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ココロが疲れないのは街なのか田舎なのか

田舎は疲れます。

この前電車に乗っているときに広告で「ココロが疲れない大学で勉強をしよう。」みたいな文言が書かれていました。その背景には田舎の風景が描かれていて、不思議な気持ちがしました。

私は人混みは割と好きで、お祭りや賑わっている街で人がごみごみしていることも割と平気です。人混みで嫌いなのは、キャパオーバーで殴られた気分になるような満員電車くらいです。たまに遭遇しそうになりますが余裕を持って行動すれば回避できます。

東京が人口密度のキャパシティを超えた人混みを回避できる街で良かったと感じます。あれが回避できなかったら住めません。

とは言いつつも田舎もあんまり好きじゃないなと最近思い始めました。

目新しさがない、モノがない、人がいないのないない尽くしです。一方で、自然や美しい景色があるとは思っています。そこで落ち着く人がいることも認めます。人はそれぞれ違う生き方をしていますから。

高校までなら田舎でも周りに人がいるので、住んでいてもいいかなとは思います。ただ美術館や博物館は、子供の時の方が行きやすい事実もあるので、なんとも言えません。小学生だったら行き放題な場所もありますから。小学生の吸収力はすごいので、子供のときから知識を蓄える場所に沢山行きたい気持ちもあります。

周りに田んぼしかない生活はあんまりしたくないなあ、とは思いますが、実際に田舎暮らしを経験したわけではありません。住めば都という言葉もあるくらいですから、意外と住んでみると落ち着いちゃう可能性もあります。

今住んでいるところもほどほど快適に暮らしているので、ある程度慣れてきたりします。ただ、周りに24時間営業のスーパーがないのは、少しだけ困っています。遅く帰った日に、食べるものがなくて飢餓状態になることを毎日恐れています。

そんな恐怖心から解放されたい!という気持ちもありますが、24時間スーパーがないからといって死ぬわけでもないことも最近気づきました。コンビニがあれば生きてはいけます。

なんだかんだどこでも生きていけそうな気はします。ですが、これより田舎になってコンビニもないような生活は、しばらくはしたくないかなと思います。

都会の便利さに慣れると田舎には行きづらいなと思う、今日この頃です。

田舎の閉塞感

余談なんですが、田舎には独特の閉塞感がある気がします。外に出られない感じもありますし、外から情報が入ってこない感じもあります。自然が多く空間的には開放感あふれる場所ですが、住み心地としては閉ざされているような気がします。

周りに誰もいないので、目新しい情報を持ってくる人もいません。自分で情報収集をすればいいのでは?と思う方もいるかもしれません。しかし、自分だけで吸収できる情報量にも限りがあります。

一生で食べられる食事や通える大学に限りがあるように、一生で獲得できる情報量には限りがあります。私が今までに触れてこなかったことを教えてくれるのは他者です。その母数が減るとなると、情報に限りが出てきます。

都会でも情報収集の限界があることは認めます。でもなるべく色々な情報には触れたいです。沢山の情報に触れられる開放感は都会にある気がします。

都会では人が多いので、周りの目が気になって嫌な人もいるかもしれませんが、あの人を気にして行動する状態が、周りに人がいるときの正しいマナーだとも思います。あんまり人目を憚らず行動するのも少し下品な感じがします。そんな下品さを捨て去るためにも、都会に出て行きたい気持ちもあります。

どんどんこうやって都会に人が集まっていくのかなと思ってしまいます。地方も大事だと思いますが、東京を中心に段々と発展していくしかない気もします。

私が生きることができるようになります。