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昭和45年に千葉市小学校で熱狂を呼んだ小さい千代紙集め

私は千葉市の小学校に昭和44年に入学し、1年生から3年生まで在籍しました。

何かが流行すると、学校が禁止するというパターンだったのですが2年生の時でしたか、8センチ角?の千代紙を文房具店で売っていて、それの柄が多岐に渡り魅力的で、クラスじゅう男女問わず夢中になりました。私の記憶では、数人の友人と交換するというレベルではありませんでした。クラス中が対象なのでもう毎日がお祭り騒ぎに近かったと思います。

ロボットの柄、花柄、動物柄、車の柄、昔ながらの柄、私らは五分の休み時間も自分の持っている千代紙を友達に見せあう、トレードする行為を喜々としてやっていたのですが ある日突然先生から宣告された

『千代紙を学校に持ってくるのは禁止になりました!』

の一言によってあえなくブームは終焉を迎えました。このブームが貴重だったところはTVなどのマスメディアを介さないものであったことです。

翌年昭和46年の流行はというと、TVのハレンチ学園の影響の、スカートめくりだったのです。とんでもないですね今考えると。学校側はかなりピリピリして、番組を見ている人は手を挙げて!と調査していました。自分は番組を何度か見た程度でした。学校でスカートめくりは何度かされましたがその度に男の子を追い回し叩いたりと忙しかったです。

今思えば、昭和45年と46年では大変隔たりがあるといいますか、46年から、もう現在の日本とあまり変わらない感じになっている気がするのです。日本一の高層ビル、霞が関ビルができたのが後年であり、斬新でカラフルで美味しいベストセラーのお菓子が多く発売されたのも46年。

テレビではややお高い(当時100円位)雪印ヨグールのCMが流れ、スーパーにはいつも売っていたあのオレンジのつぶつぶの混ざった美味しい味は忘れられません。あのヨーグルトは永遠に店頭にあるものと思われたのですが。

現在では、あまり何かが大流行することが無くなっています。特にファッションの大きな流行は無く、去年買ったものがみんな流行遅れになる事もありません。私が覚えている、ファッションとしては最後の大流行の話をしましょう。高2の春夏、黒に近い独特のグレーのTシャツやシャツが大流行したのです。若い人だけだったかもしれませんが、なぜか皆がその濃いグレーのシャツを着ていました。1979年。その色の気分は、今思えば【ツッパリ】気分だったのでしょう。私も1枚買ってしまい着ていました。当時の三原じゅん子さんは本当に美しく一番輝き目立っていました。


現代は、歌が全ての世代に支持され大ヒットすることもなく、洋服の大流行も無く、共感のための手がかりが乏しい時代です。

小さな千代紙に熱狂できた子供の感性、それに関わっていたデザイナー、印刷所等、昭和45年の奇跡のブーム(千葉市の某小学校のみであった可能性もありますが)は時折私の胸を去来し良い時代を経験できたと暖かい気持ちになれるのです。








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