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ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

ようやく全8巻を読み終えた。
ハイデガーの構想としては第2部まで続く予定だったらしい。
いずれにせよ、ここで一区切りということにはなる。

本書では引き続き時間のことを中心に考察が続く。
訳者の中山元による詳細な解説を頼りに読み進めてきたが、それでも理解できたとは言い難い。ただ、それでも自分の頭であれこれ考える時間を持つというのは大切なことだ。

自分が理解できた(もしくはこうだと思った)範囲で書くと、ハイデガーは時間というものを、時計の針が刻む時間と、本来の時間を区別している。
時計の針が刻む時間は世界中の人々が仕事に行くとか、人に会うとか、そういった日々の生活に支障が出ないように便宜上定められているものである。
本来の時間とはなにか、ということも語られているのかもしれないが、自分にはわからなかった。
ただ、多くの人々は時計の針が刻む時間を「時間」として認識し、そこから抜け出すことができない。

最後まで読んで「神」が登場しなかったのは興味深い(もしくは神について語られていたが、自分が理解しなかっただけかもしれない)。

「存在と時間」は古代の哲学までさかのぼり、常識とされている物事を再定義して解釈しなおしていった。常識とされているものは、必ずしも正しいとは限らない。
問いつづけることで、新たな問いが生まれ、さらにそこから問いが深まっていく。
ハイデガーは存在と時間というものを問いつづけることで本書に展開されている哲学を構築した。これは彼から見た世界の姿だ。
この事実から思い出すのは、カントが「純粋理性批判」で述べていた「人はそれぞれ違う世界を見ている」という主張だ。
「存在と時間」はハイデガーの見た世界だ。人はそれぞれ問い続けることで自分の世界を見つけることになる。
哲学を読む価値は、いかに問うかということを学ぶためにあるのだと気づいたことが、本書から得た最大の収穫だった。

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