見出し画像

「ダッシュウッド家はサセックス州の旧家で大地主だった。」

いつの時代も「遺産相続」は大変な問題だそうで、それは時代が遡るほど深刻になります。
この作品の価値観は18世紀末のイギリスであって、ジェイン・オースティンの小説を読む限りでは、「財産」というものは、少なくとも女性にとって、器量や教養などよりもよほど大切なものだったようです。

ジェイン・オースティン著、中野康司訳『分別と多感』(筑摩書房、2010)

原書は1811年発行。
調べたら、当時英国王はジョージ三世、そしてその治世の後半は摂政時代(リージェンシー)と呼ばれる時代で、華やかな芸術文化が花ひらいたとか。
わたしはオースティンの作品を、ほとんどドラマを通して知っていますが、女性たちの服装も開放的で豪奢です。

お金って大事だよね

さて、物語の主役となるのはダッシュウッド家の未亡人とその3人の娘です。
ダッシュウッド氏の死後、先妻の息子が土地屋敷を含む財産のほとんどを相続し、後妻とその娘たちは、大邸宅から田舎の小さな住まいへと身を落とすことになりました。
この時代、女性に相続権はなく、遺産として数千ポンド(それにしたって一般人からしたら大金ですが)が与えられただけでした。
もともと生まれの高い女性は「職業に就く」ということもないため、この場合は先妻の息子ジョンが「父の遺言と好意によって」寄るべのない女性4人を広大な屋敷に住まわせ、面倒を見るのが筋です。
ところが妻がそれを嫌がったために、4人は屋敷を離れて、女中も一人しかおらず、姉妹で部屋を共有するような小さな家へと越してきました。

幸いにも、夫人の親戚筋にあたるサー・ジョンができるだけの便宜をはかり、しばしば一家を食事に招待したり、娘たちを社交の場に連れて行ってくれたりとしてくれたおかげで、一家は惨めな暮らしながらも「良家の一家」としての扱いを受けることとなりました。

この時代におけるわたしの知識は、全てジェイン・オースティンの作品とそのドラマによっているので、結構な偏りがあるとは思うのですが、職業に就くことが「低俗」とされていた地位の女性にとって、結婚だけが生涯の生活を保障する唯一の方法でした。
そしてよい縁が結べるかどうかは、本人の器量や教養、相手との相性にもまして、「持参金がいくらあるか」「実家の財産はいくらほどか」というのが重量なポイントでした。
財産のほとんどは長男が受け継ぐため、次男以下はお金持ちの女性との結婚を望みます。
身分はあるけれどお金のない女性は、財産のある男性と結婚しなければ、次第に身を落としていくことは確実なので、やはり財産のある男性で、できれば好ましい相手との結婚を望みます。

世の中金か。
知ってた。

しかしそれがこの時代の現実で、だからこそ時に理性的に、賢く振る舞って理想の相手に巡り合うチャンスを得なければならないのでした。

姉と妹

物語の主人公は、長女のエレノアと次女のマリアンです。
エレノアは理性的で、自分の感情をコントロールできて、我が身の不運を嘆く母をなだめ、奔放な次女を諌め、幼い三女の教育を担います。
マリアンは対照的に自分の感情に素直で、よく言えば天真爛漫、実のところかなり危ういところのある少女です。

ふたりとも、引っ越した先でそれぞれある男性と知り合いになります。
エレノアはフェラーズ家の長男エドマンドと、マリアンはウィロビーと恋をします。
しかし、エドマンドには若気の至りで婚約してしまった女性がおり、ウィロビーはあちこちで浮名を流し,借金まみれの碌でなしであることが次第に明らかになってきます。
エレノアは、相手の立場と家のことを考えて自分の気持ちを決して表に出そうとせず、エドマンドもまた自分の置かれた境遇から、エレノアには何ひとつ告げずに別れます。
一方のマリアンは、ウィロビーがいつの間にか財産目当てで金持ちの女性と婚約したことを知り、失意のあまり嵐の中に身を投じます。

これほど対照的な姉妹も珍しいような。

で、まあすったもんだがありまして、オースティンの作品らしく最後はハッピーエンドですよ。
エレノアは、勘当されて財産を失い婚約破棄をされたエドマンドと結ばれ、マリアンは、密かに彼女を慕っていたブランドン大佐と結ばれます。
ブランドン大佐のおかげで、エドマンドも牧師職を得て、一家はそれぞれ地位を回復し、幸せに暮らすのでした。

映像版のこと

わたしがこの作品にふれたのは、BBC版の2008年のドラマでした。
脚本がBBC版『高慢と偏見』の人で大変期待していましたが、これが最高でした。
ただ、制作の時代性というのか、一家が移り住む家が海に近い高台の上で、吹き付ける風と侘しい高原のグレーがかった色味が印象的でした。
エドマンドは好青年、ウィロビーはいかにもな美男子、ブランドン大佐は歳にふさわしくいい感じのおじさん、という配役も良かったです。
この作品はもうひとつ映像化があって、映画版の『いつか晴れた日に』(1996年)というものがあります。
これも制作の年代をよく表していて、全体的に明るくて軽やかな印象の作品に仕上がっています。
時代によって作品の印象がまるっと変わるのが面白いです。
そして何よりのみどころは、「ラブコメのヘタレ帝王」ことヒュー・グラントが「好青年」ことエドマンドを演じていることと、「我輩」でおなじみアラン・リックマンがブランドン大佐を演じていることです。
わたしの世代だと、ヒュー・グラントといえば『ノッティングヒルの恋人』や『アバウト・ア・ボーイ』など、ヘタレのダメ男、というイメージが強いので、「好青年」役なのが初々しくて……
そして若いアラン・リックマンのイケオジっぷりよ。

映画版は尺も短いので、ぜひ一度ご覧ください。

なんだか珍しく、物語の内容について説明ばかりしてしましました。
わたしの中では、『分別と多感』はオースティン作品の好きランキング4位なので、まあ仕方がないかなぁ……
原作のこのシーンが、というよりも「ドラマの/映画の」あのシーンが、という印象が強い作品です。
マリアンを心配して落ち着きをなくすブランドン大佐、いいですよね。
またドラマ化しないかな。
いい作品がいい脚本で映像化されると、何度でも見たくなりますから。

この記事が参加している募集

放っておいても好きなものを紹介しますが、サポートしていただけるともっと喜んで好きなものを推させていただきます。 ぜひわたしのことも推してください!