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「何者」

人間は誰しもが何者かになりたいという欲求を持っている。

今の僕には肩書きがないことが悩ましい。

終電近くの深夜の東京を歩いていると警察に職務質問をされることがある。 僕が日本でも平然とネパールで買ったド派手な服を着ているのが原因だろう。

その時に所属している会社名など示して、皆に評価される肩書きがあればいいのだが、あいにく僕は持ち合わせていない。  

「普段は何をしているんだ?」と聞かれて「普段は日本で生活していなくて、ネパールという国で暮らしているんです、、、よ」と言うとさらに怪しい目つきをしてくるので困ったものなのだ。  

最近は深夜に警察を見つけたら、こちらから会釈をするようにしている。そうすると、職務質問受けたとしても時間が短くて済むのだ。 


何者かになりたいと言う欲求は今に始まったことではない。  

特に思春期の時こそ、「何者」かなると言う妄想を膨らまし続けていたように思う。  


僕は小学校の時にペン回しが人よりも異常に上手だった。

これは自分だけの特技として誰にも負けない凄いところまでいくかもしれないと思った。

ペン以外のものでも出来るのではないかと、バットでペン回しをやったらバットでもできるようになった。  

この自分にしか持っていない技術はいつか、テレビや新聞の取材がくるようになって、すごい何者になれるかもしれないと思い授業中はペンを回し、休み時間はバットを回す練習に明け暮れていた。  

だが、結局ペンを回しただけ取材がくるわけでもなく、その技術を褒めてくれたのはクラスの優しい友達数人だけであった。 


他にも、 目の前で見知らぬおばあちゃんが倒れていても、真っ先に助けに行けば、自分もヒーローのような何者かになれるだろうと妄想し、いつでも動き出せるような脳内でシミュレーションだけはバッチリと済ませていた。

学校の中にテロリストが侵入してきたとしても「ちょっと待った!」と自分がテロリストに向かって果敢に戦いを挑んで学校を平和に導く、そんな妄想もしょっちゅうしていた。  

「何者」かになりたいと願いつつもそんな妄想が現実には起こらず、今の現実の自分を見返すと大多数の中の一人であるしかない。いつか「何者」かにになり得る0.0001%の希望を糧に現実を慰めている。 



高校生の時に「ペイフォワード」と言う映画を見た。  

この映画は社会の先生が「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をするか?」と言う課題を生徒に出し、その生徒のうちの一人がその課題の答えとして

「3人に親切なことをし、その3人は別の3人に親切をする」と言う恩送りを提案したのだ。  

そして、その恩送りを実行した少年一人のきっかけにして見る見るうちに世界が変わっていくと言う物語だ。 



高校生の時、自分もこの課題が与えられたらな何をするべきかを考えみた。

たった一人の行動が世界を変えるくらいのインパクトを持つ「何者」かになるためには何をすればいいのだろう?  

授業の合間にノートにいくつもの案を書いて、こうでもないああでもないと考えた。 


世界史の授業で教科書を眺めていた時だった。 

ふと世界を変えるたためのアイディアが思いついたのだ。

  

教科書の最初の見開きの世界地図の国境線を見ていた。 

国境線で国が分けられている中で、アメリカとカナダの国境線は綺麗な一直線で別れている。こんな綺麗に国境が分けられているって実際に国境にまで行ったらどうなっているんだろうと不思議に思った。  

実際に一直線に線が引かれているのだろうか? ここら先はカナダ、ここまではアメリカと書かれているのだろうか? 

僕は海外にいったことがなかったので、見たことない国境線を想像した。  


もし国境線に行ったら何をしよう。せっかく国境に行ったら何か面白いことをしてみたい。 

あいのり的な「次は、、、カナダ!!」みたいに国境をジャンプするしても楽しいだろう。

でもそれだと、二番煎になるから面白くない。何か自分しかやっていないことをやってみたい。


国境で何をしよう?何をしよう?何をしよう???

