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「この本は、主としてホビットのことを語っている。」

ああ、ついに来てしまいました、この時が。
わたしを構成する本のうちで避けて通れないもののひとつ、『指輪物語』でございます。

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J.R.R.トールキン著、瀬田貞二、田中明子訳『新版 指輪物語 旅の仲間(上)』(評論社, 2002年)

わたし、『指輪物語』は判型違いを持っておりまして、高校のときに買ったのがハードカバーのもの、そして留学中に「日本語が読みたい病」にかかってロンドン三越の地下の本屋さんでまとめ買いしたのが文庫版のほうです。

原作は1954年、日本語訳で初めて出たのが1971年とのこと。田中明子さんが改訂に加わったこちらは新版で初版が1992年です。

ちょっと『指輪物語』に関する思い出を先に語らせてください。
そもそもこの本については、「なんとなく話には聞いている」という状態で小学校高学年〜中学時代を過ごしました。
英米ファンタジーといえば、『ナルニア』『ゲド戦記』ときて、中学のときに『ハリー・ポッター』が大ブレイクしたわけですが、「三大ファンタジー」といえば「ナルニア」「ゲド」「指輪」と言われておりまして。
でもなかなか手がでなかったのです。
それが、高校のときに「指輪物語映画化」の報が入りました。
予告を見てしまったわけですね、映画館で。
ハリポタ映画化で「実写化の洗礼」を受けていたわたしは、「これは原作を先に読まんといけない」と、本屋に行ったわけですよ。
そして、ハードカバー箱入り全7巻をお持ち帰りしたのです。

『指輪物語』は三部作で、「旅の仲間」「二つの塔」「王の帰還」と別れています。
日本語ハードカバーでは各部が上下巻にわかれていて、文庫版では3〜4冊に分かれています。つまり分量がとことん多い。
さらに、「追補編」という補足というか設定資料集的なものもついています。

第一巻「旅の仲間」は、タイトルに引用した一文から始まりますが、これは
 序章 一、ホビットについて
と題された章の冒頭です。
一、とついていることから察せられるように、二、三、と続きます。

「十二国記」シリーズは「ネズミが出てくるまでがんばれ」と言われますが、『指輪物語』は「初読時は序章を飛ばせ」とよく言われます。
序章はどちらかといえば博物誌のような、歴史の教科書のような内容で、ホビットという種族の来歴とホビット種の違い、生活様式、歴史上の有名な出来事がいくつか紹介されていたり、メリアドク氏による「パイプ草について」の論考が長々と書かれていたりするからです。

指輪物語を一通り読み終わってからこの序章を読むと、「なるほど、バギンズ家はこのあたりの流れを組む種族なのか」とか、「そうそう、ホビットってそういうところあるよね」とか、「メリー…… セオデン王…… うっ……」と感慨に浸れるます。
序章とは物語の内容を説明してくれるはずなのに、物語を読まないと全くピンとこない、という不親切仕様です。

では、この序章が「作品として悪手」なのかというと、そういうわけでもありません。
この『指輪物語』はトールキンの創作ですが、彼は「西境の赤表紙本(西方共通語で書かれたもの)から英語に翻訳した」という体裁を取っています。
はるか昔の歴史文書群のなかから、ある1人のホビットの体験をまとめた本を見つけて、世に発表したのだ、と。
その体裁を取るときに、「そもそもホビットとはなにか」という説明を他の文書から拾い上げた体で簡単な歴史を記すのは、「未知の文明の物語を世に知らしめる」ためには必要な手順ですし、あるいはメリアドク氏の本草学の原稿はこの物語に関わりが深く、ホビットの文化的にも重要であるから、載せることは至極当然です。

トールキンはそうして、「かつて西方世界に存在しそして消えていった、ある種族にまつわる物語」を、「英国のための神話」を作り上げたのでした。
トールキンは物語を書くことを「準創造」と呼んでいます。
ひとつの世界を作り上げること、それは神の天地創造を真似る、とても人間らしい行動だというのです。

