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コロナ日記⑩:この怒りの正体

※このシリーズは『ペスト』(カミュ著)の内容が出てきますので、ネタバレが嫌な方は見ないでください。

4/29。水曜日。
GW前最後の出勤であった夜勤を終えて、いつも通り昼頃に起きると、外はこれでもかと思うくらいに晴れていた。

こんなに晴れていたら、いくら出るなと言われても、外に出てしまう人は結構いるのだろうと思う。

思い返すと数日前は雨が降っていた。
丁度帰る時になって降り出したもんだから、退勤後休憩スペースでペストの残りを読み切った。

最後は、語り手が誰であったかという謎解きみたいなワクワク感と、救われきれないもどかしさが混じった内容であった。

そこにはペストを克服したとも書いてないし、
ペストと共生するとも書いていなかった。

最後には
「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないもの」
「そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすため」
「どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」
大まかに以上のようなことが書いてあった。

また不幸や教訓をもたらすため、ペストが再び人々を殺しに来るであろう。

文字通りの意味とは他に、ウイルス騒ぎで混乱している現状を考えると、人が死ぬこと以外にも、”見ていなかった問題から目を背けるな” と言われているような怖さも感じた。

これは今のウイルス騒ぎが終わった時にもう一度思い出すため、リマインダーとしてここに書いておく。

今回はかなり長くなるので、2つに分ける。
ここ数日間で感じたことは決して無視してはいけないと感じたからだ。


SNS戦争
4/28。丁度夜勤の休憩時間。いつもの癖のようにTwitterを開くと、いつもとは様子が違っていた。とある言葉が目立っていたのだ。

”#世帯主ではなく個人に給付して”

何万件というツイートがこのハッシュタグをつけてツイートされ、このハッシュタグはトレンド入りしていた。

給付が決まったのはもう少し前なのになぜ今なのか?
ふと疑問に思ったが一旦横に置いてそのツイートを流れるように読んだ。

「DVで家族関係が悪い人達にはお金が行き渡らない」
「世帯主の口座から降ろすためにわざわざ遠い銀行に行かないといけない」
「家族内でお金のことで揉めたくない」
「家父長精度をまだひきづるのか」
「個人宛の給付だろ」

とてもざっくりしているが、大まかに以上のような意見が多かった印象がある。

しかし、この盛り上がりは全員がハッシュタグの言葉に賛成しているのではなく、賛成派とほぼ同量の対立派も存在した。
(一応断っておくと、反対と書かなかったのは、世帯主に給付することに賛成しているというより、賛成派の意見に対して批判をしている態度の意見が多かったので、敢えて対立派をと書いている。)

「現実的に考えて世帯主への給付がベストだろ」
「スピード感を意識して進めていかないといけないのに今更そんなこと言ってられないだろ」
「そもそもDVで悩んでる人向けに情報発信されているだろ」
「口座持ってない人向けの対応だって情報があるだろ」

こちらもとてもざっくりしているが、こんな感じ。

両者共に冷静な意見も勿論あった。
情報を開示している人もいるし、世帯主給付に関して問題を抱える人に寄り添うような言葉で書いている人もいた。

しかし、どうも刺々しい文章のツイートが多いように感じた。
特に対立派の意見は見ていて嫌になるものが多かった印象がある。
(嫌ならSNS見るなと言われてしまったら何も言えませんが。笑)

当たり前のことだが、SNSでは基本的に匿名が可能だし、意見を発した時に自分の周りに実体としての人間は存在しない。
個人を指定して意見を投げることも可能であるが、個人を指定する必要はない。意見を投げる相手は不特定多数でもいいわけだ。

でも、だからと言って、言葉使いを選ばずに何でも言って良いのか。

「DVは個人の問題なんだから自分でなんとかしろ。」
「情報出てるのに知らないお前が悪い。」

わざわざ罵倒を選ぶのには、思いっきり批判することによる気持ちよさ(自己満足)が隠れているように感じざる負えない。

「悩んでいるならこんな情報があります。もしかしたら給付の問題が解決できるかも知れないので読んでみてください。」

表現を変えるだけでかなり受けての印象は変わる。わざわざ攻撃する必要はない。と思う。

もし現実で目の前に会っている人が何かに悩んでいるとしたら、
突き飛ばすような言葉をかけるのか。それとも相手の立場を想像して柔らかい言葉をかけるのか。
ネットの中で強烈な言葉を投げる人々が、日常では相手の立場を考えて話をしていると信じたい。

SNSでは相手の顔は見えない。
だからこそ、言葉が印象を決める全てになってしまう。(まぁ写真とかもあるけど。基本的にはということで。)

このSNSでの言葉の問題は何も今に始まったことではない。
過去の日記にも似たようなことは書いた気がする。
しかし、どうにも今回は無視できなかったから書いた。

ウイルス騒ぎのせいで起きた問題ではない。
でも、ウイルスのもたらした混乱によって、改めて意識するようになった問題だと思った。

誰かを悪と言えば自分は善となる。
誰かを間違ってると言えば自分は正しいとなる。

「自分の言葉はそれだけで自分がどんな人間かを表してしまう。」

という学生時代に習った印象深い言葉を思い出す。
自戒の意味も込めて、今回感じたことは忘れないようにしようと思う。


怒りの伝染
この日記を終える前にちょっとだけ。

怒り(イライラも含む)は伝染していくと思う。
これを書いている時も、読んだツイートを思い出して、妙にイライラするときがあった。

デールカーネギーの本に「幸せは伝染する」という言葉があった。
それは負の感情でも同じこと。

こんな時だからなるべく幸せを伝染させた方がいいだろう。
悪いものの伝染はウイルスだけでも十分しんどいから。

でも書いてる内容は基本的にネガティブなものが多い気が。こりゃダメかな。反省。。。

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