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「浮き雲」(1996年)

アキ・カウリスマキ監督作品。

カウリスマキの作品は、「コントラクト・キラー」(1990年)についで、まだ2作しか観ていないのだが、この人はいつも労働者階級を描いているのだろうか。そして、時代を反映している。

本作の時代背景としては、1992年のフィンランドの恐慌を意識しておくとよいだろう。
主役の夫婦は、夫は市電の運転手、妻は昔ながらのレストランの給仕長だった。質素ながらも悪くない生活をしていたが、ふたりとも急にリストラされてしまう。転職先を探すのだが、年齢的にもキャリア的にも魅力がなく、なかなかうまくいかない。
現在働いている職場ではそれなりに重要なポジションにいたとしても、転職市場においてはまったく魅力がない、というのはよくあることだ。本作の主人公夫婦は労働者階級なので、なおさらだ。

カウリスマキの作品には、小津安二郎作品にも通じるある種のぎこちなさがある。もしくはデヴィッド・リンチ作品の間の取り方に似たものを感じる。芝居がかっているといえば芝居がかっているのだが、明確な意図があってやっているのだと思う。これがフィンランド映画の空気感なのかどうかはわからない。

また、おもしろいのは、本作では主人公の夫婦にこれでもかというくらい不運が重なるのだが、悲壮感はあまりない。夫婦は困惑して、悲嘆はするのだが、仕事が見つからない失業者の、近寄りがたいネガティブな空気感というものはない。そして、夫婦間で誤解を招きかねないような出来事もあるが、そういう疑問も抱いていない。絶対的な信頼があるのだろう。
人生をあきらめないという姿勢が大切なのだなと思える。

制作費は1億4686万8746円。
興行収入は不明。
ちなみに、1億5000万円相当の制作費の映画と言うと、日本の「ドライブ・マイ・カー」もそのぐらいだ。こちらは13億5235万円の興行収入。

いわゆるエンターテイメント映画に慣れてしまうと、こういう映画はとっつきにくくなってしまうが、たまに観ると、やはりいいなと思う。いろいろなことに思いを馳せることができる。

映画はメッセージだ。観客は、映画がなにを伝えようとしているのか考えることによって、成長することができる。

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