仮面をつけて生きる

仮面は他の存在になる道具だ
宗教的な儀式において、仮面をつけた人間は神や神に近い存在になる。それが「三丁目の山田さん」だったとしても、その空間、時間においては、本人は神的な存在だし、それをみている町内会の人たちも「山田さん」ではなく神である、神に遣わされた存在であるという認識になる。

人間は、自分がそうであると信じている存在になる

会社でも、一般社員が係長になり、課長になり、部長になり、と昇進していくと、本人の意識が変わるし、周りの意識も変わる。時々間違えちゃう人もいて、役職があがった途端、要求だけ偉くなる人もいる。出張の帰りに、電車で帰れる時間なのに、タクシーを使ってしまうとか、会議時間の七割を自分の自慢話に費やしてしまうとか。周りも、相手が上司という存在である以上はダメ出しもできない。これは悪い例である。

組織もそうだ。
あるテレビ局が集金にきて、金を払えという。他のテレビ局からは誰もきていないのに、なぜあんたのところには払わなければいけないのか。そんなやりとりを2時間ほど続けていると、相手の目が血走っていることに気づく。「こいつは頭がおかしいんじゃないか」と怖くなる。本当に、テレビ局からきているのだろうか。「あんたはなんなんだ」という根本的な疑問を発すると、集金人は名刺を差し出し、「ここに電話して確認してくれ」という。電話をすると、あるテレビ局につながる。「あんたのところからきたという人間が、金を払えといって非常に恐怖を感じている」と伝えると、電話にでた人間は「それは私たちのところから行っているから、安心してお金を払ってください」という。
これはこの組織が、国民に金を払わせる。ということを当たり前だと考えているからこういうことになる。そういうペルソナだと言える。
町を歩いていて、知らない男から「うちの会社に金をはらってくれ」と言われて、どこかの電気屋さんの名刺を渡されたとしたらどうだろう。会社に電話をして「お宅の社員に金を払えと言われている」と訴えて、「そのひとはうちの社員なので安心してお支払いください」と言われたら。
企業も、「うちはこういう会社だ」というペルソナがあり、社員もそういう人間になる。だから、企業は自分たちがどういう会社なのかという意識づけを明確にすることによって、方向性を定めることができる。
たまに「うちは自由だから」という会社もあるが、自由であるということはなにもしなくてもいいということになってしまう。自由といいつつ一定の方向性があるならいいが、「自由だけど年間一億円稼いでね」と言われて、引き継ぎもなにもされないと、地獄である。なんの準備もなく起業したようなものだ。「自由だから」といって、なんの方向性も示さずに、自分なりに試行錯誤していると、いきなり「おまえはなにをやってるんだ!」と怒り出す経営者も困ったものである。これは自由というよりは、本当は経営者のイメージがあって、経営者がそれを伝えていないだけなのである。経営者は方向性をわかりやすく説明すること。

ファッションもそう。
ハイブランドを身に着けていれば、それなりに気分があがるし、だらしなくはならないだろう。アレキサンダー・マックイーンを着て、物乞いをするというのはなかなか見かけない光景である。逆に、ぼろぼろの服を着ていると、ひと目につかないようにするし、気持ちも荒む。入れないところも増えるだろう。
ハイブランドを購入する必要はないが、できるだけ小綺麗にするのは大切だ。洋服もそうだが、定期的に髪を切り、ヒゲも剃る。ヒゲを伸ばすのならちゃんと整える。ZZトップみたいにするのは、かなりキャラ立ちしていないと難易度が高い。
ちなみに、頑張ってハイブランドを購入する風潮は最近すたれてきており、それでいいと思う。なぜなら、ファッションには流行がある。頑張って30万円のコートを買って、一生着ればコスパがいい、なんて言っている人もいるが、時代遅れになるだけである。ハイブランドは普段遣いで購入できる人が購入すればいいのである。日々の食材と同じで、普段はOKで買い物する人が、無理をして、デパ地下で買い物する意味はない。ただの見栄なのである。その分のお金を自己投資に回したほうがいい。

引き寄せの法則はどうか。
なりたい自分を想像していれば、かならずそうなる。というのが引き寄せの法則だが、これは一生懸命念じてもなにも起こらない。そういう人には、「そりゃ、あんたの念じ方が弱いのよ」と言われる。そうかもしれない。しかし、STAP細胞の作出ではないが、多くの人が活用できなければ意味がない。嘘だ詐欺だと言われても仕方ないのだ。

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