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それは自己理解か、自己誤解か。

「自己理解」っていう言葉がそもそも誤解を招く表現なんだな。アタマで考えたり記憶を遡ったりして、コタツに入ったままで自分を理解できてしまうという誤解。

実際は「自己体感」という表現のほうが現実に近い気がする。何かの状況に自分を放り込んだときの心身の振る舞いを通して自分を体感すること。そうやって発現する自分の振る舞いを謎として捉えて、その謎を少しずつ時間をかけて解きほぐすように自分自身と対話すること。あくまでその結果としての「自己理解」という気がする。

もしこうした「繰り返される自己体感」と「時間をかけた自己対話」を欠いた「カンタンにできるインスタントな自己理解」なんてものがあるとしたら、それは「自己誤解」とも呼べる思い込みに過ぎないかもしれません。

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