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病み上がりに市民シンポジウムに参加した件とファシリについてのモヤモヤ考察など

久しぶりにいぬ氏とTwitterでメンションしたりしてやりとりはちょっとあったが、ゆるりと書簡に戻って来ました。ちょっとお知らせしたとおり、ちょっと前から季節外れ?の風邪に罹患したようでピーク時は寒気で震えていたのです。そういう時に限って熱を測ってもそこまで高くなかったりして37度台中盤だったけど、ピークはきっともう少し高かったと思う位ブルブルでした。魔法薬ロキソニン飲んで寝たら37度切るまで落ちて、喉の痛みだけになりました。本調子ではないですが、まあ回復に向かっています。

さて、そんななかで、もともと申し込んでいた生物地理学会のシンポジウムに参加してみた。会合の概要は登壇者の橘玲氏の紹介ページをはっておく。橘さんはたまに書簡やブログで言及することもあるし、考え方がとても似ている(影響されている)ので気になっていた。前の会社辞めなければ仕事で講演を聴けていたのだがまあ機会ができてよかった。

コメンテーターの吉川さんからのいいねがあって嬉しかった

ので吉川さんのページからも。

あまり関係ないけど橘さんは学部の先輩で吉川さんは会社の先輩の様子であった。80‘sなんかは凄くわかるので好きでサイン貰えば良かったかな。

ま、世界はそれほど狭くはないけど広すぎはしないのかもしれない。

いろいろと感じたことがあったのでシンポジウムの感想をざっくりとまとめつつ、その後に前回もらった書簡へのちょっとしたレスポンスも兼ねて書いてみたい。感想に濃淡はあるけど、ま、公平な分量で良し悪しを書いてみる。

興味深かった、オモロかったところ

・いきなりウェルカムコンサートということで、ピアノ+声楽でスタートした。

・会長の森中先生のテノールボイスはマジ感動した。

・橘さんの話はいつも読んでいた内容ではあるけれど、実存経由で受け取れたことが良かった。それが想像以上にナイスボイスだったのでなお。

・吉川さんのコメントで「加速主義」という概念を知ったこと。

・神戸(ごうと)さんの紹介で子どものための哲学という実践を知ったこと。

・橘さんのコメントで「マルチプルなアイデンティティを持てる人がリバタリアン」というものがあり、膝を打った。多元的自己を考えるブームは去ったけどピンと来た。

いただけなかったところ

・ウェルカムコンサートちょっと長い。3曲でいい。それかソプラノの人は2曲で良い。

・受付の並ばせ方とかさばきがダメ。せめてどのあ行とか苗字の人がどこの列に並ぶかを視覚的にわかるように、できなくても誘導で都度案内するようにすべき。

・AV機器の使い方が不慣れなのはしょうがないけど発表者はもう少しリハしようと思った。

・コメンテーターの神戸さんのプロフィールやらコメントが講演要旨になかった。これは、彼女が拒んだのか、もしくは会でも言及されたり上野千鶴子式辞でにわかにバズっている女性バイアス的に、彼女だけ要旨になくても良し的な処理されたのか、そこのあたりがわからなかったけど気持ち良いものではなかった。

よくわかんなかったこと

・やっぱり、生物や生態系?を扱う日本生物地理学会と今日の講演の政治哲学とか社会思想系の話との接続はそこまですわりが良くない感じがした。毎年トライしている意義は称賛すれど別のスポーツを一緒にやる感じでどうなのかなと思った。コメント役が橘さん議論へのコメントでなく自己紹介なのが大半だったから。

所感

・橘さんが紹介していた「ナッジ」という言葉をあまり理解していなかったが行動経済学経由のものだったと知る。

・じぶんの理解ではインセンティブとかアーキテクチャとかアフォーダンスにも関連する感覚をもったが、それぞれのニュアンスをいれつつナッジを俺なりに理解すると「環境を設計して人民がそのように行動したくなるように誘因していく」作法ということかと思った。

(いちおう、ちゃんとした説明のリンクをつけておくwww.hitachi-hri.com/keyword/k114.html

・俺もおじさんなんだけど、おじさんばかりでなんだか多様性がない感じがした。でも、そんな雰囲気に実は安心してしまっているのかもしれないな、とも感じた日。

これは、今回のおみやげみたいなもので、心地よくはない違和感なのでようやく書簡的なレスとしても書いてみたい。ファシリテーターへの複雑?な思いとも関連するのだと気づいた。

どうも心に残ってスッキリしないこと

さて、ようやくですが

ここに書いてくれたこと。もともとは俺からSlackでキックしたことなんだが笑

いまなんとなく感じているのは、味方になってくれる人が少しでいいからほしいなあということで、つまりは今ぼくが感じている希望、期待、夢、危機感、問題意識、そういうものにちょっとでいいから興味を持ってくれる人の力を借りたい。そういう意味でも、ぺんぎん氏とツープラトンファシリテーターをぜひ一緒にやりたいのである。

