014_邂逅
煌びやかな夜も、刻一刻と更けていく。月は高く昇り、星々は、宝石を鏤めたように夜空を彩っている。
エドワードは、サミュエルと共に、先程まで引く手あまただった女王の傍らに控えていた。
晩餐会が終わった後、お決まりの女性同士のティータイムを過ごしたルシアは、庭園でぼんやりと一息ついていた。
晩餐会そのものは、成功裏に終わったが、貴人たちの長い夜は、まだまだ続いていく。
「さすがに、ちょっと疲れちゃったわ。皆、殿方の話しかしないんだもの。」
ルシアは、ベンチに座り込むと、深い溜息を零した。
凛とした女王の仮面はどこへやら、子供のように頬を膨らませている。
「お疲れ様です。ルシア様には、まだすこしお早かったですかね?」
サミュエルは、ルシアをからかうように、彼女の顔を覗き込んだ。
「まあ、サミュエル。わたくしが、いつまでも子供だと思ったら大間違いよ。」
ルシアは、サミュエルの揶揄に、不服そうに唇を尖らせた。
女王にこんな物言いをして許されるのは、サミュエルくらいのものだろう。この二人は、昔からいつだって仲が良い。
「ああ、ルシア。こんなところにいたのかい。」
不意に、遠くから、ルシアを呼ぶ男の声が響く。
エドワードが人ごみに視線を移すと、薄くなり始めた髪をきっちりと撫でつけた壮年の紳士が、ルシアに向かって手を振っていた。
「アラスター叔父様! 今日は、遠くからお越し下さり、ありがとうございました。」
ルシアは急いで立ち上がると、若い男性を連れた叔父に駆け寄った。
「こちらこそ、お招きに与り恐悦です。私の可愛い女王陛下。」
先王の次弟にして、女王の叔父であるラステラ公爵アラスターは、わざとらしく深く一礼すると、ふわりと微笑みを零した。
「もう、叔父様ったら。」
ルシアは、茶目っ気たっぷりな叔父に、鈴のような笑声を返した。
「どんなに立派になっても、ルシアは、私の可愛い姪御殿だからね。……ああそうだ。今日は、紹介したい人がいてね。」
アラスターの目くばせに応じるように、彼の隣に佇んでいた青年が、一歩前へと進み出る。
「こちら、サウザンクロス侯バーナード・エングルフィールド卿だよ。」
「お初にお目に掛かります、女王陛下。本日は、このような晴れがましい場にお呼びいただきまして、光栄至極に存じます。」
アラスターの紹介を受けて、バーナードは、折り目正しく頭を垂れた。
端正な顔立ちを、緩やかな金糸の髪が、いっそう眩しくみせている。
長身の貴公子は、空のように澄んだ碧眼に穏やかな光を湛えたまま、女王を見つめていた。
「ようこそお越しくださいました、サウザンクロス侯。楽しんで頂けているでしょうか。」
ルシアは、すっと背筋を伸ばすと、品の良い笑みを浮かべた。
その横顔には、先程までの人懐こさはどこにもない。威厳と、風格に満ちた女王のそれだ。
「ええ。勿論でございます。華やかな夜に、溺れてしまいそうなほどに。」
バーナードも、にこりと微笑みを返す。
エドワードは、気付かれぬよう密やかに目を細めた。
社交慣れした態度と、彼の容貌も相まって、まるで、真夏の太陽のようだ。
「彼も、若くしてご両親を亡くしているんだよ。年も近いし、ルシアとは、何かと話が合うのではないかなと思ってね。」
アラスターは、どこか悲しげに眉根を寄せると、言いにくそうに頬を掻いた。
「……サウザンクロス侯、ご苦労もあったでしょう。」
にわかに、ルシアの表情が曇る。
ルシアは、深呼吸を一つして、言葉を絞り出した。
「お心遣い痛み入ります、陛下。しかしながら、陛下のようなうら若き女性が、国を背負う苦労に比べれば、ささやかなものですよ。」
バーナードは、深く一礼すると、女王を労わるように、ちいさな笑みを零した。
「では、私は退散するとしよう。若い二人の邪魔をしては、いけないからね。」
アラスターは、言葉を交わす二人を満足げに眺めると、夜会の雑踏に消えて行った。
「陛下。宜しければ、すこし座ってお話しさせて頂けませんか?」
去りゆく公爵の背を見送って、バーナードは、ルシアの方を顧みた。
「ええ、構いませんわ。」
ルシアは、二つ返事で受けると、彼に導かれるままに、ベンチに腰かける。
並んで座った二人の距離は、やけに近い。今にも、手が触れてしまいそうだ。
普段なら、女王として他者に深く関わろうとしないルシアにしては、珍しい。
エドワードは、口を挟まないよう、静かに二人を見守っていた。
「ヴェラの街は、居心地がいいですね。自然が豊かで、とても穏やかな時が過ごせます。」
バーナードは、優しい笑みを浮かべると、静かに天を仰いだ。その視線の先には、青い光を放つ満月が浮かんでいる。
月の光を浴びて、その横顔は、一際輝いて見えた。
「ええ、そうですわね。わたくしも、この街は好きですわ。父との思い出が、たくさんありますもの。」
ルシアは、ちいさく頷くと、どことなく寂しげに呟いた。
「先王陛下は、とても素晴らしいお方でございましたね。私も幼い頃、遊んでいただいたことがございます。」
バーナードは、在りし日を懐かしむように胸に手を当てると、ルシアに微笑みかけた。
「市井に出ては、近所の子供と遊ぶような人でしたものね。」
ルシアも、父王の面影を思い出したのか、くすりと笑声を零す。
「我が家の別荘も、ヴェラにあるのですよ。父が亡くなってから、訪れるのは初めてでしたが、来られて良かったです。こうして、陛下にもお会いすることが出来ましたし。」
バーナードは、涼やかな笑みを浮かべると、優しくルシアの手を取った。
「そうだったのですね。ご滞在はいつまで?」
意外なことに、ルシアは、彼の手を振りほどくことなく、にこやかに問いかけた。
「二週ばかりの予定です。」
「あら、奇遇ですわね。わたくしもよ。」
バーナードの答えに、ルシアは、ぱっと顔を輝かせた。
「おお、何たる偶然! もしご迷惑でなければ、またお会い出来ますでしょうか?」
バーナードは、ぎゅっとルシアの手を握り締めると、控えめに首を傾げた。
「ええ、勿論です。いつでも顔を出してくださいませ。」
たった十分あまりの会話で、ルシアとバーナードの距離は、いっそう縮まっていた。それだけ、ルシアも大人になったということだろうか。
寂しくもあるが、嬉しくもある。きっと、サミュエルも同じ気持ちだろう。
感慨に浸っていたエドワードは、ふと、隣に立つ兄の横顔を覗き込んだ。
「……兄様?」
サミュエルの予想外の表情に、エドワードは、はっと息を呑んだ。
月明かりは、仲睦まじい二人を照らしている。
その影の中で、サミュエルは、茫然と、胸に当てた手を握りしめていた。
前話:013_夏の日の記憶
次話:015_陰影
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?