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求められているのは『良い文章』より『らしい文章』

結局、一周回って元に戻った気がしています。

先日noteでも書いたのですが、70日目ぐらいから、非常にnoteを書きにくくなってしまっていました。

理由は単純で、より『良い文章』を書こうと思っていたからです。

一方で、『良い文章』を意識した結果、逆に思ったような文章を書けなくなってしまっていました。

そこから、「いったんしゃがむ」という表現を使いましたが、暫くはこれまで通りにやってみようと思い、数日が経っています。

結果として、やっぱりこれまで通りの方が良かったかなと思っています。

今日はそんな、文章の方針に関するお話です。

『良い文章』と『らしい文章』

私の中の『良い文章』とは、「より多くの人に読んでもらえて、読んで頂いた方に楽しんでもらえて、また次を読みたいと思ってもらえる文章」です。

この考え方を突き詰めていくと、マーケットインの考え方になります。

マーケットインとは、市場の分析に基づいて、市場が求めるものを作っていくという考え方です。マーケットインの良さは、まさに市場が求めるニーズに基づいた製品を開発できるということです。

例として、お洋服で言えば ZARAがこの方針を採っていることで有名です。 ZARA の製品開発から製造までの期間はなんと2週間。トレンドを読みにくい業界ですので、当たっているものに集中するという作戦です。

一方で、マーケットインに対する考え方として、プロダクトアウトという考え方があります。

プロダクトアウトとは、自社の技術から考え、結果として市場に認められるような製品を創るという考え方です。

お洋服で言えば、ユニクロはこの形と言われており、長年の研究開発に基づいた機能的な素材を元に、新たなカテゴリを創るような製品を世に出しています。

そして、このプロダクトアウトの考え方をnoteのスタイルで言うと、その人『らしい文章』だと思っています。

つまり、『良い文章』を目指すのか、『らしい文章』を目指すのかという議論は、抽象的に言えば、マーケットインを目指すのか、 プロダクトアウトを目指すのか、という議論ということです。

『らしい文章』の方が求められている

マーケットインの考え方は、市場が求めるものなので、一見ものすごく受け入れられやすいものが出そうな感じがします。

一方で、自分だけがマーケットインで考えているわけではないのです。今日も、明日も、皆が皆マーケットインの考え方で考えますので、世の中にはマーケットインの製品が溢れています。

そして、その中でもnoteは特殊です。noteはものすごく気軽に始められるプラットフォームなのです。

皆さん、ご経験されていらっしゃいますよね。noteで何か文章を書こうと思った瞬間から始められたのではないでしょうか。特別な準備はほとんど必要なかったはずです。

経済学の用語では、これを「参入障壁が低い」と呼びます。初期投資が小さいので、簡単に始められるということです。

この参入障壁が低い市場には、多くのプレイヤーが参入してきますので、プレイヤーがひしめき合う状況になります。

そんな過剰競争の中で、マーケットインの考え方を中途半端に適用してしまうと、ほとんど他の人と変わらないような中途半端な情報発信になってしまいます

ということから、同質化の進み方が激しく、発信が直ぐに陳腐化してしまうような過剰競争の中では、『良い文章』より、むしろ『らしい文章』の方が適していると思っています。

『らしい文章』というのは、プロダクトアウト志向なので、その人にしか書けない文章なのです。

私の経験は私だけのもの、あなたの経験はあなただけのものなのです。そのままの経験、そのままの想いを書けば、それは『らしい文章』です。中途半端だったとしても、そこも含めて『らしい』のです。

『らしい文章』は市場において『良い文章』とは異なる輝きを持っています。それは摸倣ができないものであり、差別化の源泉となります。

そして『らしい文章は』特に準備する必要もなく、その人ならばすぐに書けるという利点もありますしね。

多くの人たちの中で、せっかく見つけて頂いたのです。そんな読んで頂ける方々に、自分の言葉を届けずして、何を届けるのでしょう

毒でも薬でもないサプリになりたい

そんなことから、直近では、自分らしい言葉を発することができれば十分だと思うようになりました。例えそれが、毒にも薬にもなっていなかったとしてもです。

毒のある文章とは華のある文章です。薬になる文章とは苦みを覚える文章です。最近、そんな文章を勉強してみようと、エッセイ本を色々と読んでみたんですね。

どの本も、最初はものすごく面白くて、 やっぱり華のある文章っていいなって思ったんです。ですが、半分ぐらいまで読むと、毒と薬に酔ってしまって、それ以上読めなくなってしまったんです。

すると、毒にも薬にもならないような文章だとしても、それは毎日読みやすい文章であるという利点があるではないか、と思い至りました。

今では、私がこのnoteで目指したかった文章というのは、毒でも薬でもなく、何気なく毎日飲めるサプリだな、と感じています。

味は薄くても毎日読めるような、効き目は気まぐれ気分次第かもしれないけれども少しだけ役に立つような、そんな文章です。

そんな、サプリのような文章を目指していきたいなと、改めて思ったnote投稿70日目台の日々だったのでした。

なお、信じて飲んでたのに全っっ然効果ねーじゃないかと、怒られないようには気をつけます…

まとめ

ということで、みんながみんな総発信な世の中では、よりその人『らしい文章』が求められるのではないかなと。

その中で、私は毒でも薬でもないサプリな文章を目指していきたいなと思ったよ、というお話でした。

今この瞬間にも、数多くの発信がうまれています。そんな中で、この文章を見つけて下さって、本当にありがとうございます。

これからも、私らしい文章は何かなと考えますので、引き続きお付き合い頂けますと大変ありがたいです。

そんなこんなで、ちょっと悩みましたが、結局元の通りが一番かなと一周回って元に戻った今日この頃なのでした。

皆さんも、自分らしさを大切にして下さいね。

ではでは。


<このnoteを書いたしょこらはこんな人です>


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