせると、残ったウイスキーを一気に呷った。

 ウォルターといい、オルブライト兄弟といい、王立騎士団は、興味が尽きない。

 より楽しむには、新たに視界に入った兄弟について、情報を探った方が良いだろう。噂程度は耳にしているが、彼らとの面識はない。

 射撃の精度では右に出る者のいない、兄のサミュエル。ずば抜けた剣術の才覚で、入隊直後に異例の近衛部隊配属となった、弟のエドワード。どちらも、コリンを追い詰めた張本人だ。

 たった二人で革新派の裏倉庫を制圧した実力もさることながら、危険を承知で、女王を革新派のクラブハウスに連れ出す大胆さが実に良い。

「最高の勝負を、閣下に献じましょう。」

 アンブローズは、心の中で、密やかに舌なめずりをした。

 これからきっと、楽しくなるだろう。

Knight Brothers 011_蜜月

前話:010_代償
次話:012_女王の休日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?