ツープラトンファシリテーター、やれたら面白いだろうなと思っている。ところが、俺はいま、対話やワークショップに対してどうも誤魔化せない違和感とか嫌な感情が残っているのだった。これまでにちょこちょこと書簡でも書いてきたのだけど。そこをじぶんなりにケリつけたいのがこの頃なのだ。

そこで、今日のスッキリしないこと、だ。これも箇条書きしてみる。

・コメンテーター神戸さんの時に、15分程度の時間でいかにも教育学出自らしき!?コールアンドレスポンス、対話的なたてつけになった。

・問いを設定して観客に質問をするのだが、クッシュボールみたいなものを投げて応答していた

・お隣対話ということで、問いを設定したことに対してとなりの人と話しましょうという時間がつくられた

・こういう時間があることで、聞くだけというよりもより来た意味があるんだとなると良い、みたいなコメントがあった(本当にそうか、と思った)

こんな感じのこと。

なにが気に食わなさだったり違和感なんだろう、と考えてみる。

・キレイにまとめない、ということだけど「こなれている」のが癪にさわった。クッシュボールとか。

・お隣対話そのものがもともと好きではないということもあるが、場が整っていないのに対話をしたがるのは「暴力的」だと考えているから

・機嫌が悪そうなとなりのおっさんに無理やり話しかけるのが憚られたから(今回特有)→結果、お話しかけせずスマホいじっていた

ここまで書くと神戸さんアンチかよ感があるけど、神戸さんのことこれまで知らないし特定の人がどうというよりもワークショップ的なものとか「対話」ということへの難しさとか予定調和的な感じとか、労多くして益少なし感というか、やらされが嫌だなあという感じなんだろうと思う。

今回でいえば、いかにも嫌そうなおっさんに話しかけたくないというのが一番だったけど。今までの俺は無理してそういうのやってきたり、研修でも提供してきたりしたけど、主夫の今はそういう無理ホントしたくないので今回遠慮なくしこりもなくやらなかった。

俺は学際領域だけど教育学的なことで修士論文書いたし、仕事でも講師、ファシリの世界にどっぷりで、やったり浴びたりした内容でいえば日本有数の贅沢さだとは自覚している。だけど、浴び切った結果、どうも今のワークショップとか対話のスタイルではブレイクスルーはないし何より俺が生理的嫌悪だというのがあるみたいだ。

だから、ツープラトンファシリなのかもしれないとも思っている。漫談しながらファシリとかみたいな。理想は、ダベリながらお客さんを巻き込んで行くことで、お客さんとの境界をゴッチャにしていくみたいな、関西的なものにマッチするかもしれない。座敷でワイワイやるとか、テレビの公開収録とか、スナック談義とか、なんか日本にすでにある作法があると思うんよ。答えを求めないとか成果物なしとかいうけど、もっとそういう「構え」もなくやれる対話ってないもんかって思うんよ。削ぐなわないモードでファシリテーションやっても儀式以下の浪費でしかないと思うもの。

教育学ないし教育工学の設計とか構造化ってのは、どうも「最適化」を求めたり真面目を追求して手続き的になってくるものだと思うのだが、もっとイリイチ的に「コンヴィヴィアル(宴会的)」になったらと思っている。ただし、シラケをつくらない宴会。これが難しいのだけどね。祭りみたいになるといいのかもね。今のワークショップはワナビーたちのウチワのものになりがちだから。

まあね、でも一方で歳をとって耐性が減っただけとも思ったりもする。新しいことにさらされることに耐えられなくなってきているだけなのかもしれない。途中に、おじさんばかりで多様性がない会だとして、そこがどこか安心めいたものである胸中もあったのではと。

それは、神戸さんがコメントで橘さん(やほかの男性陣)の議論を「男性的視点」というきっと本音では言い切りたくとも言葉を濁しつつ発したことに関連している。二極化し分断されて「貧困層」になった男性はなぜ女性を憎むようになるのだろう、みたいな問題提起はそういうことで、潜在的に女性を下に見ているから、ということになるんだろう。突き抜けたエグゼクティブには嫉妬せずとも、近かったり下に見ていた人たちが自由だったり能力的に秀でていることを認めてしまったら自尊心が崩壊だからだろう。

俺もそういう心境を持っていないとは言えないし多分に有している。そんなことを自覚もした。そういう嫉妬やらニーチェ的ルサンチマンと対抗しようと思うと、「やる」主体になるしかないんだろうね。やる側に立つ。評論家だとしてもやる評論家になるということ。だから、やり始めようとしているいぬ氏に負けないように行動していきたいものだと思う。あと3ヶ月は潜るけど、ようやく蘇生段階に入っていくんだなと思ってます。

なんか、病み上がりなのにちょっと頑張りすぎたかな。では、長々書いたけどDag.

追伸

中野民夫の古典が響いたならば、本質的なやつが好みそうなのでこれを紹介しておくわ。

今はたまに神山に行かれているみたいの西村さん。むかし、渋谷でインタビューさせていただいたけど、フェイクやなんちゃってのスタンスが嫌いなごまかしを許さない鋭い方だなと思った記憶がある。俺はそういうのしがちなので、ビクビクしていた。この若林さんの文章からも人柄がわかる。


Dag.



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