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『塔』2020年10月号(1)

六月のひかりに灼かれどこまでも緑深めてゆく樹だ俺も 山下洋 ひかりに灼かれる→緑を深める、という因果関係めいた展開に惹かれた。ひらがなと漢字の使い分けも雰囲気に合っている。

②花山多佳子「緑金のかがやき」河野裕子短歌の初出と歌集収録歌を比べている。〈今回、照らし合わせてみたら、三十首の中の十八首が収録されているのがわかった。〉総合誌などの初出と歌集のを比較するのは歌人研究で大切な作業だ。この時収録されなかった十二首はどうなったのだろう。

さらに河野裕子は依頼の十倍の歌を作った、とよく言われているが、そうすると、総合誌にも乗らなかった歌という存在もあるわけだ。それらも読んでみたいと思う。

③吉田恭大「短歌時評」〈連作の制作にはある程度の技術とノウハウが必要だが、新人賞の受賞自体はそこからさらに先にあるもので、合格体験記はあくまで合格した人の場合の体験記でしかない…〉たしかに他人に通用しない。本人がコントロールできたのでもない。「先にあるもの」ですね。

風呂に入るわれを待つ子に縫いぐるみ持たせてやれば抱きて眠る 矢澤麻子 作者が風呂に入っている間、先に誰かに入浴させてもらった子が待っている。ぐずりそうになったところで縫いぐるみを持つと、その感触を味わううちに寝落ちしてしまう。幼い子の動きを過不足無く描いている。

悲しき顔よりなおさびし表情をなくして人らしずかに座る 森川たみ子 作者は年取った母親を施設に入れた。そこの談話室の風景を詠った歌。悲しい、さびしい、という感情語を使っているのだが、ここでは効いていると思う。表情の無さは、悲しいさびしい、というダブルの表現を上回る。

⑥吉川宏志「青蝉通信」〈自分の力で、書かれていない空白部分を埋めなければならない、という読み手の自己意識が、「近代読者」を生み出し、さらに〈作品〉を成立させるのである。〉外山滋比古の『近代読者論』について。読みたくなる紹介。短歌のリズムについての吉川の考察も面白い。

2020.10.29.~31.Twitterより編集再掲