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宇佐見りん さんの「かか」を読んで

昨日、宇佐見りんさん著の「かか」を読みました。
読み終えたばかりのこの熱が冷めやらぬうちに、感想を殴り書いておこうと思います。
※まだお読みでない方、これから読もうと思っている方はネタバレになるのでご注意ください。⚠


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宇佐見さんの本を読むのは、「推し、燃ゆ」に続いて2回目でした。
「推し、燃ゆ」を読んだときにも思ったのですが、宇佐見さんの書く本は勢いがある。だから、間を置かずに読み切りたい。(というか読んでしまう。)そして、なんとも言い表せないようなことを言葉で表現するのが上手い。その表現が、すとんと胸の中に落ちて、何の違和感もない。

語彙力のない私は、この魅力を言葉で上手く言い表せないのが歯がゆいです。とにかく、宇佐見さんの作品の前では「すごい……」っていうありきたりな言葉しか思い浮かばない。(笑)


「かか」は、独特な”かか弁”で書かれており、始めは読みづらいと感じるかもしれません。だけど、読み進めていくうちにどんどんテンポの良さに乗せられていきます。かか弁が、まるで昔話でも読んでいるような気分にさせてくれる。

このお話は、はっきり言って、苦しくて痛い。思わず眉をしかめてしまうような、文章から目を背けてしまいたくなるような場面が多かったです。
かか弁が、その苦しさを調和させてくれている様な気もします。

(特に、ピーラーで腕を……の場面はもう、、想像したくないのにさせられるし想像しなくても痛々しい!涙)


主人公の「うーちゃん」は、精神的に脆い母「かか」のことを、疎ましく思うことがありながらも、その裏には大きな愛情が確かに存在している。無知で純粋な子どもの時には、自分にとって神様のような存在だった母。年を重ねて心も体も大人に近づいていくうちに、一人の女として、一人の人間として母を見たとき、昔抱いていた理想像(信仰心)が、壊れていく。嫌いになりたくないのに、大好きなはずなのに、憎らしいという感情が生まれてしまう。そんな自分の矛盾した心にも嫌気がさす。そんな風に感じました。
私も、大人になるにつれて矛盾した気持ちを抱くことが多くなり、読んでいて胸が苦しくなりました。

なんて言ったらいいんだろう……。子どもの時の自分にとって、お手本で、正しくて、頼りにしていて、たくましく見えた父や母が、年老いて、脆くなって、できないことも増えて、精神的に弱くなったり、愚痴ばっかり増えていくのを見てると、苛立ちとともに悲しい気持ちになりませんか。いつも、自分の前を先陣切っていく存在だったのに、自分のことも自分でできなくなって、弱っていく姿なんて見たくないですよね。そして、それに対して苛立ってしまう自分の気持ちに後ろめたさも感じる。上手く伝わるかな……文章力ほしい。(笑)


個人的に、印象に残った文章がこちらです。▽

『かかは、ととの浮気したときんことをなんども繰り返し自分のなかでなぞるうちに深い溝にしてしまい、何を考えていてもそこにたどり着くようになっていました。おそらく誰にもあるでしょう、つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくってしまうということが、そいしてその溝に針を落としてひきずりだされる一つの音楽を繰り返し聴いては自分のために泣いているということが。』

「かか」29頁11行目~

ある……あるよ、そんなことが……。
こんな風に文章で表せるのか!と驚きました。
おそらくですが、レコードに例えていますよね。どうしてそんな例えが思いつくのか。そしてしっくりくる。
「なんども」とか「つけられた」とか、漢字にしてもいいようなところをあえてひらがなにしているのは、文章全体が重くならないように、読みやすくなるようにしているのかなーとも思いました。(違うかな?)


