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笙野頼子『放火予告を「免れて」います』④

③は下記よりご覧ください。

7 書き手と版元、書き手と本屋、書き手と読者、読者と読者、書き手と書き手、版元と版元、…テロは全てを分断していく

 さて、そろそろ最後です。今回の放火予告、その本質は?
 言葉狩り以上の事実隠蔽テロであるばかりか、日本国憲法に対する凶器そのものです。言論活動を分断し個々を孤立させていく爆弾です。警察が軽く見ているのならこれを国政になんとかして貰わねばならない。そもそもこの予告は一体何を破壊しているのか、女性、子供、だけではない。近代、言語、自由、歴史、国家が守るべきもの全部を壊して行く。などというと話が大きいけれど、結局じゃあどうやって守るのか?逮捕しかない。逮捕以外にも書店における違法行為の徹底処罰しかない。という一方で「細かい」話、大型書店 は警備がしにくいのか?
 私はこの前、ネットにおいて、——「TRAの味方と化し例の本を置かない大型書店に対する徹底抗議文を」という活動家の友達と議論しました。私は「それはお見舞い文の方が良いかもしれない、つまり、本は置いて欲しいけれど、警察の協力は必要だから」と主張しました。これ、各店の警備状況次第なんですよね?そして書店もグループの一律の決定ではなく、各店の判断に委ねるのがいいかと思います。でも一番必要なのは情報収集やパトロールの強化、万引き等も含め書店の犯罪防止、暴力的な活動家の取り締まりでしょう?
 実際に大型有名書店の方が狙いやすいんですよね?だって多くの店舗がデパートやビルの中にあるのだから。
 しかも大型店舗に放火すれば被害も大きい。商品の損失に電気系統の故障、ビル全体の休業、避難の際の混乱による事故や怪我や、なんなら死人が出ます。そもそも、……。
 件の火付素留代様がもし本当に大きい本屋に火を放てば、仮に本一冊を焦がした場合でも、「ボヤ」ではなく「テロ」と新聞は書かざるを得ないわけで。
 なので「書店それ自体を責めるよりも、全書店で警察にお願いしてパトロール強化をして貰うようにする方が良いと思います」と友達に言ったわけで。は、なんですって?
 「ふん、どうやら書店相手だとぬるいなーお前、そもそも同志とも言えるシュライアー氏の、命綱とも言える作品販売を停止されて、よくもそんな相手を庇えるものだな。」だって? ああ、確かにおらたち作家は書店様には絶対に勝てねえだ。しかしどうかここから最後までお読みください。そしたら私が書店の一体何に怒っているのかすぐに判りますので。ていうか、……。
 こんな事態にTERFと書店が罵り合ってどうするんだという話なんですけど。そうなったら放火屋の分断活動、思う壺じゃないですか?
 何よりも私の本は今までずっと守って貰っていたので、なので、私としてはまずお見舞い申し上げますと言うと共に、どうか私の本をそのまま置いてくださいと頼むしかありません。他の反ジェンダー本についても警備状況次第ていうか即行警備強化してどうか置いてくださいと根性で頼むだけです。例えば?

 反ジェンダーコーナーをジェンダーコーナーの隣に置いたらどうなんでしょうか?両方の意見が手に入ります。と言ってもまあ、……。
 向こうの著者達はノーディベートでこっちをヘイト扱い(略)なんですけどね。
 たまにはそれでも、ごくごく稀にこういう人はいますけれども(滅多にいません)。

 ねえ、大型書店は本という「我が子」をネグレクトしていないですか。売る気もないんですか?例えば「駅前店なら帰りに寄れる、注文しておけばアマゾンより早い」という、そんな期待をこめてお客さんが本屋に入っていくと、積んであるのはTRAの本ばっかり。ほんとうにそれでいいんですか? しかも置くとなったらこんな営業妨害みたいな事までして。

