ジュゼッペ・シノーポリ没後20年【燃えたぎる血の残像】

2001年4月20日、指揮者・作曲家のジュゼッペ・シノーポリ(1946年11月2日生まれ)はベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの歌劇「アイーダ」第3幕を指揮中の心臓発作により逝去した。
当時54歳。働き盛りどころか、これからの年齢での急逝は世界に衝撃を与え、日本でも特異な状況と相まって「めざましテレビ」が報じるほどのニュースとなった。

あれから20年、残念ながら手に入るCDも少なくなり、シノーポリの名前はクラシック音楽ファンの脳裏からも薄らぎつつある。
没後20年の節目にいくつかの好録音と共に業績を思い返そう。


「知性派」だったのか?

医学を修めた経歴、日本に紹介された直後の浅田彰の言論、インタビューにおける衒学的な言辞からシノーポリはしばしば「知性派」と評された。
確かに頭脳明晰で色々分析したことは間違いないが、いざ実践の段でスイッチが入ると局所的に血が騒ぎ、テンポ設定の整合性やギアチェンジの算段などの前後の見境が危うくなる激情タイプ。
棒もうまくないため、出来不出来の差が大きく、生前の姿を見て筆者は「知性派」どころかうらぶれたギャンブラーじゃないかとさえ感じた。

当然楽団によって相性が分かれ、ベルリン・フィルとは殆ど無縁(リハーサル段階で決裂状態に)。ウィーン・フィルとは複数回録音や共演を重ね、オーケストラ側が「そんなぐちゃぐちゃ言うなら本気出すぞ」的なエグい音楽を展開する副産物(?)はあったが、お世辞にも好相性ではなかった。

他方、ポストを務めたフィルハーモニア管弦楽団やシュターツカペレ・ドレスデン、客演にとどまったがニューヨークフィルハーモニックはシノーポリの政治力や資金力に免じて耐えた面はあったにせよ、局所的暴走をうまく処理して献身的に音楽の流れを形成した。
これら好相性(?)だった3楽団との共演録音から何点か御紹介する。

シュターツカペレ・ドレスデン

担当プロデューサーのクラウス・ヒーマンが昔「モーストリー・クラシック」誌のインタビューでお気に入りのひとつにあげた音源。
「宗教的で温かみのあるブルックナー演奏。ルカ教会のサウンドもうまくとらえている」と語っていた。オーケストラの破格の性能と音色美に感嘆。

ブルックナーでは晩年のライヴ録音の5番も好演。

十八番のマーラーではこの「大地の歌」が破格。
闇夜の澄んだ静けさから底光りする歌い込みまで表現のダイナミックレンジを極限まで拡大する。
やはりオーケストラの表現力がひと味もふた味も違う。

シノーポリ、シュターツカペレ・ドレスデンの双方にとって重要レパートリーのリヒャルト・シュトラウスは一大シリーズ録音となるはずだった。
指揮者の情念とオーケストラの持つ蓄積がうまく結びつき、繊細な動きで描かれた心理の移ろいにひそむマグマ、豪奢に鳴り響くところの押し寄せるエネルギーにひかれる。

楽団創立450年記念コンサートから「アルプス交響曲」

フィルハーモニア管弦楽団

マーラーの交響曲録音が有名だがちょっと意外なところで好演を遺した。
凹凸の分かりやすい内容で「《威風堂々》は好きだが他はどうも渋くて」と思う向きにおすすめ。

ニューヨーク・フィルハーモニック

スロットル全開、極彩色のサウンドが聴き手を直撃する。

この名門からマックスを引き出すのは実は非常に難しいが、シノーポリとの録音はワーグナー、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、スクリャービンのいずれもが楽団のポテンシャルがいかんなく発揮された内容。
棒の巧拙や長口舌とは別次元の吸引力を有したことをうかがわせる。

結び

来日時の記者会見で「奥の細道」がどうのこうのと言い始めて通訳を慌てさせたり、テレビの企画で吉村作治と対談するなど「愛すべき知日派ぶり」を見せてくれたシノーポリ。
毀誉褒貶を巻き上げつつ一心不乱に駆け抜けた魅力ある劇場(激情)人、舞台人だった。

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