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4.INFJも捨てたもんじゃない

みなさん、こんばんは。

先日書いた記事にとある温かいコメントをいただきまして、ちょっと悲観的な表現になってしまっていたかなと思ったので補足として今回は私の気持ちを綴りたいと思います。

もし、先日の記事で不快な思いをさせてしまった方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。

ただ、あくまでもエンタメとして書いたものであり、やや私の主観強めにはなっていますのでその点ご了承いただければ幸いです。

先日の記事で私はINFJは家庭環境が複雑な方が多いのではないか?といった考えに至ったことを書かせていただきました。

もちろん、INFJでも幸せな家庭で育った方もいれば複雑な家庭環境で育った方もいらっしゃると思います。

でもそれは他のMBTIに関しても全く同じです。

なので、私という一人の人間の見たものや聞いたものからそういう考えに至ったということをご理解いただけたら嬉しいです。

ただ、INFJ-Tってなんとなく生きづらさを感じる場面が多いのかなぁと自分を含めて個人的には思っているので、その生きづらさってなんだろう?ってことに直結するものとして私がピンときたものが育った家庭環境だったわけですね。


ただ、生きづらさを除いてもINFJで良かったぁ〜と思うことももちろんあります。

INFJにしか分からない感性もありますし、それが仕事で活きることも私生活で活きることもあるからです。

現に私は今の仕事で存分にINFJの感性を活かせているなと実感しています。

ただ、人間はないものねだりなのでもっと若い頃は隣の芝生が青く見えるなんてことは本当にたくさんありました。

「あの子みたいにもっと社交的にできたらいいのにな」

「もっとみんなでワイワイしても疲れなかったらいいのにな」

「大人数の中にも溶け込めたらいいのにな」


他にももっと色んな感情が渦巻いていました。


でも、紆余曲折あって今はそんな自分も受容してあげられるようになりました。

世の中の全てのものには陰と陽があって、そのバランスってとても大事なことなんだなって思うようになったからです。

陰だけでもダメだし、陽だけでも成り立たないのが世の中というものなんだなと。

 
自分の理想は陽のグループだったかもしれない。


でも、自分の役割はきっと陰のグループなんだろうなと。

なので、INFJだからと悲観的になっているわけではなくて、生きづらさを考え方やものの見方で少しでも楽にできたらいいよねっていう私なりのメッセージでした。


事実として私の育った環境は良いと言えるものではなかったし、未だに抱えることになったトラウマもありますが、全ては私が学ぶ必要があったものなんだとも思っています。

それぞれの使命があって、生まれてきた意味がない人間や生き物は何ひとつだってありません。

なので、こんな私の独り言が誰かの勇気となり役に立てることを願っています。

コメントくださった方もありがとうございました🫶🏻

それではまた次回お会いしましょう。


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