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「クラスのみんなへ:普通なんて存在しない」

こんばんは。
たくさん下書きがあったので、出してみようかなって。

大学の論理思考の授業の課題で書いた、
クラスのみんなに伝えたいこと。

今見ると結構ひどいなって思うけど、
大学3年生なので。多めにみてください。

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「こんなこともできないの?」

「そんなこと、できて当たり前でしょ?」

こんなこと、あなたは言われたことありませんか。あるいは、人に言ったことがありませんか。

自分自身、言われたことも言われている人を見たこともあります。自分に言われたならイラっとするし、周りに言っている人を見たら悲しくなります。

では、これらの発言はどんな意図をもって発言されたのでしょうか。

例えば、「これに関するデータを集めてきてね。」と言って相手が時間はかけていてもクオリティの低いものを出してきたとき。

「なぜ簡単なことができないのか」
「自分は頑張ったのに」
そんな思いでしょう。

要は発言をした人にとってその行動は
「できて普通で、できないことはない」
だという考えが根本にあるのです。
だからこそ、相手には自分の基準でできてほしいのです。

「自分にとってできて当たり前なことは、相手にとっても普通のこと」でしょうか。

「自分ができるようになったことは、相手も同じプロセスを踏めばできるようになる」のでしょうか。

私は、答えはNOだと思います。
誰にでも、苦手なことはあると思います。

努力すればできる、努力してもできない、そもそも努力をすることが難しいなど。
また、やり方がわからなくてどうすればいいかわからないという場合もあります。

そのことを無視して、相手ができるように手助けもせず、相手ができる前提で話してしまう人は少なくないと感じます。

では、「普通」の基準を押し付けられた人はどのように感じるでしょうか。

自分はダメだ・頑張ったのに、もうやりたくないなどの感情が起こると思います。
これは、相手の努力を否定することにもなりかねません。
また、責めただけでは相手はいつまでたってもできるようにならないでしょう。
発言した人としては相手にできるようになってほしいはずなのに、これでは逆効果になってしまいます。

もしかしたらできるようになる可能性もあるのに、それをつぶしてしまうことになりかねません。

どちらの人にとっても、いい気分はしないのです。

みんなには、
「自分にとってできて当たり前のことでも、相手にとっても普通のことではない」
という認識をもってもらいたいです。

そんなの知っていると思う人もいるかもしれないけれど、本当に理解している人は多くないと感じます。

それを知ったうえで、「できないこと」だけで人を責めないでほしいです。
できなかった人に、常に全ての責任があるとは限りません。
自分が、相手ができるようになるための支援を精一杯してあげられたのか。その視点でも考えてほしいのです。

いきなり行動を変えていくことは難しいと思います。
だから頭のすみっこに置いておいてほしいです。
これらの認識をもつことによって、少しずつ行動も変化していくと思います。

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