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20年間の虐待

私は親と縁を切っています。

理由は虐待です。


今日は虐待について考えていき、

それに関連した私の夢について話したいと思います。


普段は親のことを考えるとトラウマスイッチが入るのでいつも心に固く蓋をしています。

無理に話したりすると今でも涙が出てきます。

この文章も泣きながら書きました。


私は未成年の頃から親との関係に悩みはしていたものの、さとり世代よろしく自分の人生をある程度諦めていたのと他の家族のことをよく知らないので

自分の親は普通だと思っていました。

まずは親から受けた虐待をまとめていきたいと思います。


親にされた虐待 


①ブスと呼ばれる

父から「おいブス〜」と名前の代わりに呼ばれていました。

全く気にしていませんでしたが今ではおかしいと思っています。


②部屋をぐちゃぐちゃにされる

母がイラついたら私の部屋の引き出しから物を出したり机を破壊していました。

初めて学校から帰ってきたときに部屋がぐちゃぐちゃになっていた衝撃は忘れることはできません。

私に全く関係ない理由で部屋が荒らされていたので幼少期のころは親に謝罪を要求していましたが謝ってくれませんでした。

こういう理不尽なことを経て今は理不尽なことをされても怒るというよりもすぐ諦めがちな性格になりました。

③教科書、プリントを破る

これは当時もおかしいと思っていました。プリントは失くしたと先生に言ってたので嫌われていきました。

教科書を破られたときは本気で辛かったので

学校で配られたプリントに書かれていた子供相談電話センターに電話したら「はぁ、、、」と言われたので

そこからひねくれて生意気なガキになりました。


教科書はセロテープで補修していました。


これは自己愛なので気持ち悪いかと思いますがタイムマシンがあるならセロテープで補修してる私を抱きしめてやりたいと思います。

あと受験勉強のおかげで一時期IQが上がったのか、

父が大学の願書を破ると踏んで一旦コピーを渡しして様子見をしたのは賢いなと思います。


④差別(朝ごはんがわたしの分だけない、私の部屋だけエアコンがない、わたしだけ迎えに来てくれない)

家族全員が朝ごはんを食べれないなら私も我慢できますが自分だけないのは我慢できません。

ある程度お金がある家系で全部屋エアコンがあるのに私の部屋だけエアコンを設置してくれませんでした。

中学生の頃に、扇風機、ヒーターを勝手に買って設置しました。


また、家族が楽しんでいるのに私だけ蚊帳の外パターンが多かったなと思います。


たまに兄弟が朝ごはんを残して母が私に食べていいよって言ったとき

満面の笑みでいいの?って言って食べていましたがそれはおかしいことだと今は気づいています。

わたしだけいじめて加害心を満たしていたんだなと思います。


⑤殴られる

夕飯のときの箸が小さいなど意味がわからない理由で

頻繁に殴られていました。

殴るときはグーか針金ハンガーでした。針金ハンガーはトラウマなので今は木製とプラスチックしか使えません。

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中1のころ、数学の非常勤講師の先生がわたしが虐待されているのではないかと怪しく思い、

車でつけていて?そのときに私がふらふら寄り道していたらしくなぜか家出を疑われました。

担任の先生に「お前、家出した?」と聞かれ「してない」と答えると何も聞かれなくなりました。

虐待について言えばよかったなと思います。数学の先生は非常勤講師なのにいろいろと鋭い人でした。


先生!7年後に家出しましたよ!!って伝えたいです。


次は虐待ではないけれども嫌だったことをまとめます。



虐待じゃないけど嫌だったこと


①よく食べるねと嫌味を言われる

成長期でお腹が減る時期だと思います。

ましては朝ごはん抜き。

夜はたくさん食べたかったのですが嫌味を言われてしまうことから今でも食事にトラウマがあります。

このことは現在も影響があって例えば拒食症などの摂食障害に影響していたり

友達と食事に行ったら、お腹空いてない?足りた?を連呼してしまうなど変なお節介をしてしまいます。


②服を買ってくれないのに買い物に連れて行く

服は滅多に買ってもらえませんでした。

都会に一緒に行っても

母は自分の分だけ買ってあなたは自分で買いなさい(そもそも子どもには買えない金額で無理)でした。


今では服に強い執着があり服だけは欲しいと思ったら我慢できず買ってしまいます。

あと色々細かく嫌だったことはありますがキリがないので省きます。

次はうちの親は悪いことばかりではなく

お金を出してくれた面もあったのでそのこともまとめました。



やってもらったけどあまり感謝してないこと


①ハワイ旅行に連れて行ってもらった

19歳の頃、通訳しろと母に連れていってもらいましたが(高校英語の知識だけでは結局通訳できなかった)

