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これは本当に私の父なのか

娘が生まれて1年が過ぎた。この1年は、初めて見る我が子の表情はもちろんのこと、今まで知らなかった夫の一面が見れたり自分の考え方に気づけたり、新しいものに触れる機会が多かった。

つい先日は、私の父の新たな一面までも知った。





私は物心ついたころから父が怖くて、あまり近づきたくなかった。話もしたくなかった。

父は暴力的だとか何かに依存してるとかそういうのではなく、むしろ物静かで仕事一筋な人間だった。家では母が振る話題に「ああ」とか「うん」くらいしか言葉を発さない。その言葉にも、苛立っているような刺々しさがあった。

こういう、「この人何考えてるんだろう」という感じの怖さを、私は父に抱いていた。



高校を卒業して家を出てからは、父との距離はますます広がるばかりだった。年に1-2回帰省したときに、「学校/仕事はどうだ?」「まあまあだね」と交わすくらいで。

私と父は、それ以上長く会話を続けられる間柄ではなかった。



それが、昨年夏、私が里帰り出産のため地元に帰ったときだった。

平日にある妊婦健診を、たまたまその日仕事が休みだった父の車で行った。そして、健診後に昼食をとるため病院内のレストランに入り、初めて2人きりでご飯を食べた。


それまで父と2人でご飯を食べるという記憶が私にはなかったから、多分、本当に初めでだったのだと思う。

私はその状況に緊張した。昔ほど父への恐怖心はなくなっていたが、それでも何を話して良いかわからなくて変な汗が流れる。

けれど、それは最初だけだった。

お腹の赤ちゃんは何グラムだったの?という話題から、私が子供の頃の話、私が生まれる前の話、父と母が出会う前の話、と流れるような会話があったのだ。うそ、私、自然に父と話をしている。

向かいに座る父は、昔より丸く見えた。
体が、というのではない(いや、実際に昔よりお腹のあたりがぽっこりしていたけど)。昔感じた、父の言葉の裏の棘のようなものが、全くなかった。しわの増えた目尻を垂らしたような笑顔。穏やか。いつからこうだったのだろう。

里帰りから東京に戻ってきてからは実家の家族に1度も会えてないけれど、たまに家族LINEでやりとりして、娘の写真を送ると父も「可愛いね」なんて言葉を送ってくれる。

健診先の病院で一緒にご飯を食べたことで、今まで父に抱いていた恐怖心が、すーっと消えていった。



これは本当に私の父なの?と思ったその日もそうだった。

少し前に、娘がクイックルワイパーに興味を示し、様子を見ていたら床掃除をし始めたのだ。

もちろん、本人に「掃除をする」という意図はないと思うし、クイックルワイパーを持って歩く姿がたまたま床掃除をしているように見えただけなのかもしれないが、そんな娘の仕草が可愛くて思わず動画に収めた。

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※ちなみにクイックルワイパーは長くて危ないから、娘の後ろで私も手を添えてました。


可愛い。

きっと家族も成長を喜んでくれるだろうなと思い、家族LINEに投稿。

ピコン。

父から、こんな返事がきた。


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驚いた。これは本当に私の父なのか。


というのも、私の父はそれまで「可愛いね」とか「早く会いたいね」とか感想を言うことはあっても、育児のアドバイスをしてくれたことはなかった。

正直、私は父は子育てに無関心な人だと思っていた。

私が実家にいたころ、父は私や弟に学校のことを尋ねるとか、そうやって子どもたちに関わろうとする姿勢を見たことがなかった。
育児は全て母任せ。典型的な、昭和のタイプの人間かと思っていた。

だけど、このLINEは、明らかに子育てを終えた親の立場からの言葉だ。

私はこれを見て、ものすごく嬉しくなった。


そういえば。記憶を手繰り寄せてみたら、父が私を褒めてくれた感覚がでてきた。 

テストで良い点をとったとき。

運動会でリレーの選手に選ばれたとき。

エレクトーンの発表会に出たとき。


父はいつも「すごいねー!」と言ってくれたっけ。

人はどうしても嫌な記憶の方が強く残ってしまうけれど、その中をよーく見てみるとこうやって良い記憶も散らばっているのかもしれない。


そして私は思う。私が父を勘違いしていたんじゃないか、と。

父は子どもに無関心なんかじゃなくて、「子どもへの愛情表現が不器用だった」んだ。

このLINEを見たらわかる。父も私たちを育てているときは、父なりに何か考えていたのだ。けど父は酔ったときとか外出先でものすごくテンションが高まったときでないと、自分から話さない。そういう性格が、子どもから見ると「無関心」に見えてしまったのかもしれない。
きっと父は、たった一つの言葉を発するにも勇気が必要な人だったんだと思う。(あれ、これ、私じゃん。)

今思えば、父はもどかしかったのかもしれない。本当はもっと子どもたちと話したかったのかもしれない。
でも、自分の性格でそれがうまくできなかった。その結果、子どもたちとの間に壁ができてしまった。


あんなに怖いと思っていた父が、可哀想に思えてきた。


父が、昔からこうやって私たちに言葉を向けてくれたら良かったのに。
これが本当の私の父だったとは。





こうやって父のことを考えていたら、私は父の子なんだなぁと思う。
私も、一言を発するのにものすごく勇気がいるから。

話したいことはあるけれど、初めの一言を何て言ったら良いのかわからない。迷っているうちに話題が変わって、結局話に参加できずに終わる、ということが多い。

父を反面教師に、というわけでもないけれど、私も気をつけよう。
娘には、私の言葉を伝えたい。

「お母さん、何考えてるかわからなくて怖い」

って思われないように。


他に私にできることと言ったら、父のように、娘をうーんと褒めること。

そして、父と会話をしていくこと。

私の子ども時代にはもう戻れないから、次は娘に、この気持ちを伝えていきたいと思う。



育児をしていると今までになかった視点を持ったり考え方をするようになるけれど、まさか父に対してもそうなるとは思わなかった。

本当の父を知れた気がする。これは娘のおかげだ。

1歳になったばかりのあんなに小さな体なのに、私の周りをいろいろ変える力を持っている。

子どもって、すごい。



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