ジョージ・セル【指揮台のタイラントと呼ばれて】前奏曲
「男の夢」を体現したひと
指揮者の岩城宏之(1932~2006)は、著書『揮のおけいこ』(文藝春秋、1999年〔文春文庫、2003年〕)でこう記した。
上述の通り、実際の指揮者の仕事で最も重要な部分は客席からは見えないところでなされる。
すなわちオーケストラの前に立つまでにスコアを読み込み、文献資料に目を通し、場合によっては自他の録音を聴き、「指揮計画」を組み立てること。
手の動きは重要だがあくまで「指揮」の一部を成す要素。
現実世界においては「見た目」と異なり、指揮者がオーケストラを自身の楽器のように思うがままに操ることは不可能だ。
まず、オーケストラのプレーヤーは皆ひとかどの音楽家ゆえ、指揮者の意向に唯々諾々とは従わない。その緊張関係も演奏芸術の大事な要素といえる。
また現代の世界中のオーケストラメンバーは殆どが労働組合に属している。
従って、事務局と組合の取り決めでリハーサル時間の制約はあるし、ましてや指揮者が気に入らない楽団員を解雇するなど、仮に「音楽監督」「常任指揮者」といった肩書を持つ立場でも絶対にできない。
そもそも指揮者が全てを牽引、支配する状況が音楽的成果に資するとは限らない。
例えば、かつてのビーチャムとロイヤルフィル、アンセルメとスイスロマンド、朝比奈隆と大阪フィルは指揮者が楽団創立に深く関わっていたから「絶対権力者」に近い存在だったが、当該指揮者の晩年にはマンネリ化、楽団員との齟齬、アンサンブルの質の低下がしばしばささやかれた。
しかし、ここに音楽演奏史上、ほぼ空前絶後の事例がある。つまり、「タイラント(暴君)」と言われた指揮者が能力と強権であるアメリカの一地方オーケストラを世界トップクラスにまで至らしめ、しかも当該オーケストラは絶対的存在だった指揮者亡き後も名門の地位を保持している…。
それこそが、ジョージ・セル(1897~1970)とクリーヴランド管弦楽団。
1918年創立のクリーヴランド管弦楽団は、1946年にセルを音楽監督に迎えるまで複数の有名指揮者を呼んだ歴史こそあったが、「文化的にはさしてとりえのない工業地帯で、音楽文化は《地方的アメリカの荒野》」のアメリカ中西部オハイオ州クリーヴランドのローカルオーケストラだった。
セルは1970年に逝去するまでの約四半世紀をかけ、クリーヴランド管弦楽団をアメリカ随一、世界屈指の名門オーケストラに育成した。
そして彼が世を去って半世紀以上経った現在も、クリーヴランド管弦楽団は高い演奏水準を誇る。
1984年~2002年まで同楽団の音楽監督を務めたクリストフ・フォン・ドホナーニ(1929~)はこんな言葉を残した。
比類のないオーケストラをクリエイトし、死してなお記憶されるセルは、冒頭で引いた岩城宏之の文章にある「オジサンたち」が夢想する指揮者像の体現者と言える。
指揮する前の戦いに勝って理想へ邁進
セルの巧みさの際立つ点は組合が未形成な時代とはいえ、オファーを受けた既存の団体に厳しい条件を突き付けて乗り込み、自身の抱く芸術的理想を形にしたこと。本人は就任までを以下のように回想する。
プロ野球の監督で成功するひとは指揮を執る前の戦いに強い。
オファーされた立場を利用して球団に選手の補強(おカネを出させる)、コーチ人事で自身の要望を最大限のませる。
星野仙一さんはこの「試合を指揮する前の戦い」の名将だったので早めに優勝できた。
逆に監督要請で有頂天になり「事前の戦い」を怠ると、いかに野球観がしっかりしていて指導力があっても大きな成功は望めない。
セルは星野仙一さん同様、指揮台に立つ前の戦いに勝った。
そしてオーケストラを「私の楽器」にするために動いた。音楽監督に就いて最初のシーズンに94人の団員のうち12人を解雇している。
1963年に楽団の定員は104名となったが、17年前からの「生き残り」は35人だった。
こうした容赦ない姿勢は報われ、1962年にリンカーン・センター(ニューヨーク)のオープニングシリーズに招かれたセルとクリーヴランド管弦楽団は相次いで同じホールの舞台に立ったニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンの名門を凌駕する高評価を獲得した。