 これもしや刑事罰の対象になりませんか?版元はなんで動かないの?
 その一方で(こんな学芸員気取りの帯書き店員を雇っていない)町の本屋さんたちは取り次ぎが普段は滅多に送ってくれないような「売りおわったころにしか来ない」ベストセラーを、発売と同時に無傷で平台に積めているはずです。というわけで当然その本屋さんにも私は頼みます。どうか併読用に私の本を、無論版元も私も利益の薄い、あの『女肉男食』でいいですので、お隣においてください。そしてその周囲を出来れば今までに十冊も出ていない貴重な反ジェンダー本達で囲んでください(そこにサフラジェット旗も立ててみたら、立派に、フェアになりますよ)。というのも、……。

 『トランスジェンダーになりたい少女たち』はあれ一冊で全部判る本ではないですから。しかもここは日本、人民は足元の具体的な経過を知るべきなんです。或いは誰に投票したらこの事態を少しでも止められるか、それを知るべし。是非ともお客さんに届けて欲しいです。
 思えば放火予告からもう随分経っています。
 犯人が捕まらないまま警戒態勢が解けていません。
 友達と議論してから一ヵ月以上が経っています。その間に、実は……。

8「なぜ仕入れ担当の書店員様がテロを容認してはいけないんですかぁ」だって?

 私の老後を保証してくれるはずの、ミルキィ・イソベさんのデザインでどんどん出していく、目標として笙野頼子全作文庫化を目指していく、某社の企画が止まってしまいました。それは随分早期に会社の各所から、強く好意的に受け止められ決まった、信じられないほど良いお話でした。「全部うちに」、「すごい」、「さらに追加を」と肯定され、あちこちの出版社から気張って人気作と受賞作の復刊の許可を取ってきました。無論、私の本は売れないに決まっています。それでも出したいから出すという編集者と、発売の初日、超能力で出ることを察知し、駆けつけて買ってくれる極小読者がいるというこの二点によって、まったく一種の奇跡として出されていたのでした。でも三冊目、当の会社から出て三刷りしていた単行本の文庫化がその後動きません。で?
 おそらくその原因は売れないからです。それなら十分に納得しています。とはいえそもそも、私の本が売れると思って出す担当なんて三十年前から今までいなかったですね(キッパリ)。いつも会社と担当が出したいから出すので私はその意志に全力で感謝してアイデアを出し、個人で出来る宣伝はしてきました。なので……。
 あるいは初日だけは強いと言われ、それだけが取り柄で出ているとも言える私の本がついにダメになったという話なのかも、とがっくりしつつ、さて、その時に(はい、疑心暗鬼来ました)。
 例えば仮に、たまたま、ひとりの版元の営業の方に向かって、ある書店員様(或いは仕入れ担当者様か)が一言「なぜこんな時に、例の作家の、新刊ですか」等仰ったとしたら。
 それは匿名でまったく責任を問われることのない個人の「ぽろっと言った一言」(たとえそれが帯書き書店員様でも)。
 どの会社においても、営業の何人かは私が嫌いです。だって売れないから。そもそも売れないのに。文庫化だなんて。
 結果、「ただでさえ売れない笙野がついに初日までも、そうか、トランス差別か」と会社は信じる。そしてついには私以外の、売れる反ジェンダー本さえも出さなくなるのかもしれません(と、ここもまた疑心暗鬼)。ただし、鳥影社に限れば拙作の反ジェンダー成分は一部書店においてもささやかでも売れる要因になっています。