「国境で反復横跳び」ってば面白いのではないのか。  ふとそんな考えが思いついた。


脳内で海外旅行をしアメリカとカナダの平行に書かれた国境に立ち反復横跳びをしてみる。

アメリカ!カナダ!アメリカ!カナダ!アメリカ!カナダ!・・・と想像しただけでワクワクするではないか。  


もっと他に面白い国境はないだろうかと探した。  

スペインとフランスの国境で反復横跳も面白い。 

スペイン!フランス!スペイン!フランス!・・・反復横跳びの国をまたぐ瞬間でスペインの情熱的空気とフランスの紳士的情緒が一気に味わえる。  


他にもっと面白い国境はないか。

もっと反復横跳びをするのにふさわしい国境があるはず。 世界地図を見渡した。 


その時この世界で起こっている問題に直面した。 


韓国と北朝鮮の国境。 

韓国と北朝鮮を分けた北緯38度線。多分、ここで反復横跳びはできないだろう。 


インドとパキスタンの国境。  

カシミール問題で揺れるここも反復横跳びをやろうとしたら殺されてしまうのではないか。  

そう考えるとイランとイラクも反復横跳びはできないだろう。 

歴史的に見ても、かつて東ドイツと西ドイツの間でベルリンの壁があり反復横跳びをすることを阻んでいた。  


今の現在の世界では反復横跳びが自由にできないんだ。 

国家という人間が作り出した社会によって、同じ人間であっても隣国がいがみあい続けている。 


それならば、誰かが国境を使って反復横跳びをし始めて「世界中全ての国境で反復横跳びを自由に!」そんなデモを起こせばいいのではないだろうか。 

それに共感した人たちがどんどん国境を使って反復横跳びをし始めて、国境間での紛争に皆の関心がいき、世界中の問題を解決できるかもしれない。 


「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をするか?」 

高校生の僕が考えた一つの答えが「国境を使って反復横跳びをする」だった。  


これならば僕だって世界を変えることができるに違いない。

みんなで国境を使って反復横跳びをしよう!と、きっと世界中でムーブメントになるはずだ。 


まずは自分がやってみようと思った。 

僕の家が神奈川県の藤沢市にあるのだが、家のそばに境川という川があった。川を渡ればそこは横浜市になった。  

小手試しに藤沢市と横浜市との境で反復横跳びをやってみよう。 

境川に沿いは綺麗なランニングロードとして舗装さえているので、ランニングの格好して入れば違和感なく反復横跳びができる。  

家からランニングして境川についた。川から向こう岸を眺め、あれが横浜か!とだんだんとワクワクしてきた。

走って橋のところまで行った。 橋の中心に立って、右を向けば藤沢で左を向けば横浜。自分はいまちょうど中間にいる。 


いざ!反復横跳び!!  

と思ったのだが、橋の上だと、反復横飛びをしたところで藤沢の陸地にも届かないし、横浜にも足が届いていない。  


仕方ないので反復横跳びは諦めて、橋の上をダッシュで走ることにした。  

藤沢、そしてダッシュして横浜。次は横浜からダッシュして藤沢。  


しかし、これだと、ただただ橋の上でシャトルランをしている人にしか見えない。ムーブメントも何も単なる橋の上でのトレーニングだ。 

このムーブメントを起こすには、どうしても国境は川で区切られるものでなく地続きの陸の上での国境でないとダメなんだ。 

きっと陸続きの国境で反復横跳びをすればムーブメントを起こすことができるはずだ。よし、将来この活動をするなら陸地での国境線から始めよう。 



高校生の時に考えた、僕が世界を変える方法の一つだ。  


あれから17年も経つのだが、僕は今だに国境に立つという経験をしたことがない。  

いつか人生の中で国境線に立つことができ、念願だった反復横跳びができるならば、かつて昔の自分が描いていた「何者」かになれるのかもしれない。 

何者は就活する大学生を現代のアイテムであるTwitterと共に描いた小説。 就活はいかに自分が「何者」であるかを虚栄を言い張り続けるしかない。なぜなら大企業に入れば「何者」かになれるだろうという幻想を信じているのだから。「内定者」が現れた時に見える裏の顔。人間が本当は「何者」だったのかを暴いてくれます。 



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