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仕事のこと②

一番人気のなかった部署で

いきなり余談だけど。なんだか、自分のことを忘備録として残してるけど、少し恥ずかしいね。まぁいっか。

就職面接で聞かれた希望部署の回答順位は、正直、雰囲気の良さ。だって学生の時なんて右も左もわからないのに、希望する科を決めてくれ、なんて、わからないし出来ない!

だけど希望は一つも通らず、一番人気のなかった血液内科に配属。みんなどこかしら希望通っていたのに何事かと思ったよ。

血内は実習でもお世話になった部署で、とにかく一番看護師が忙しく動き回っている部署。急変は起きるし、やること多すぎなイメージ。
だけど実習中一番点数が良かったところだったから少し嬉しかったな。

学生時代担当してくれていた看護師(未来のチューターさん)が、私のことを覚えていてくれたみたいでとても嬉しかった。
思い返すと実習中は看護師に怯えていたけれど、学生なりに、「すごいな〜」と思える看護師が一番多いと感じた部署だった。だから、私はそんな先輩たちのいる部署で働けて学んでいけることが嬉しかった。

え、なに?嬉しかったばっかり言ってるじゃん。何事?(笑)

入職してから

血液内科には丸3年務めた。白血病やリンパ腫などなど、血液の疾患を治療する病棟。私が居たところは骨髄移植もしていて、更にリスクのある移植も受け入れていたからとんでもないところだった。急変は日常茶飯事。病棟で挿管。トイレの中でCPRしたことも。。。さすがに怖かった・・・・だけどとても勉強になった3年間だった。

働き始めて1週間、私が感じたことは

「こんなことまで看護師の仕事なの・・・?」


入職時は、そんなこと思ってばかりの毎日だった。業務が多すぎる。覚えることが多すぎる。学生の私が見ていたのは1側面の業務だけだったんだ〜と気がついた。

ありえない点滴の数、調剤方法が独特の点滴、抗がん剤パレード、輸血のフルコースパレード、処置の多さ、長期治療をしている患者さんへの接し方、重症患者の看護、家族のケア、急変対応・・・何をとっても到底すごいことばかり。
だから私は血液内科で働く看護師を尊敬してる。
こんなに「患者への寄り添い」を深く考えたことはないし、きっと今までもこれからも、なのかな。(とか言っちゃっていいのかな)

血液内科の患者さんは特に病気について勉強されている方が多くて、新人だった私よりも知識が豊富。
あとは、本当に「経験」の重要さを痛感した。
とにかく悔しい思いも沢山したし、看護師としてふがいなさを実感してしまうことも多かった。だからこそ認めてほしくて頑張れた。
1年目で大事なことは、とにかく積極的に吸収していくことだとおもう。言われる前に行動する意識を持つこと。あとは人を見極めて物事を聞くこと。人によって聞き方も変えることが大切だったり。(笑)

そんな新人時代のブログを見つけたら面白かった〜。書いててよかったと思った。頑張ってたのね。

先輩は厳しかったけど絶対に私たちを見捨てないってわかっていたし、愛を感じていたから大好きだった。尊敬できる先輩は今もずっと大好き。恵まれていたんだと思う。
夏前に同期5人並ばせられて、チューターさんたちに「このままであんたらに夜勤させられると思ってるん?」と喝入れられたことは一生忘れない話(笑)
今ではネタ。

時間管理も大切で、「重症を看せてもいないのにどうしてこんなに時間がかかるか」と怒られたこともあった。だけどそれが次に活きていたし、ありがたい叱りだった。だけど私の仕事が終わるまでずっと待っててくれた先輩。私が「後輩を見捨てる先輩にはならない」と決めた日だった。

理不尽な先輩もいたはいたけど、嫌いな人は居なかったな。その時の私は、一人一人の尊敬できるところを見つけるようにして嫌いにならないようにしてたからかも。

2年目になってからは患者さんとの関係作りがとても楽しかった。私は血液内科で入院している患者さんのことが割と好きだったし、仕事にも慣れてきたこともあって楽しかった。長期療養になる患者さんには、病院で過ごす期間をできる限りで支えたかった。我ながらアツいな。(笑)

「あ、この人今回帰れないな」と思えた患者さんには、それまでの時間をなるべく良いものにしてあげたいと考えて仕事をするようにしていた。私なりの感覚でね…
患者さんとの信頼関係ができると、やっぱり頼りにしてくださるのが嬉しいし、やりがいも生まれたな。私にとってそこが一番救いで、大事だったのかも、とか。

私があそこまでの気持ちで頑張ることができたのは、きれいごとじゃなくて患者さんの存在が大きかったからなんだよな。
血液内科の患者さんは「よくなりたい」と思って治療を頑張っている人が多い気がした。健康な生活を送っていても、原因不明の血液の病気になってしまうこともあるのは本当に悲しいよね。

仲良い患者さんに、時間がある時にちょっと愚痴を聞いてもらったり(笑)、恋の相談したり。患者さんたちと話をしていると、私が元気や勇気を沢山貰えてたな。

3年目になると自分らしく働くことができるようになっていた気がする。
後輩に構う余裕もできたり、患者さんともスタッフとも心置きなく過ごせていたというか。ちょうど初めて移植患者さんを入院日から担当させてもらったのもやっと3年目。(本来は3年目以上が移植をみるルールだった)
この患者さんとの出会いは一生忘れないし、忘れられない。(これもまた忘備録しよう)

本当に濃厚な3年間だった。

とても好きな職場だったけど、私は3年目を終えると東京に出た。さすがに田舎の立派な病院を3年で辞めるとなると周りは驚くしどうした?ってなっていたと思う。師長さんいは2年目の夏過ぎくらいに伝えていたんだけど。(早すぎる)

どうして地元を出ようときめたのか。これはまた別に忘備録しよう。

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