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愛犬ちょこが 私にのこしてくれたもの

16年と8か月 人生を併走してくれた

ちょこが 虹の橋にいきました。

忘れないように、でも、かなりつらいけど

しっかり書いておこうとおもいます。

8月16日

一か月と半分くらい、通院していなかったので

腎臓や肝臓の値を調べに、病院にいきました。

血液検査は、問題がなく

先生にほめられ、いつもの薬をもらい

帰宅しました。

が、しかし、、家に帰ったら

なぜだか、ぐったりしてしまいました。

通院が嫌いなちょこではありましたが

しばらく寝ても、トイレにも

たちあがろうともしないので

あわてて、一番大好きなアイスクリームを

ひとさじ、口元にもっていきました。

まったく興味をしめさないので

嫌な予感がよぎりました。

弟のチワワ、ラテ君も

大食漢なのに、なくなる前日は

ぱたりと

まったく食べ物に興味を示さなかったからです。

ちょこちゃんの後ろ足は、

老化のため、おぼつかないときも

ありましたが、

まったく立てなくなったのはその時からです。

なんだか呼吸もいつもとは違う感じで

すこし、ぐすぐすいうような音をたてて

いました。

その夜は寝ないで、ちょこの様子をみていました。

8月18日

でも、朝に回復することはなく

より一層元気がなくなったので

病院の先生にも、電話をいれましたが

もう、老犬なので

積極的な治療は行えないことは

もう確認済みであり、

移動によるストレスで

ここまで弱るのであれば

このままここで、看取ろうときめて

できることを聞きました。

弟ラテ君は、まだ7歳で若かったこともあり

体調が、がたっと崩れた日も

病院に駆け込むことしかできず

病院で、点滴など処置をしてみるから

預かるねと、病院の先生に預けた数時間後

なくなりました、の連絡が入ったので

16歳のちょこちゃんの嫌いな病院で

だれも知らない場所で、

死なせたくなったので

この選択しかありませんでした。

寝ている姿をみて

時折、大好きな梨をすりおろした汁に

もう一つ大好きなヤクルトをすこしまぜて

シリンジで、水分をすいとり飲ませました。

これは、ぺろぺろ舐めてくれたので

もしかして、ねたきり介護時間が

長くなるのかなと、希望的観測をしたのが

午前中でした。

そして、3時には病院が開くので

先生に連絡をいれて

動画でもよいので、ちょこの様子をみせて

指示を仰ごうと思っていた矢先

どんどん呼吸が苦しくなってきました。

はあはあしているときは、まるで

全力疾走しているかのような呼吸数で

心臓もばくばくしていました。

苦しいと、もがいて

たちあがろうとするので

転がってしまい、目を離すことができないので

病院に動画だけでも

もっていくことも、あきらめました。

これから7時間くらい、本当に苦しい呼吸が

続いたり、やんだりしました。

ネットで調べると肺水腫のような症状でした。

前足をのばしている状態が

わずかながらも呼吸が楽なようで

ちょこをおろすことなく

私の片手に前足をかけて 抱き続けました。

心臓もすこし悪いと、昔、先生にいわれたので

その系統がいっきに症状として強くでてきたように

感じました。

もう、途中は

なんどか病院の先生に

安楽死をお願いしたほうが、苦しまないで

ちょこをいかせてやれるのではないかと

考えたり

仏壇がある部屋で、ちょこを介護していたので

ご先祖様の写真をにらみながら

なんで、こんなに良いワンコを苦しめるのか

楽につれていってあげられないのか

おてつだいしてよ!と半ばやつあたりくらいに

うらみました。

その苦しい呼吸のなか、しぼりだすように

ここ数年、聞いたことがなかった

一番うれしいときに鳴く、(ワオーン)を

抱いていた私に、

そして途中すこし交代した旦那に

かわるがわる吠えました。

最期は長丁場をみこんだ、私が

旦那にだっこを代わってもらって

さっとシャワーを浴び

夜中もだっこするぞと覚悟して

みんなにおやすみをいって

ちょこと二人きりになったときに

最後のワオーンとともに、けいれんをおこして

息たえました。

私が戻ってくるのを、まっていてくれたようでした。

それが夜の11時ちょうどくらいです。

ここまでが、経過です。

今回、愛犬を看取るという経験をして

私の想いを書きたいとおもいます。

まずは、決してたやすいものではないことを

覚悟して臨んでもらいたいです。

正直、大好きで、愛おしい存在が

苦しむ姿を見続けるということは、

ほんとうにトラウマになりそうなほど辛いです。

でも、弟ラテ君の時は病院で

死んでしまったので

正直苦しむ姿はみていないので

亡くなったことの実感すらわかず

亡骸をみつめて、ただ茫然と

どう受け止めてよいやら、

だびにふすことも、ためらわれました。

その後も、病院につれていったこと

先生に預けてかえってしまったことを

いまでも後悔してしまいます。

でも今回のちょこちゃんは

あんなに長い時間

苦しい時間をともにし

そのなかで

ちょこの精一杯の(ワオーン)のなかに

大好き

ありがとう

きえないよ

ずっとここにいるからね

が聞こえたきがして

精一杯、生きてそして死んでいく姿を

全力でわたしに

ちょこがみせてくれたおかげで

私は、ちょこの虹の橋への旅立ちを

落ち着いて、受け止めることができました。

生きざまは死にざまという言葉を

昔聞いたことがありますが

苦しみのさなかは

自分のことしか考えられないのは

あたりまえとおもうし

だから、さんざん蹴とばそうが

噛みつこうがしてもよいはずなのに

ワオーンって、ちょこちゃん

私にまだありがと、いうの?

大好きっていってくれるの?

わたしのほうこそ、先に

たくさんあなたに

言ってあげなきゃならないのに

どこまで人間できてる、じゃなかった

犬、できてるの?

わかったよ。わかったよ。ありがとね。

ほんとに私のお家にきてくれて

ありがとね、

16年も一緒に人生あるいてくれて

ありがとね、ほんとうにほんとうに

だいすきだよって

けいれんをおこしているちょこに

涙をぼろぼろこぼしながら

言い続けました。

なくなる瞬間まで

ずっと私の目をみて、それから

ふっとあれあれ、楽になった、なんで?

みたいな顔になって

なくなりました。

その、ちょこの生きざま、死にざま

全力で愛してくれた姿は

あまりに素晴らしく

私のこころに一生消えることはないでしょう。

ちょこの姿がなくなったとしても

彼女のココロの在り方は、

ずっと残り続けるし、私も

私が亡くなったとしても

このブログに残しておきたいとおもいます。

一日三回の離乳食のような、手作りごはんと

一日三回の水分摂取

(老犬になってから、まったく水を飲まないので

甘酒をうすめたり、犬用ミルクだったり、スープだったり

果汁をうすめたりを与えていました

腎臓の値を下げるため)

お散歩や、老化でそそうしてしまうから

お掃除やら、わんこじたいを洗ったり

一年以上かなり濃い介護生活を

ちょこと過ごしましたが

私には人生の宝です。

長い文章を最後まで読んでいただき

ありがとうございました。






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