それから、この文章▽

『うーちゃんは見たくないのです。老いたかかなど、老いてジジもババもホロも死んだ晩年、おまいは家庭をつくりうーちゃんも働きに出て置き去りにされて、ひとり指を湿らして裁縫雑誌をめくりながら誰も着る予定のないワンピースにかたかたミシンをかけるかかなど、見たくもないのです。そのうちに倒れて鼻にくだまきつけたまんま白い病室で涙のあとを乾かしながら生きながらえるかかなど、見たくないのです。そんなら小さい頃に、まだかかが優しく厳しいかかであった頃に、かみさまのまましんでほしかった。そう願いながら介護の末に親と心中はかった人間がこの国に何人いるでしょう。』

「かか」71頁9行目~

ここ、読んで泣きました。今こうして書いているうちにも胸が締め付けられる。かつては家族と賑やかに過ごした家で、1人ミシンをかたかたかけている母親の様子を想像しただけで苦しくなってくる。この文章を読んで、母親を抱きしめに行きたくなりました。


そして、この物語で一番驚かされたのは、うーちゃんがかかを産みたいという考えになること。え?って思いました。最初は、文章を読んでもよく理解できなかった。お母さんを産みたいってドウイウコト?

『たどり着いた先の消毒液くさい病院のなかでからだひきずって、なんもないがらんとした白い病室に横たわるひとりぽっちで死んだかかの顔を見る、かかは泣いている、鼻に管まきつっけて、泣いたまんま、死んでいる。うーちゃんはかかを淋しさで殺してしまう。
 それに気いついたとき、うーちゃんははじめてにんしんしたいと思ったんです。しかしそこらにいるあかぼうなんか死んでもいらない、かかを、産んでやりたい、産んでイチから育ててやりたい。そいしたらきっと助けてやれたのです、そいすれば間違いでうーちゃんなんか産んじまわないようにしつっこく言いつけて、あかぼうみたいにきれいなまんま、守りぬいてあげられたんです。女と母親とあかぼうをにくみ絶対かかになんかならんと思っていたけんど、もう信じられるんはそいだけでした。』

「かか」88頁12行目~

かかが傷つかないようにするためには、自分が生まれてこなければ良かったのだ、そう考えるのはまだわかるとしても、自分でかかを産んで育てたいという考えに行き着くとは……。もう宇佐見さんに感服です。


かかを淋しさで殺してしまうのは防ぎたいけれど、かかとうーちゃんは少し距離を取るのも必要なのではないかと思いました。お互いが愛に飢え、依存し合っているようにも見える。距離が近すぎて、嫌なところばかりが目につくようになっているのではないか。付かず離れずくらいの距離感の方が、いいのかもしれない。


この本を読んでいる途中、あまりにも重たくて苦しい話で、もう二度と読みたくないかもしれない、と思いました。
だけど、多分だけど、また読む気がする。(笑)
もう少し年を重ねたときに読んだら、また感じ方が違ってくるのかもしれないなーと思います。今はうーちゃんの心情に痛いほど共感できるけれど、だんだんかかの心情で読めるようになるかもしれない。
しばらくは、おなかいっぱいというか、いいかな……。(笑)

調べてみると、どうやら文庫版のみ「三十一日」という書き下ろしがついているようですね。私は単行本で読んだので、文庫本もチェックしたいです。


そして、一番声を大にして言いたかったことを忘れていたのですが、これ(「かか」)を書いた宇佐見さんは20歳で、しかもデビュー作って、すごすぎじゃない??ってこと。
宇佐見さんの文章を読むと、これまでにたくさん本を読み、言葉を勉強してきたんだろうなっていうのが伝わってくる。自分と年が変わらない人がこれほどまでに素晴らしい本を書くことがなんでか誇らしく思えてくる反面、自分もその領域まで達してみたいと思わされます。(相当な差があるけれど……笑)

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そんなわけで、殴り書きしていたら結構な量になってしまったのでここら辺で終わりにしておきたいと思います。

今年発行された、宇佐見さんの3作目「くるまの娘」も読んでみたい。


まとまりのない文章ですが、ここまで読んでくださりありがとうございました。🙏


おしまい


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