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マックス・リヒター

音楽家ではあるが、ぼくにとってはモダン・アートの作家に近い位置づけだ。
「近い」というのは、彼の活動が音楽に限られている(絵画や造形を発表していない)ため、モダン・アートの作家と呼ぶのをためらわれるというだけの理由であり、感覚的には「モダン・アートの作家」だ。

そう呼ぶ大きな理由は、ヴィヴァルディの四季を再構築した業績だ。これはモダン・アートの要素である過去を再編集しての新しい提案をしている。話が少しそれるが、この要素はヒップ・ホップでも見られる要素であり、そのためぼくはヒップ・ホップとモダン・アートにも強いつながりがあると考えている。

マックス・リヒターの再構築した四季は、メリハリが強くなり、ドラマチックになった。そして、猛々しく美しい。
よく、カバー曲などを示して「別の曲になっている」「彼自身の曲になっている」という表現があるが、そういうものではない。これは「ヴィヴァルディの四季は本当はこういう曲だったんじゃないか」と思わしめる、まさに再構築なのだ。
たとえていうならば、延々と建設を続けていくサグラダ・ファミリアのようだ。ヴィヴァルディが建てはじめた「四季」という宮殿をリヒターが引き継いだ。そして、100年後に他の誰かがまた「四季」を増築する。クラシック音楽がこうして形を変えていくのは、すばらしいことだ。

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