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無音の音と先行者利益

できれば、新しいことをやりたいですね。毎日は無理ですが…

昨日、ギャル語に関するノートを書いたのですが、タイトルでギャル語を使うかはちょっと悩みました。正直、あの文字読めないからです。

SEOの観点でも最悪です。検索にまるで引っかかりません。タイトルを読めなかったら中身も読んでもらえないので、自分で自分の首を絞めているようなものです。

それでもとりあえずやっておこうかなと思ったのは、noteの中でギャル語でタイトル書く人なんて多分いないだろうと思ったからです。

とりあえず一番最初にやるというのは大事かなと思っています。ということで、今日はそんな、先行者利益の話です。

ユニクロの無音の音

CMって騒がしいですよね。でも、しょうがない。15秒しかない中で、アテンションを取り、メッセージを伝え、視聴者のネクストアクションを引き出す。そのために、企業は莫大なお金を投じているのですから。

すると、どうしてもインパクトを求めるようになってしまいます。結果として、全員が全員インパクトを求め、 CM は騒がしくなってしまうのです。

そこに突如として登場したのが、ユニクロの無音のCMです。2000年-2010年頃のユニクロのCMでは、BGM無しのものが多く投下されました。

テレビがついている。CMが流れる。騒がしい音楽とメッセージ。そんな日常から、突然無音になるのです。この無音CM投下当初は、ものすごいインパクトでした。

無音になると、ふとTVを見てしまうんですよね。開始当時、この無音のCMは、どんなに騒がしいCMよりも人を惹きつける圧倒的なアテンションを持っていたと思います。

認知と先行者利益

ちょっと余談ですが、人は変化には気が付けるのですが、常態には気がつけないものです。

例えば、家に綺麗なテーブルがあったとしましょう。その上には何も載っていません。

そこに、ある日突如リンゴが載っていたとします。これは驚きです。普段何もないはずのテーブルの上に突然ものが出てきたのですから、それはそうですよね。

一方で、普段何も載っていないこと自体には驚くことができません。それが常態だからです。

「何もないこと」に気がつくのは、テーブルの上に物がたくさん載っており、それが無くなった時です。変化があって、初めて「ないこと」を認識できるのです。

先ほどの CM の例で言えば、普段はあるはずのCMの音がないことによって、受け手は変化を認知し、注意を向けてしまったのです。そんな人間の認識力を理解した、凄い取り組みだったと思います。

一方で、これを実行できるのは最初に動いた人だけです。

人は慣れる生き物です。私も含め視聴者は、CMの音が無くなることにも徐々に慣れ「あ、ユニクロのCMが始まったな」と理解し、注意を向けなくなっていきます。

ユニークな取り組みの成果は、最初に動いた人が、期間限定的に取ることができるものなのです。これは先行者利益(ファーストムーバーアドバンテージ)と呼ばれています。

過当競争下では先行だけが突破口

先行者利益を取るには、大きな労力が必要となります。新しいものを作り出す研究と開発、実現のためのパッション。様々なものが重なってようやく新しいものが出来上がります。

その一方で、この先行者利益は徐々に薄れていきます。そして後続の、体力のあるプレイヤーが、摸倣により美味しいところを持って行ってしまうのです。

この構造の典型例だと言われていたのが、ソニーとパナソニックです。ソニーは新しい製品を開発し市場を興すのですが、市場が立ちあがると後発のパナソニックに体力差で成果を取り上げられてしまっていました。

パナソニックには「品川にソニーという研究所がある」とまで言われてしまったぐらいです。

ただ、この構造にもグローバル化の波が押し寄せます。パナソニックはより大きなグローバル企業に、やはり摸倣により成果を取り上げられてしまっています。摸倣企業間でも摸倣競争が始まってしまったのです。

そして、摸倣が効かないことで、最初に価値を創り出せる企業が再評価されました。結果として、現在はソニーの株価がパナソニックのそれを圧倒的に上回るというような状況になったのです。

ここからの学びは、安直な体力勝負での戦いは、自分より体の大きいものが出てきた時にすぐにやられてしまうということです。

それよりも、尖ったものを愚直に作り続けていくこと。それだけが長期的に生き残る道なのかなと感じています。

そんなことからも、やはり新しい取り組みを続けていくことは大切なのだと思います。

それが、ギャル語のnoteを書くことなのかは分かりませんが…笑

まとめ

ということで、誰もしたことが無いことを目指そうね、というお話でした。

なんだか、70日あたりを超えてから、noteを書く時に常に考えているのは、自分らしさとはなんだろうということです。

文章をはじめとしたアウトプットは、自分のそれまでの経験の総体であって、経験以上のものはやはり書けないものです。

あまり難しく考える必要はないとも思いつつ、自分の経験、自分が感じたこと、自分が考えたことを、ちゃんと維持し続けることの大切さを痛感しています。

そんな自分らしさが、周りに回って、誰も考えなかったことに繋がるのではないかなと感じるのです。

なーんて、あまり考えるとまた書けなくなるので、楽しむことを7割ぐらいでやっていきたいものです。

皆さんも、自分の気持ちに素直に、思ったことや感じたことを大切にして下さいね。

ではでは。


<このnoteを書いたしょこらはこんな人です>


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