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私が欲しかったのはたった一つの”いいね”


モー娘。のオーディションに応募したことがある。


今から20年近く前の小学校高学年の話。

当時、加護ちゃん辻ちゃんが加入したあたりから学校内でモー娘。が大流行した。男子も女子も関係なく、自分は誰が好きだの、昨日のうたばん見た?だの、休み時間にわざわざ机をどけて作ったスペースでミニモニ。を踊るだの、それはもう多くのクラスメイトがモー娘。で毎日を過ごしていた。

私ももれなくその一人で、モー娘。がテレビに出ると聞いては今のような予約録画機能のないテレビに5分前から正座して「録画」の赤丸ボタンを押すタイミングを計っていたし、歌も踊りも覚えて放課後は友達とモー娘。ごっこもした。
「なかよし」で応募者全員サービスのモー娘。グッズが欲しくて郵便局で背伸びをしながら「400円分のテーガクコガワセください」と窓口のおばさんに言っていた覚えもある。本もCDも全部買った。お年玉は全てモー娘。のために使った。
それくらい、私はモー娘。が大好きで、いつも私を楽しませてくれる彼女たちに憧れもあった。


私が小学校6年生のあるとき、モー娘。で新メンバーを募集することが発表された。

これはもう、一大事である。

私はすごくすごく大好きなモー娘。に近づけるような気がして、そしてもしかしたら私もその1人になれるかもしれなくて、緊張しながらもはっきりと母に向かってこう言う。

「モー娘。のオーディション受けたい!」


母の答え。

「ちょ・・・あんた!!何言ってるの!そんなことやめなさい!」


鬼の形相で怒られた。

帰宅した父に言っても、「は?やめなさい。」と一蹴されただけだった。

なんで。

何度か「応募させてください」とお願いしても、聞こえるのは「ダメ」の二文字。


後日、どうしても応募したいとせがむ私に根負けして「お父さんには内緒ね」と私の部屋に来てくれた母の手には父のビデオカメラと空のテープと茶封筒が。
私は自分の気持ちを主張し続けて良かったと思いながら課題曲の「Do it!!Now」を精一杯歌って踊ったけど、私を画面越しに見つめる母の表情はやっぱり難しかった。



記憶の限り、私が自分から「〇〇したい」とはっきりと言葉に出したのは、この時が初めてだと思う。

それまでは、習い事も、買う服も、親の「これにしたら」という言葉になんとなく従っていただけ。

そんな自分が、初めて夢中になれるほど好きなものができて、できることならその一員になりたいと思った。


なのに、私の両親は「やめなさい」と私に言う。

親がダメと言う理由は「応募条件が中学生以上だから」。

それは自分でもわかっている。でも、私は「応募がしたい」んだ。小学6年生だって、つんく♂さんに「お!こんなにすごいやつがいたとは!特別に合格にしよう!」って思われる可能性が0%じゃないじゃん。
そういう夢を見て、応募することくらい、やってもいいじゃん。
別に、「家を出てモー娘。のメンバーとして活動する」と言っているわけじゃないんだから、歌った映像を送るくらい、やらせてよ。それのどこが、いけないの。

親に「ダメ」と言われた当時の私は、「悲しい」という気持ちで胸が痛くなった。悔しかったし泣きたかった。

私は両親に「否定」されたのだ。

自分の夢を「やめなさい」と言われるのは、かなり堪える。
いけないことをしてしまったのかと、自分を責めてしまう。
それが、初めて夢を見た小学生だとしたら。

育ててくれた両親に向けて言うことではないと思うが、あれは親の答えとしては間違っていたと思う。


そもそも、私は今でこそ両親は大切にしようと思うものの、長らく両親が嫌いだった。

特に母は、何かと最初の一言は否定から入る人だ。今でもそう。
恐らく、母は自分の知らない世界が怖いのだろう。自分の知っている範囲でしか行動をしない。だから、予想外の出来事が起きるとそれを受け入れられなくて、咄嗟に否定の言葉が出てしまうのだ。

私が昔モー娘。のオーディションの話をしたときも、そうだったと思う。

そんな、「自分の世界を広げて楽しむ」という考え方を持っていない両親は、私は合わないと思って、ずっと嫌だった。大人になった今は、また考え方が変わっているけれど。

ただ、そういうことを知らない小学生の私は、自分の夢を両親に応援してほしかった。それが例え無謀なものでも、私が「やりたい」と言っている気持ちを、受け入れてほしかった。

「面白そうだね」「そんなに好きなんだね」
そのような感じで、たった一言、「いいね!」と言ってくれるだけでよかった



将来、娘が何か「やりたい」と主張したときは、一言目はかならず「いいね!」と言って応援したい。

でも、これって、私自身にも言えるのではないだろうか。

大人になると、新しいことを始めるのは結構難しいということがよくわかる。
周りからの評価やコストパフォーマンス、労力や結果…
余計なことを考えて、新しいことを始めるのが億劫になる。

そんな中、私は最近noteで文章を書くという、新しいことを始めた。
これが結構ハマって、今では「いつか大好きな声優の梶くんに朗読してもらえる作品を書く」という夢を持つようになった。
かなり大きな夢だけど、この夢を持てた今は書くことがとても楽しい

次はどんなことを書こうかな。
他の人はどういうnoteを書いているのかな。
この表現はいいな。
もっとうまく書きたいな。

最近はこうやって文章のことで頭がいっぱいだ。
娘のお世話をしながら書きたいことを考えて、娘のお昼寝中にパソコンに向かう。
この生活が、本当に楽しい。
それがいつか梶くんに繋がるかもしれない、という夢があるから。

例え叶えるのが難しい夢でも、その出口を決めるのは、私だ。
いつかの両親のように、誰からも「やめなさい」と言われる筋合いはない。
自分が納得できるまで、思い切り書きたい、と思う。

返信ハガキに「この度は残念ながら不合格となりました」と書かれているのを見て悲しさよりも達成感を味わったあの頃のように、「好きなことから目を背けない勇気」があると、人生って楽しくなるんだなぁと感じる。



今noteに文章を書いていることは身の回りの人には内緒だから、今は自分で自分に向かって「いいね!」を言っている。自身に向けた心の中の言葉でも、これが結構力になる。

だから、実際に自分の周りに「何かを始めたいと思っている人」「何かを始めた人」がいたら、一言目は「いいね!」と言って応援したい。

心がぎゅっと温かくなるこの一つの言葉で、きっと毎日楽しく過ごせると思うから。




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