 とはいえ大分前に出したある復刊本などは二十年以上前の旧作に過ぎないのに版元のアンテナショップにさえ置いてもらえなくなっています。その理由として書店員が快く思えない時は拙作は店頭に出ないという意味のメールを戴き、保存しています。しかも実売が壊滅で五百冊裁断したとも教えられています。ただそれならばヘイト本扱いかというとなぜか版元はヘイト本だと思わないそうで、絶版にする気はないようです。この会社は一体誰の判断で動いているのかと一応考えてはみました。ていうか現場で働くものは経営より偉いのかも。
 或いは本をどこにどう積むか、いつ返品するかを決定する書店員様は版元の社長よりも権力があるのかもしれないという事です。その権力者が「反ジェンダー=売れない」という主観を提示したとしたら。
 こう考えると私もどうしようもありません。ただ、もしその主観を事実として提示した時に問題があれば、著者に対する不法行為となる可能性はあるけれど、この立証はすごく困難です(どんどん疑心暗鬼)。
 つまり形式的に言えば(COPILOT等の回答では)、この書店員を私は刑事で営業妨害に問える希望が一筋だけはあるはずなのですが、まず証拠もないし、そもそも警察は私なんかを助けてはくれない。
 結論? 燃えない焚書は予告なく見えないところに一点放火して、全てが焼け落ちるまでだれも気付きません(いやもう、本で御飯食べている人は全員疑心暗鬼になって当然です)。
 『解禁随筆集』などつい最近まで、「キャンセルされた」著者が「自責」したという内容紹介を誰かが勝手に書いていたわけで(自負の間違いでしょ! 反省してくれればまた売れるようになるとでも思ったのか、でもそれでは読者は逆に引くだけですよひどい)。
 この文の発信元もどこか判らなくて困っていたら最近、やっと直りました。でもまあそんなに良い直しではありません。しかも直った経過さえも判りません。こんなことでも少部数の作家には影響大、小さいけれど尾を引くことばかりという。

 最近TRAはとうとう大物を狙いはじめました。珍しく男性、しかも学者です。既にご存じのように、堀茂樹さんのキャンセルまで始まっています。ノーベル賞作家アニー・エルノーの唯一無二の訳者。無論、エルノーの翻訳は売れるから私のような形での攻撃はないでしょうが、しかし、長年定番のこの全翻訳を潰せとは一体どなたの「鶴の一声」か?あるいは新訳をするにふさわしい「新進気鋭」の名乗りなのか?

 いわゆる純文学論争を四半世紀は続けてきた私ですが今まで何度も「お気になさることはありませんよあんな小物」とか編集者や記者に言われてきました。結局彼らは私を黙らせようとしてきただけなんです。だってそう言われている私の文学的業績がどうであっても、その「小物」は私よりその時点ですごく売れています。或いは私の関与し得ない学閥や人脈に帰属しています。無論、そうではない「新人」でも結局は勝っている風潮に乗ってやってきます。業界が陰でこの「新人」を持ち上げている可能性ありです。
 私など例の女性評論家へ真面目に反論を書いて無視されています。誰が小物とかそんな話ではないのですね。そもそも登用、重用している某編集者は——何よりも「文藝」大増刷という偉業に貢献、収益面中心に見た場合は次期社長でもおかしくない大物です。
 なお、私の反論掲載を直接に不許可と連絡してきたある方のメールの発表許可を、私は貰っています。リュープロンに関してはそのメールにかかわる応答で会社にも警告しています。

 無論、劇薬の物凄い話でこちらも恐怖の限界でしたから、かなり感情的な文章で出しました。しかも私は物事を生々しく想像する事を義務とする文学者です。今から日本もこうなるかという恐怖に押され、頭の中では人間椅子の「賽の河原」が鳴ってしまうという極限状況でした。書けば殺されるのかもと震える程でした。と、——さて、ここまで書いてふと思いついたのですが。
 そう言えばこの連載はこれで終わるけれど版元からは他に何か書いてもいいと言って貰っています。最近またツイッターで話題になっている事でもあり、もしも校閲チームが時間をとってくれるようならば、文藝に載らなかった反論をここへ解説付きで載せようかと、……。
 とはいえ、今年一杯はもう時間が取れないかもしれないほどチームは(家事、仕事、主活動=富豪との戦いを全部している人が大半なので)忙しく、今後はなかなか校閲の時間を取りにくいかもしれません。しかしもしスケジュールが合えば助けてくれますのでその時はまたお目にかかります。

 2024年5月17日から6月18日に執筆 笙野頼子

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