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苦手なことがある人は、そのプロにもなれる

わたしはコミュニティが苦手です。でも、コミュニティデザイナーを生業にしています。いくつかコミュニティをプロデュースしている、一応その道のプロです。

ふつうに考えれば、「苦手なのにプロをしている」と逆接の接続詞でつなぐところですが、わたしは「苦手だからプロをしている」のだと考えています。

どういうことか、まずは「苦手なこと」について分解してお話します。


2種類の苦手なこと

苦手なこと、というときに

①能力面で不得手である
②対象に対して違和感や嫌悪感を感じる

の2種類がパッと浮かびます。

前者は「サッカーが苦手」「計算が苦手」「人前で話すのが苦手」とか言ったり、後者は「人混みが苦手」「病院が苦手」「あの人苦手」とか言ったりします。


敏感だから苦手なのかも

ここで考えたいのは②のほうの「苦手なこと」です。なぜなら、その苦手さの原因が、その人自身の「卓越した敏感さ」である場合があるからです。

もし、苦手な文章がある人は、その文章に対する敏感さゆえに苦手なのかもしれません。苦手なコミュニティがあるわたしは、コミュニティに対する敏感さゆえに苦手なのです。

他のコミュニティのイベントなどに参加していると「あの人喋り過ぎだから止めたほうが良いな」とか「このタイミングでみんなから意見聞いたほうが良いのに」とか、いろいろ感じ取ってしまってダメですねw

だとしたら、その苦手さを生み出している敏感さを逆に活用する手があります。

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敏感さを逆手に取る

敏感さはsensitivityと英訳できますが、語源がsenseと同じくラテン語の「sentio」であることも、敏感さとセンスが近接していることをほのめかしているようです。

敏感な人はセンスがある人なんじゃないかなと。

苦手な文章がある人は、もしかしたら読み手ではなく書き手のセンスがあるのかもしれない。わたしのようにコミュニティが苦手な人は、コミュニティの作り手のセンスがあるのかもしれない。

自分で自分を「センスがある」というのには非常に抵抗がありますが、文章の流れとして仕方ないと諦めますw

他にも例を示すと、わたしはワークショップに参加するのが苦手です。でも逆に、ワークショップをファシリテーションするのは得意な方、センスのある方です。

つまり、苦手なものがある人は敏感な人で、センスのある人かもしれないのです。だから、対象への関わり方を変えたら、それは得意なことになり得るのです。

苦手さを生み出している敏感さを活用した関わり方に変えて得意なことに転換してしまえば、今あなたの苦手なことが今後の新しい仕事になるかもしれませんよ。

苦手なことの、作り手側に回ってみてはいかがでしょうか?

冒頭の「コミュニティが苦手」というのはつまり、「コミュニティに参加するのが苦手」なのであって、その苦手さを生んでいる敏感さを活用していまでは「コミュニティ運営は得意」という状態になったわけです。この気付きは自分の生き方にかなり大きな衝撃を与えてくれました。

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