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21世紀のスキゾキッズどもへ

夕食の鍋を茹でる間に更新します。

感想とか、関係ないけど思ったこと

フリーテーマきた。早速、関係ないけど思ったこと。

時間ができたのでボヘミアンラプソディーを見てきた。今年(昨年?)最高とか、ヤフー映画のレビューも脅威の4.5超えしていたので期待して行った。俺は4かなという感じだった。私的ポイントはやはりバンドの撮り方。監修にブライアンもロジャーも入っていたので往年のファンにも満足なのだろう。だが、自分はそこまでクイーンファンではないし、アルバムも一つも買ったことがないし、ブライアンメイの自作ギターとコモったミドルブースト気味なサウンド萌えだったのでそれで4。ライブエイドを最高潮に持ってきたというのもどうなんだと思ったり、まあ最高とか評価している人は往年のファンか、アーティストのライブビデオとかをそこまで見たことがない人なのかと思う。いや、カッコいいんだけど、ライブシーンだったら映画ではないがU2のダブリンのとか、オアシスのアールズコートとかの泣けるやつがある。それこそエアロスミスとか日本でもB’zのLIVE gymとか泣けるぞ。

あまりに関係ないお話です。まあでも強引に言えば、フレディは享年45で、遠くない未来でもある。といいつつ、カートコバーンもジミヘンもジャニスも20代で亡くなってますね。太く短く生きる、とか若い頃は思っていても今はのらりと長生きしたいと思ってもおります。健康って難しいですけど。子育てで腰も首も痛めましたから泣

さて、正直に言えば、いぬ氏の告白には結構考えさせるものがあって胸に迫った。教えてくれてありがとうと言いたいし、つまびらかにしてもらったことで、いぬ氏への理解が深まったと感じています。いぬ氏が最も辛かったであろう期間も付き合いが有ったわけだけど、そういう心理、心境でいたというのは傍目にはわからないものだと思う。

でも、多かれ少なかれ、みんな抱く心境なのではないかなとも思う。私もそうだったし、同僚から似たような経験を聞いたこともある。私の場合は、さしたるきっかけはないけれど、出世も給与上昇もある程度見えてきたら「心の充実感」がないという感覚が身を蝕んできた感じがあった。そこに加えてエセアカデミックな志向が加わって貴重な生活時間で論文書いたり学術書を読んだりして、人生を楽しむ余裕がなくなっていたかなと思う。(しかし必要なプロセスだったとは思う)

あと、私は転職が多いのだが、結果として面白い会社とかキャリアを経ていると言われるけれども、心の充実感を求める青い鳥症候群であるとも自覚している。多かれ少なかれ責任とかルーティンを引き受けることからの逃避でもあった。

でも、じゃあひとつのこと、ひとつのところに身を定めてこつこつとやっていきましょう、ということが価値とも思っていない。今風にいえば他動的に、ニューアカ的にいえばスキゾ(by浅田彰「逃走論」)にやればいいと思っている。必ずしも会社で大成する必要はない。できたらそれに越したことはないけどできないならそれを認めてしまったほうが良いだろう。(とはいえ、人事職としてサボったり流したりすることを肯定するこのスタンスはダブルバインドになり、自己否定的になることもあって、これは未解決領域ではある。ゆえに復職がこわくもある)

さて、いぬ氏書簡にあった「無我夢中」というのはひとつのキーワードかもしれない。オレ流に解釈すれば「ハマる」こと。ハマるのは歳をとるごとになかなか難しいものだと感じるが、大切なのは打算とか人目を気にするのでなく、ほんとにグッとくるものを選び取ることだなと思う。ゲームだろうが釣りだろうが、そんなに高尚なものでなくても良い。没頭できるものがあるって幸せ。

そういやワカモノ研究している博報堂の人も最近サイバーに行ったぽいけど、ともだちからの話を聞くとたまたま若者研究がハマったけど、それまではどーしようもないという見られ方をしてもいたようだし、彼は仕事でハマったということなんでしょう。しかしリーマンは運が大きいですなほんと。

俺の場合はてらいも無く言えば今は株式投資。少ないカネで真剣に取り組むゲームだ。企業評価して市況を読んでタイミングを見て売買する。そしてカネへの執着はあるものとして認めることにしたので、貴重なスキマ時間でせっせと研究するというわけ。種銭作るのにメルカリを使ったりして断捨離もして一石二鳥でもあるわけw

副業しようかと思ったことあるが、仕事していてさらに働きたいと思わなかったし、効率を求めたら副業するよりも四季報読んでたほうが俺には生き時間だと確信したわけだった。とはいえFXとか先物はやらない。働くことはあまり好きじゃないけど、経済活動とか企業活動そのものには興味が強いんだろうと思う。人も企業も魅力を見つけるとか、発掘するというのが萌えポイントなんだろう。とはいえ、昔ほど他者を磨いてプロデュースするぞという気持ちはなくなったけど。

抜け切れたとは思わないけど、中年の危機を超えるヒントは、ウソなく自分を見つめて認めることにしかないのではないかと思う。

さて、どうしても私たちは「働く」とか、それを中心にした「キャリア」に囚われ過ぎてしまうのだけど、どうも過剰にそこばかりが語られ過ぎていないかと。増殖するビジネスメディアの弊害もあるのかもしれん。(ネット、書籍、経済系の番組とか)

スガシカオの最新作は「できれば働かずに光合成して生きていきたい」だったか凄いネーミングでびっくりなんですがw俺の場合は働きたくないのかどうかまではわからないけれど、ひとつの集団に過剰適応してやっていく=働くとするなら働きたくないなというのはわかった。とはいえ、所属なしに働く自信はないので、ここの折り合いは今後の長いテーマになるだろうと思う。しかし、育休を通じて働かないで暮らすことは向いているとも実感したので、できれば光合成で生きられるよう、働いて得た原資をリスクとって増やして経済的独立はしたいなと思っているこの頃である。

カネが全てではないが、カネがあることでえられる安住もある。そして、カネを得たらカネでやりたいこともある。カネに関係なくなることでやりたい活動もある。ということで、カネをつくるというのは働いてもいないくせに重要事項になってきているのである。

俺といぬ氏をわかつ?大きな違いは「働くこと」への意欲なんだと思っているんだけど、そこを聞きたい。無我夢中といったって、結構、働いたりクリエイトすることへの欲望が高いわけじゃない?そのあたりを聞かせてくれたらばと思う。

Dag.

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