ちなみにセルは、しばしば客演したニューヨーク・フィルからリンカーン・センターのホールについて意見を求められるとこう言い放った。
「昔」と「いま」を繋ぐセルの指揮芸術に迫る
シャープな輪郭を軸に進め、時折グイっとテンポや間の動きがあり、バランスを重んじながら大胆に振る舞う二枚腰。
隙がなく、力感漲るアンサンブルを基盤とする彫りの深い起伏、厳しく刺さる低弦の動き、澄んだ構築美に宿る熱量の大きさ。
指揮者ジョージ・セルの紡ぐ音楽の魅力は、オーケストラを聴く醍醐味そのもの。
晩年の録音でも半世紀以上前の収録だが、時折繰り出されるスコアの改変を別にすれば聴いていて「旧さ」を殆ど意識しない。
いわゆる「昔の大指揮者」の音源に接すると表現の振幅の大きさ、スケールの大きい展開に打たれる反面、オーケストラの機動性やアンサンブルの詰めでは現代のオーケストラとの隔たりが気になることもしばしば。
しかし、セルの録音で聴くオーケストラ、特にクリーヴランド管弦楽団の演奏能力は今日の耳で受け止めても破格。
このコンビが現代のオーケストラに求められる演奏スキルを確立したとすら感じる。
しかも既述の通り、セルの没後に音楽監督がマゼール、ドホナーニ、ヴェルザー=メストと代われどクリーヴランド管弦楽団は明澄できめ細かい肌触りのサウンド、対応範囲の広い緻密かつ強靭なアンサンブルを保ち、世界のトップオーケストラの地位にあり続け、ひとりの指揮者と長く関係を保つスタンスも守っている。
オーケストラの実力を向上させて黄金時代を謳歌したのみならず、現在に至る活動の基礎的要素までつくりあげたセルは稀有なタイプのマエストロだろう。
筆者は、1995年秋(当時中学3年生)にクラシック音楽と出会ったが、ジョージ・セルは早い時期に存在を知った往年の巨匠のうち、現在までずっと聴き続ける数少ない指揮者のひとり。
ただ、残念ながら例えばフルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、チェリビダッケ等と異なり、セルについて書かれた日本語の文献は翻訳を含めて皆無。幸い洋書では評伝、エピソード集が複数あるのでやむなく乏しい英語力で格闘してきた。
ようやくマイケル・チャリーの名作評伝が翻訳出版されそうなのは朗報だがいささか寂しい状況ゆえ、僭越ながら今後不定期だがセルについて継続執筆することにした。
時系列でセルの生涯をたどる内容やエピソードの寄せ集めでは類型的なので音楽人生の節目に収録された音源(主にライヴ収録)を取り上げ、その音楽と人間の一端を映し出そうと考えている。
離れた場所にいる友の便りを待つ感覚でお付き合い下されば嬉しく思う。
【参考文献】
Michael Charry "George Szell: A Life of Music"(University of Illinois Press;2011)※2022年6月中旬邦訳出版予定(鳥影社)
Marcia Hansen Kraus "George Szell's Reign: Behind the Scenes with the Cleveland Orchestra"(University of Illinois Press;2017)
Lawrence Angell, Bernette Jaffe "Tales from the Locker Room: An Anecdotal Portrait of George Szell and his Cleveland Orchestra"(ATBOSH Media;2015)
三浦淳史『20世紀の名演奏家-今も生きている巨匠たち』(音楽之友社;1987年)
山崎浩太郎『名指揮者列伝-20世紀の40人』(アルファベータ;2005年)
「タワーレコード × "Sony Classical"究極のSA-CDハイブリッド・コレクション」シリーズ解説書