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選手交代

仕事を終えてメールで納品を無事に済ませ、ひさしぶりにゆっくり自宅でごはん。昨日も家にはいたけれど、あまり時間がなかったので、パンとかお菓子とかいい加減なものしか食べてなかった。今日はとりあえず仕事からは無事に解放されたので、ちゃんと料理をすることができた。

ついこの間、京都に行ってお箸を買ってきたので、それを使いたくて洋食ではなくて和食寄りのメニューにする。


実は、すこし前にずっと使っていたお箸を折ってしまった。
大学時代に仲良くしていた友人が、わたしが一人暮らしをして暫くたった頃、名前入りのお箸をプレゼントしてくれた。もう結構前のことになる。家で食事をするときはずっとそれを使ってきたので、折ってしまったときは結構ショックで、捨てられずにいたのだった。


先日、清水寺参拝から帰りのあの坂道でお箸やさんを見つけてふらりとのぞいてみた。でもそのときは買おうという気持ちは全然なくて、ほんとうに“たまたま”だったが、店内に入ると色とりどりのお箸がたくさん並んでいて、たちまち心を奪われた。なかには夫婦箸とか、家族箸などもあって、それらを見ると我が身の淋しい現実を突きつけられているようできゅっと胸が痛くなったが、組になっていない一膳売りのお箸も美しいものがたくさんあって、そこで初めて「そういえば、わたしお箸が必要なのでは? 間に合わせのお箸を今使ってるんだよね」と思い出した。

自分でも不思議なのだが、お店に入ったときには自分の手持ちのお箸がないことがすっかり抜け落ちていたのだ。その2日前には、それこそご縁あって出雲大社にも参拝していて、そこでもお箸がそういえばたくさん売っていたのに、それを見ながらも今自分がお箸が必要ということを思い出さなかった。(出雲大社の方はご縁になぞらえて夫婦箸が主だったのかも、、、それで無意識のうちに見ないようにしていたのかもしれない)どうせならそちらで買っておいたら長く使うのにはご利益がありそうだったな、なんて思ったりもしたけれど、清水の参道だってじゅうぶんいい場所だ。それに、間に合わせで使っているお箸は恥ずかしながら100均のお箸なのだ。それを使い続けるならちゃんとしたものを買って長く使ったほうがいいに決まっている。

そんなこんなで、店内をうろうろしてみつけたのがこれ。

大好きなメタリックピンク(古都風に桜色に銀箔があしらわれているような色あい、というべき?)だったのも目を引く要因だったのだけれど、一番魅力だったのは先端の細さである。


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右側のお箸、普通のと比べて細いでしょう?


昔、お米を食べ比べる調査の仕事に関わったことがあるが、そのときに炊飯メーカーの方が試食には割り箸を絶対に使わないでほしいと言っていた。そしてその方が試食用にと用意してきたのがとても先の細いお箸だった。確かにそれで食べるとお米がとてもおいしく感じた。「舌に触れる部分が少ないほど素材そのものの味がダイレクトに伝わるからですよ」と説明されて、なるほどなるほどと納得したことがとても印象にのこっていた。
以来、先端の細いお箸は私の憧れのアイテムとなったが、「きっと高いんだろうな〜」とロクに調べもせず、100均のお箸で日々ごまかしていた。


その時の記憶が脳内を駆け巡って、「これだ!」と思って手にとって見ると、そのお箸はびっくりするほど軽く、わたしの手になじんだ。お値段も観光地のわりにはものすごくリーズナブル。しかも名前もサービスで入れてくれるとのこと。
そこで、買って帰ってきたのだった。(あまりにいいと思ったので母にも伝えたら、ちょうど母もお箸が欲しかったとのこと。すごいタイミング!と興奮しながらまた別のデザインのものを選んだ。ただ、残念ながら閉店間際でそちらには名前を入れてもらう時間がなくなってしまったのだけれど)


そのお箸で、今日も夜ごはんをゆっくりと味わった。
これから先、このお箸とはまた長いお付き合いになるのかな。
そして、片方折れてしまったお箸の方とようやくさよならする決心もついた。このお箸を贈ってくれた彼女とは今ちょっと疎遠になってしまったけれど、元気にしているだろうかとふと思った。


古いお箸さん、長い間ありがとう。ほんとにたくさん使わせてもらいました。ちょっとキラキラしたデザインもとってもわたし好みでした。
そして、新しいお箸さん、これからどうぞよろしくね。自分で選んだものだし、念願の先が細いものだし、大切に使わなくちゃね。

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