そうして、トールキンは「中つ国」というひとつの世界を創り上げました。
『指輪物語』は中つ国の歴史の本の一部、かの有名な「指輪戦争」を、渦中のひとりとなったホビット、フロド・バギンズと、その仲間たちの視点から描き出しています。
それはまるで、フランス革命を庶民の視点から描いた『レ・ミゼラブル』のような立ち位置なのでしょう。
その意味で、序章の書き出しの一文、「この本は、主としてホビットについて語っている」というのはまさに言葉のとおりです。
指輪戦争においてもっとも尽力したのはガンダルフであり、人生の命運をかけていたのはアラゴルンであり、数世紀にわたる戦いに終止符を打ったのはエルフ族です。それでもなお、指輪所持者としてのホビットがどのような冒険をしたのか、世界の情勢を知らないホビットが、世界の一つの終焉と始まりをどのように観察したのか。そのことを語っているのが、『指輪物語』です。

ちょっと愛が溢れすぎて物語全体の話ばかりをしてしまいました。
ここからは、「旅の仲間(上)」の話にうつりますね。

わたしは初読時、気合いで序章を乗り切ったのですが、それだけで頭がクラクラしていたのはいうまでもありません。
そしてホビットたちの少し耳慣れない名前や、次々現れる登場人物の多さに圧倒されて、読み始はじめてしばらくのあいだはメリー・ブランディバックを女性だと思っていました。
ごめんね、メリー。
メリーが「メリアドク」の略称だと気がついたときには、びっくりしました。ごめんて。
ちなみに、メリーはメアリーのMaryではなく陽気なほうのMerryだそうです。知らんよ。日本語難しい。

映画ではビルボの誕生日からフロドの出立までがあっという間ですが、実際には20年ほどの年月が経っています。
そして、ガンダルフの助言に従って村を出たホビット一行は、森の中を彷徨い塚人に囚われ、トム・ボンバディルに助けられて、ようやくブリー村の踊る仔馬亭にたどり着くのです。
ここまでに、ものすごく長い時間がかけられています。
これがホビットという小さい人族の歩くスピード、そして「世界の危機」や「身の危険」を本当の意味で理解していないホビットたちの暢気さです。
あとから振り返ると、このころは幸せだったな、と思います。
何も知らず、何も思い煩うことがなく、ちょっとした冒険をして、家に帰ればすぐに笑い話と自慢話にできそうな、そんな冒険です。
そして、このころの無邪気で無垢なホビットたちは、そのままでは故郷の土地を踏むことはないのです。

踊る仔馬亭で出会うのは、みんな大好き馳夫さん!
馳夫さん!
わたし、「馳夫」って名前が大好きで、これは本当に訳者の瀬田貞二さんの仕事の中でもトップ10に入るんではないかと思うんですよ。いや、どうかな…… いい訳が多すぎて難しいな……少なくとも、『指輪』内ではトップ10ですね。おそらくね。
馳夫さんが出てきたことで、物語は「児童文学的な冒険譚」から、神話と伝説の世界へと次第に移っていきます。そのことに戸惑うのは、サムをはじめとした年若いホビットたちで、フロドはそれほど戸惑いも驚きもしません。
フロドは物語のはじめから、すでに伝説の世界の住人になりかけていたのでしょう。指輪を手にした、との時から。それでも、彼も自身の持つ指輪の恐ろしさを、正確には知りません。馳夫さんの方がよく知っていたことでしょう。
この指輪がいかに恐ろしいか。
この指輪を巡る争いが、自分の運命を握っているということを。

馳夫さんの助力によって、ホビット一行はようやくエルフの住まう土地、避け谷にたどり着きます。いえ、たどり着く一歩手前で、上巻は終わります。
指輪を安全な地に届ける、というフロドの旅は、ここで一区切りをつけるのです。
…… そう、一区切りつくはずでした。
ホビットのことを主に語っている本の主人公が、第一部の上巻でお役御免になるはずなのどないのです。


ほんとうは、瀬田貞二さんの翻訳の話もしたいんですよ。とっても。
トールキンの話もしたいんです。
でもちょっと、分量も大変なことになってきましたので、一旦ここで終わりとしましょう。
瀬田貞二について語る回、いずれやらないといけないですねぇ。


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