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障害児に対する学校現場の高い社会的障壁。教員の意識改革が非常に難しい。

現場での障害のある子への対応のリアル

今回の記事は、完全に職場の愚痴です。

私は、現在支援学級の担任をしていますが、ウチの学校には療育手帳がAやB1、B2という知的障害のお子さんが複数人います。
支援学級の担任の数より多く、マンツーマンでも足りないので、出来るだけ学年が同じ子は同じチームにしてもらわないと、対応できないなと思い、職員会議で提案したら、「同じチームに障害児が複数いたら、そのチームが負けてしまい、問題になるからバラバラにして欲しい」と反対されました。

走る距離を調整したりする事で、そんな事何とでもなると思うし、ダッシュで逃げてしまう子もいるので、安全確保の方が優先だと思うのですが、通常の担任の先生達はまったくそんなことは思わないようです。

障害のある子を「こういう子達」と一括りに考えるのも違和感があります。支援学級にいる子たちも本当に支援の量はそれぞれだし、周りの人達が思ってるよりはるかに出来ることがいっぱいあります。「知的障害児=何も出来ない子」と思っている教員が殆どでその発言にウンザリする事もあります。

やはり、障害のある子にとって一番の社会的障壁って実は現場の教師なんじゃないかと感じました。

負けたら障害のある子のせいと言われてもしょうがない、という先生のクラスの子はそう考えていいと思っています。この辺は配慮の方法や学級経営の在り方の問題のような気もしますが・・・。

これでは、インクルーシブ教育なんて、進みようがないなと感じました。

また、先日は「音声チック」の子の声がうるさくて困る、と近い教室の先生からクレームが来ました。教室が変えられないなら、一番端の席で窓に向かって座らせて欲しいと・・・。

そうなっていくと、どんどんみんなから隔離され排除されていき、「迷惑な存在」と教師やクラスの子から思われ、そのクラスの保護者から、「ああいう子って、普通、別の教室で学ぶものでしょ。」と言われたりします。

本当に現場はどんどんインクルーシブから逆行して行くように感じてしまいます。

本当の問題は?

しかし、今の教員の障害児に対する偏見と障壁の高さは、その教員個人の考えというよりは、まさに日本の教育が創ってきたものであると思います。

私は、小、中、高と公立の学校でしたが、障害のある子と一緒に学んだ経験もありません。この仕事をするようになって初めてこういう障害があるんだという事を知りました。本当に何も知らなかったです。存在自体を知りませんでした。
私はたまたま重度の障害のある子どもたちと、ガッツリ密な時間を経験する事ができましたが、何年教師をしていても基本的に日本の教育は分離教育なので、直接関わったことのない教師がほとんどです。

でも、このような分離教育を続けていくと、今の子どもたちも障害のある子とともに過ごすってどういうことかを経験しないまま大人になり、今の大人世代のように障害のある人は「どこか違うところにいるべき人」っていう感覚になるんだと思います。

一緒に過ごせない人と最初から決めつけてしまい、共生の道を思いつきもしないのかもしれません。

でも、クラスに知的障害のお友達がいて、ともに学んでいる子は本当に自然にその子たちの良さを引き出しながら、自然なかかわりができているケースもあります。そういう子たちが当たり前にいる学校になってほしいと思います。

まずは教師からですが…。


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この記事を見ても、支援学校でさえこの状況で、地域の学校のインクルーシブが進んでいるとは思えない。
法律作っても、実際に現場で機能していないのが許される日本社会って法律の意味あるの?と思ったりします。

そういえば、かつて管理職の先生に「差別解消法もできたので、今までのやり方はまずいのではないですか?」と言ったところ、「法律ができたからって、すぐにどうにか変わるものでは無い!」「市教委が今までの方針でいいと言っているのだからそれでいい!」「文科省で決めていることとウチの市で決めている事は違う!」と言われました。

うーん🤔
じゃあ、法律とか文科省は何のためにあるんだ?

首を傾げ過ぎて折れそうになりましたが、これが現場の一例です。

そりゃ、国連もインクルーシブを目指す気あるんか?と指摘するでしょ、と感じます。

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