母の性格が悪すぎて何も楽しくなかったです。


②学費を家出するまで出してもらっていた


叩かれそうですが子供を産んだんだったら学費を出すのは当たり前だと思っています。


やってもらって感謝していること


留学
親には出してもらっていませんが祖母が私にお金をくれたので20歳のころ、留学に行きました。

ホームマザーは優しくてここで私は初めて親と長期間別れて自由を知りました。

家族の悩みがないことがこんなに楽しいことなのかと衝撃を受けました。

留学中には、一回も親に連絡しませんでした。

 
留学をしたことで

自分の家族の異常性に気がついたこと、

大学の進路カウンセラーにあなたの親はおかしいと指摘されたこと、

毒親漫画(ゆがみちゃん)を読んだことから

家を出て行くことを決めました。


いつ出て行くか考え始めたとき矢先、

親が意味のわからないことでキレてきたので限界が来て

突発的に家出しました。

そこから会ってません。

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家出した


突発的でしたが健康保険証、携帯電話、通帳、印鑑、お金は持っていました。

大学在学中でしたが、バイトをしていてお金もある程度あって、

祖母から50万円は留学に使いましたが100万円もらっていたので、

ビジネスホテル、ネカフェ、友達、知り合いの家のローテーションで過ごしました。

このときは大変な状況だったと思いますがわたしは自由になったのだと幸せを感じていました。


うまく言い表せないのですが

ドバドバとアドレナリンが出て

今まで死んでいた感情が生き返った気がしました

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家を借りるときには保証人が必要とかふざけたことを抜かされたので

親が死んだとか適当に嘘をついて保証人不要のところを紹介してもらいました。

保証人不要でも緊急連絡先を書かされるので架空の人物を書こうとしましたが

一応親類の名前を書き電話番号を適当にしました。


家出から落ち着いた後、実家に連れ戻される悪夢を見るようになりました。今でもたまに見ます。親に追いかけられる夢を見て泣きながら目覚めます。


両親の性格

祖母に会えなくなったのはどうかと母について考えます。

祖母は30歳で旦那(私からは祖父)を亡くしたにも関わらず、あらゆる方法でお金を稼いでビルや駐車場を何個を持っているすごい人です。

ですが子育ては下手くそで子ども(私からは母)を甘やかし家庭教師を何人も雇い欲しいものをなんでも買ってやり

自分の思い通りにならないと暴れるモンスターに育ててしまいました。

母は学習IQも低い発達障害だと思います。頭が悪すぎて高校も受からなかったのですが顔だけは抜群に良かったため結婚出来てしまいました。

こういう顔だけ可愛い女の人は自分しか愛していないと思います。

こんな毒母と毒母の願いはなんでも聞く祖母共々会わなくてもういいと思っています。


父もいきなりキレる典型的な毒親でした。

私の性格は父似なので一応なんで怒っているか母よりも推測出来ました。

また、たまに優しかった思い出もありますが典型的なDVの手法だなと思います。あとはこれは言いたくなくて封印していたことですが、胸が膨らみかけた時期に父に風呂場で胸を触られました。とんでもないことです。



今が幸せかと言われればわかりませんが、家出前よりも幸せなのは確実です。

家出する前、私は何もできないどこにも行けないのだと思っていました。

おとなしい性格で引っ込み思案なのだと。

でも、本来の私はそんな性格ではないのではないかと思うのです。

なぜなら基本的に私は人と話すのが好きだからです。


また私はずっと暴力的な男性(ヤンキー)がタイプだったり友達に雑に扱われるとちょっとほっとするM寄りな人間でした。

これは自分の性格、フェチだと思っていたですが

毒親経験のある人がツイートで

アダルトチルドレンが自分を守るためにM寄りの性格になってしまう

と言っていて虐待の影響を自覚しました。

虐待の跡を消すことはできません。


もう家出したから親とは縁切れたでしょう?忘れて幸せになれるよね!とはなりません。むしろ家出後も親のせいで辛い思いをしています。

家出後の親の影響


①仕事を選ばないといけない


放課後デイサービスでアルバイトをしたことがありました。すぐ辞めてしまったのですが、

辞めた理由は子供が親に愛されているのを見て嫉妬心が湧いたからです。


デイサービスに来ている子供たちはわがまま放題で私が子どものころなら絶対しないことをやっていました。

けれでもそんな子どもでも親に愛されていて、わたしは羨ましくて仕方ありませんでした。

どうしてわたしはこの子達よりももっとずっといい子だったのに愛してもらえなかったのだろう、羨ましい、ずるい

と言う気持ちが頭にいっぱいで辛くなりました。


②毒親育ちが世間に浸透していない


まるで家族みたい!が仲の良い表現で使われるように家族とは善であることが前提とされています。

家族の話は身近な話題です。

その話題が出るたびに心がチクタクと痛みます。保証人がいないことに難色を示されることもあります。

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③結婚ができない


もともと結婚は個人同士で完結するものではなく、家と家の結婚でした。

今でも家出した女を結婚相手として連れてくる息子を許す家族は少ないと思います。逆も然りです。それ故に恋愛に消極的になります。


また、人は自分にされたことしか他人にできないのだと思います。


そのため虐待の連鎖を産まないためにも子どもは作れないと思っています。

家族とも仲が良く、好きな人と結婚して子供を産んでという幸せは私には掴めません。



私は虐待、毒親育ちの人たちが支え合えるコミュニティを作りたいと思っています。

家族がいない分の不安を共有し合える場所を作ること、このコミュニティの認知度を上げて、人を家族ごととしてではなくどんな年齢であっても個人として尊重し合える未来にしたいです。

これは私の夢ですがどうやって実現できるのかはわかりません。夢の第一歩としての宣言です。


読んでくれてありがとう。


地獄のフローチャート作ってみたからやってみてね。

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1億円欲しいです。