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「トロイアの包囲戦が終わり、城壁がくずれ落ちるとともに城市が炎の中に灰燼と帰し、裏切りをたくらんだ反逆者が裁きを受けると、気高いアイネイアスと、世に誉れ高きその一族の者たちが国々を次々とたいらげ、西の島々の富を、あらかたわがものにしてしまった。」

そういえば、これの映画がもうすぐ公開になるんだったか。
と思って本棚からひっぱり出しました。
わかります?これ。

J.R.R.トールキン著、山本史郎訳『サー・ガウェインと緑の騎士』(原書房、2003)

映画はこちら。
The Green Knight という原題で2021年の作品だそうです。

大学時代の思い出

しょっぱなから思い出話もあれかと思うのですが。
わたしがこの作品を手に取ったのは、大学3年(イギリスの大学なので最終学年です)のときの、「中世ロマンス」の授業でした。
3年生はほとんどの授業を自分で選択できるのですが、とにかく「どれも知らんな」状態だったので、なんとなくこの科目を取ったのです。
結果、死にました。
「ロマンス」と聞いて普思い描くのは「恋愛小説」ですが、もともと「Romance」という語は「(騎士の)遍歴物語」のことを指します。
日本語でいうところの、「浪漫譚」ですね。
そんなわけで、わたしが読んだのは中世の恋愛小説ではなくて、中世の騎士物語だったのでした。

英文学で「中世」というと、13−14世紀ごろのことを指します。
同時に「古英語」の授業も取っていたわたしにとっては、中世英語はだいぶ「現代英語らしい」し、なんなら16−17世紀のシェイクスピアあたりになればほぼ「現代英語だ」と思ってしまうくらい、英語という言語は時代による差が大きいのです。

使用していたテキストは、「原文を現代英語のアルファベット」に直したものでしたから、薄目でみればなんとなく発音もわかる気がするし、うっすらわかった気がするのです。
それでもわかんないものはわからない。
で、当たり前のように日本語訳に大活躍してもらいましたよ、ええ。

トールキンの「緑の騎士」

トールキンの『サー・ガウェインと緑の騎士』は、トールキンによる「現代語訳」です。
もともと、『サー・ガウェイン』の物語は14世紀後半のテキストで、著者は不明。
もとの言語は、現代英語話者にとっても困難なほどです。
これがおもしろいところですが、同時代に書かれたチョーサーの『カンタベリー物語』は、『サー・ガウェイン』に比べると驚くほど読みやすいのです。
薄目でみれば、なんとなく現代語っぽく見えます。
これは、チョーサーがロンドン付近の英語方言で書いていたのに対して、「ガウェインの詩人」はもっと西、ウェールズ近くの方言で書いていたためです。
なので、現代語訳は外国人であるわたしだけではなく、ネイティブ英語人にとってもとても役立つもののようですね。
トールキンは言語の専門家なので、翻案と言っても小説風に仕立てるのではなくて、元々の叙事詩の形に近い、韻を踏んだ詩の形態で訳しています。
なので、やっぱりわたしには日本語訳のほうが何倍もわかりやすいんですよ。
英詩むずかしすぎる。

トールキンと言語と物語

トールキンは『指輪物語』を代表とするファンタジー作家ですが、かれの本業はオックスフォード大学の古英語の教授、そして興味の中心は言語学でした。
古英語を専門としていたとはいえ、英語史全般は当然の如く体得していたのでしょう。
かれは幼い頃から数々の言語を学び、独自の言語を作り出し、その言語を使う人々の歴史を作るという遊びをしていました。
それが、ついには『指輪物語』とその背景となる『シルマリルの物語』『終わらざりし物語』などの、中つ国の歴史物語へと発展していきます。
トールキンの大きな功績の一つに、古英語でも最古の叙事詩である“Beowulf”を物語として再発見した、というものがあります。
「ベーオウフル」は古英語で書かれた、10−11世紀ごろの叙事詩とされていますが、まとまった作品として現存する貴重な文献のため、主に「古英語の解読と研究」の対象として研究されていました。
トールキンはそこに、「古代北欧の英雄譚」という価値を見出し、物語としての「ベーオウフル」を世に示したのでした。
この、「言語とは人々の生活であり歴史である」というトールキンの考え方は、『指輪物語』に存分に生かされていて、というか、自分の作った言語に歴史を与えるために創作していたのがああいう形で世に出ただけ、ということらしく、つまりトールキンは生粋の言語オタクなのでした。

サー・ガウェインの物語

さて、トールキンにばかり熱くなるわけにもいかないので、少しだけガウェイン卿の話にも触れておきましょう。
ところでこの導入の文、一体なんのことやらと思いません?
時代性だと思いますが、おそらくもとは口承で語り継がれてきた物語であったのでしょう。
「これはいつ頃のこういう時代の話だよ」という前提を説明するのが大切なのだと思います。
トロイア戦争、ローマの建国、そしてはるか西のブリテン島では、名高きアーサー王が統治するころ、というものが物語の導入です。
アーサー王は実在したかどうか分からない伝説上の王で、ヨーロッパの各地に「アーサー王伝説」が残されています。
「サー・ガウェインと緑の騎士」も、そのうちのひとつです。

あるクリスマスの晩、アーサー王と円卓の騎士が祝宴を催していると、とつぜん「緑の騎士」と名乗る巨人のような騎士があらわれて挑戦します。
曰く、「わたしの首を切り落としてみよ。そして1年後、同じようにわたしに首を切らせよ」というものでした。
首を切り落とされてどうやって1年後に報復するのか、と沸いた一同の中から、ガウェイン卿がその挑戦を受けます。
彼は緑の騎士の首を切り落としますが、緑の騎士は落とされた自分の首を抱えて、「1年後の約束を忘れるな」と城を後にします。
1年後、ガウェイン卿は自らの誓願を守るために、緑の騎士を探して遍歴の旅に出るのでした。

というのが大まかなあらすじです。
首を切り落としても死なない怪物相手にどう戦うのか、騎士としての名誉と命を守ことができるのか、というのがこの作品の見どころです。

続きはどうぞ、本か映画で。

いやそれにしても、やっぱり英語には苦しめられましたなぁ。
好きでやったとはいえ、古英語、中世英語、シェイクスピア時代の英語、近現代、現代英語と、ずいぶんいろいろな英語を読みました。
シェイクスピア以降はもうただの英語ですよ。
わかるかどうかはともかく。

ところで、中世英語の『サー・ガウェインと緑の騎士』が14世紀末、最古の作品と呼ばれる『ベーオウフル』(欠けあり)が10−11世紀の作品な訳ですが、ところで一方『源氏物語』は11世紀の作品。
単に「文学」ないし「文字で記録をとること」にかけては、日本はずいぶんと古い歴史があるものですね。
源氏物語、現代語翻案ものでしか読んだことないけど。


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